たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

雪の岩櫃山には侮りがたいものがあった。

2011年01月17日 | 近所じゃない群馬県の山
◎2011年1月16日(日)

 家庭事情で、昨日、今日と、朝早くから山に出かけるのは無理な状況だった。朝夕だけは家の用事を済ませないといけない。両日共に、空いているのは中途半端な時間帯。昨日は、地元の金山に出かけてみた。もう10年以上も行ったことがなく、その間、金山城址の整備がなされていることは知っていたし、見てみたいとも思っていた。こういう時でないと行く気にならない山だから、敢えて大中小の八王子山を経由して歩いてみた。城跡の整備はまだ進行中のようだったが、それなりに満足して帰ってきた。ただ、使った時間は2時間少々と、あっけなく終わってしまった。で、今日はどうするか。昨日よりも寒く、風も強かった。山をのんびりと歩けるような陽気ではないが、家にいると、どうも、昼から録画溜めを見ながら酒を飲んでしまいそうだ。ピロリ菌駆除の薬を飲んで一週間。服用は今晩で終わるが、あと3日は禁酒しないといけない。既に1回目は失敗している。この2回目が失敗したら、先がない。慎重にもなる。そのことだけで、出かけるいい理由ができた。さて、どこに行こうか。ハイトスさんは昨日、三床山に行かれたようだ。いずれ行きたいと、下調べだけはしておいた山だ。あそこもいい。だが、行き損ねている岩櫃山がひっかかる。前回妨げになった道路工事も終わったろう。用事を済ませ、その足で向かうことにした。もう9時を過ぎている。

(一本松駐車場)


 渋川インターを下り、しばらく行くと雪の世界になった。昨夜降ったのだろう。家の回りの雪かきをしている人が目に付く。路面も凍結している。雪道の走行は嫌だねえ。不慣れなものだから、運転だけで神経がすり減る。原町平沢登山口の駐車場(一本松駐車場と呼ぶらしい)に向かう道はアスファルト路面が雪で隠れてしまっていた。駐車場に車は無い。積雪は5~10cmといったところか。また、中途半端な積もり方だ。アイゼンやワカンを持って来てはいたが、考えあぐね、結局、また鋲付きゴム長に杖となった。雪で足が冷たくなるだろうな。駐車場の先に案内所を兼ねたような休憩所があり、中は無人。ご親切に、入口までの雪かきがなされている。歩く人はいず、オレのためにやっていただいたようなありがたさ。中に入り、ハイキングマップのようなものがあったのでいただく。これで見ると、山頂まで40分か。この山もあっけないねぇ。10時52分、出発。11時半には着くだろう。

(沢通りの登山口)

(岩櫃城跡のご案内板)

(沢通りコースの模様)

(天狗の蹴上げ岩)


 先をだれも歩いていない。すぐに岩櫃城の城跡に向かうコースが分岐している。マップによると、このコースは「東尾根通り」。今日はこのコースで下山するつもりでいる。向かうコースは「沢通り」。雪の沢歩きは避けたいところだが、城跡探索は帰りにするつもりだから、このコースをとらざるを得ない。林に入ってしばらく行くと、また、城跡に向かうルートが分岐。雪の上にトレースはなく、いつもなら迷うところだが、道型が何となく分かり、標示も随所にある。やがて大岩があちこちに出現する。「天狗の蹴上げ岩」あたりから梯子や鎖も登場。雪のない時期なら、子供が喜ぶようなところだが、ゴム長靴のオヤジには、雪も付いて、極めて危険で怖い。東尾根通りからは、この辺で合流するようだ。

(山頂ピーク。あんなところ登るの!!)


 一息ついて八合目。初めて見る合目標示だ。えらく高いところに上がっている。下を見下ろすのには勇気がいる。もう、岩峰群の上部にいる。九合目の標示に気づかぬまま北隣のピークに立った。ここからの展望は良い。榛名の山塊が大きく見える。そして、正面に岩櫃山の山頂ピーク。行くのはちょっと無理があるんじゃないのというのが率直な感想。雪が舞い始めた。一旦、鞍部まで下り、垂直のような岩を登らないと行けない。かなりの抵抗がある。この北隣ピークからの下りに手こずった。手がかり、足がかりがない。左右ともに切れ落ちている。よく見ると何ということはない。鎖が2本、雪の下に隠れていた。何とか鞍部に辿り着き、今度は山頂ピークへ。ゴム長オヤジには、まさにアタックという言葉がふさわしいスリル感。雪で手足ともに滑りながら、四苦八苦して山頂に到着。11時42分。出発から50分。十分にタイムオーバーだ。

(山頂)

(山頂から郷原の町を見下ろす)

(天狗のかけ橋)


 山頂は狭く、360度の展望だが、こういう高所・狭所・絶壁は嫌いだから、さっさと下ることにする。ここにも那智山青岸護寺の御札があった。全国行脚だねぇ。下りは「密岩通り」を登山口まで一旦下る。今日は、特別な意図も無く、日常的にはいている皮の手袋をしてきていた。鎖につかまって、やはりグショグショに濡れてしまった。予備のコンビニで買った手袋に交換しようと、手袋を脱いだら、色落ちで、手のひらが真っ黒になっていた。安物を買うとこういうことになる。コンビニ手袋に色が付くのを恐れ、そのままはいていることにした。天狗のかけ橋は迂回し、鷹の巣遺跡に寄り道。何が遺跡なのか、解説板がないので分からない。今回の歩きは、ここだけ土が剝き出しになっていた。

 まだまだ岩場が続く。梯子や鎖が雪に隠れていて、途方にくれることも数回。ここまで来て、元に戻るのはつらい。ようやく岩場が終わる。鉄だかプラスチックの階段が備え付けられている。そこに、下から2人上がって来た。こんな時期、自分みたいな、偏屈な方々だったりして。年の功は40歳前後だろうか。そんなことを想像していたら、階段で滑って転倒し、尻餅をついてしまった。2人に目撃され、何とも恥ずかしい。「アイゼンは必要か」と聞かれたようだが、語尾が聞き取れなかった。「私のは鋲付きのゴム長だけど」と何とも返事になっていない返答をしてしまった。

(蜜岩登山口)


 密岩通り登山口に着いたのは12時27分。ここまで95分かかった。コースタイムは70分。無雪期でもそんなに早く歩ける自信はない。車が2台。1台は彼らの車だろう。もう1台は農耕車。別に山遊びの車ではないだろう。いつもなら、ここから寄り道をしたとしても、概ね下りだから、楽なものだが、今回は勝手が違った。ここからがえらく長かった。通りに出る。ここで気づいた。最初に来た時、ここで、車をUターンさせて帰ったのだ。密岩の登山口はすぐそこだった。民家があったので、庭先に入る道のように錯覚していた。タバコを吸いたかったが、車の中に忘れてきた。ライターだけあってもはじまらない。

 当初、ここから、山際に歩いて行けば、城跡に出て、一本松の駐車場に出られるものと踏んでいた。ハイキングマップを見ると、「十二様通り」というのがあるから、それが山際に付いた道だろうと思っていた。「潜流院跡」の石垣を見る。これは昌幸が勝頼を迎え入れるべく急造した館跡らしい。それにしても、本丸跡からは相当に離れている。石垣積みは後世のものだろう。「赤岩通り」登山口は通行止めにつき、「旧赤岩通り」に回される。これが十二様通り。これもハイキングルートの一つだから、当たり前のことではあるが、どんどん上って行く。せっかく、下りて来た岩櫃山に、また別ルートで戻っている。これではお笑いだが、これを通るしか術がないようだ。ちなみに、後で知ったことだが、十二様とは、農耕、山の神様のことらしい。

(途中の岩場)


 少々疲れ始めた。休み休み歩く。本来の赤岩通りルートに合流し、ようやく「岩櫃城本丸跡」の標示に出会う。そして、「尾根通りを経て城址に至る」の標示。ここから東尾根通りだろう。しばらく行くと、鹿の足跡を見つけた。1頭分。この山にはカモシカがいるようだが、しかとよく分からない。すぐに消えた。この先は岩場。迂回路の選択もあったが、性懲りもなく岩場を行く。そして、また怖い思いをした。

(本丸跡)

(あるのは自分の足跡だけ)


 「本丸北枡形虎口跡」を経て、石祠。ここにも那智山の御札。本丸跡に着いた。昨日の金山城に比べると、やや小ぶりの規模にも思える。とはいっても、一面が雪だから、何がなんだかよく分からない。昨日に引き続きの城跡巡り。両城に共通している点は北条がらみか。『真田太平記』は3巻まで読んだ。その間、他の本を5冊読んだ。これからもダラダラ読みが続くだろう。フィクションの中から、当時の関東の勢力分布はある程度理解できたつもりでいる。下まで降りてみた。やはり、雪で石垣があるのかどうかも不明。あるいは土塁構の跡だけかもしれない。解説板があっても、現物が雪の下では全体像もつかめない。道型が続いている。これを辿ると、駐車場に行けるかどうかは定かではないが歩いてみる。林の中を通り、うまく、駐車場に出た。相変わらず自分の車だけ。13時54分。3時間かかった。マップの記載タイムでは合計すると131分。2時間11分。今日はかなりスローペースだったようだ。しかし、通り、通りをよく乗り換えして歩いたルートだったなぁ。

 さて、ここのところ、保温下着に凝っている。今日はシマムラのファイバーヒートの3点セットを着こんできた。それなりに快適なものではあるが、ヒートテックにやや分があるようだ。ぶなじろうさんではないが、2枚重ねなら、いずれを着ても寒中ではべストだろう。山道具屋で売っている高い下着には縁が無い。今後とも、下着の体験を積み重ねてみることにしよう。


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4 コメント

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ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2011-01-19 05:53:44
おはようございます。
何と申しますか、そこまで真田ファンですか。『真田太平記』第3巻程度では、まだまだついていけませんね。へたなことも言わないようにします。
岩櫃山は短時間で歩ける山ですから、雪のない時期に、じっくりと歩いてみてください。ぶなじろうさんのレポートが楽しみですよ。どんな感慨にふけられるか。
山頂の方はどうでしょうか。あれでは忍びの世界でしょうね。槍を持って越えたとは思えないところでしたが。渡瀬恒彦も草刈正雄も子供の頃は山頂で遊んだのですかねぇ。
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Unknown (ぶなじろう)
2011-01-18 23:00:51
今晩は。
岩櫃城の案内板を見て、目が点になりましたです。
以前生意気にも「真田氏に属したのは意外に遅く・・・」などと書き込みしていましたが、案内板によると、幸隆の時代に武田氏に属していたようで、冷や汗ものです。
先程、あわてて本を斜めに読みし直しました。
結果、「古今沼田記」海野長門守・能登守兄弟による奪取後、真田氏(昌幸)(武田氏)に譲渡。「羽尾記」同上。「滋野世紀」「沼田記」に異伝あり。でした。
多少、ホッとしました。地元での調査・研究の結果の記述でしょうから、案内板のほうが、より真実に近いのでしょう。

山の方は、思い描いていたよりも険しそうに感じました。こんな所に城があったのかと。城跡を良く見てみたいので、雪の無い季節に行ってみようと思いました。

海野能登守による岩櫃城奪取は、雪の降る大晦日の晩から始まります。写真のような風景だったのでしょうか。戦闘はありません。三船敏郎顔の能登守が、斉藤摂津守(案内板は越前守ですね)にギラリと名刀を突きつけたのです。

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ハイトスさん (たそがれオヤジ)
2011-01-18 22:07:59
こんばんは。
チャレンジャー精神旺盛だなんて、買いかぶりです。無鉄砲か加減知らずなだけの話ですよ。
私、正直のところ、こういう岩場の山は嫌いですね。趣味ではありませんね。地味な尾根歩きが性に合っています。再認識した次第です。全コースを歩きましたから、まっ、もう行くこともないでしょうけど。
次回は、ハイトスさんルートを参考にしながら、三床山にでも行ってみます。この時期、きっと、そちらの方が充実の山歩きを体験できるでしょう。
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なんという季節に (ハイトス)
2011-01-18 19:31:29
真冬に岩櫃に登ろうとする人が居るとはなんとまぁ・・です。
しかもたそがれさん以外にもいたとは余計に驚きです。
私にはとっても出来ませんし、考えもしませんよ。
難易度が格段に上がりますからね。
とにかくご無事で何より。
この類の山(高岩、表妙義)はあまり好まないたそがれさんだと思っていましたが・・あえて結構困難に挑戦するとはチャレンジャー精神旺盛でそれはそれは素晴らしい事です。
我らは里山でひなたぼっこ登山でした。

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