◎2009年12月30日(水)―1人
「日光修験 三峯五禅頂の道」なる高い本(4,935円)をネットで買ったはいいが、自分にはちと難解。一種の研究書、専門書の類だね。通勤電車の中で西村京太郎やら梓林太郎の本ばかり読んでいる身には内容がハイ。放り出しっぱなしにしておくのも、値段が値段だけに抵抗があり、実体験すれば、少しは取り組み安くなるのではないかと期待し、古峰原まで出かけた。本来なら、古峯神社から出発し、深山巴の宿、行者岳を経由し、地蔵岳に向かうのが正当だろうが、これを適当にパッケージ版にし、車は途中に置き、コースは古峰原林道から。帰りに行者岳経由と、逆コースにした。この方が楽そうだったからの理由。古峰原峠から歩くのは、地形図を見る限りきつそう。この体たらくでは行者さんとの心身一体は期待できないかも。
年末の東北道の混雑が気になったが、至ってスムーズ、やはり金銭の威力。ナビに従ったら、栃木インターで下ろされ、地元の人しか通らないようなややこしい寂しい道をずっと走らされた。館林から入るように指示するのを散々無視し、経済的な理由から、佐野から入ったのが余程、腹に据えかねたのだろう。それにしても、9月に羽賀場山に行った時は、古峯神社の手前なのにためらいもせずに鹿沼インターを指示していた。気まぐれなものだ。7時過ぎに神社到着。雪を期待していたのだが、神社周辺にはまったくなし。しばらく上まで車を走らせたが、本当に雪はないね。路面の凍結すらない。がっかり。せっかく、ワカンまで持参したのに残念でした。車を戻し、カーブ20付近に空いたスペースがあったので、ここに車を駐める。7時30分出発。念のため、杖2本とアイゼンは持った。結果的に、両方ともにまた使うことはなかった。
(林道をしばらく歩く)
(ハガタテ平から地蔵岳方面)
林道ゲート7時37分。林道をひたすら歩く。重機が2台も置かれている。何を工事しているのか不明。伐り出し関係なら、このままでも十分に広い道。土砂崩れするような斜面もない。その証拠に、この林道にはコンクリートの法面がない。天気がどうもぱっとしない。熊が向こうから歩いてきても不自然ではないような、うらぶれた林道。気分まで陰鬱になってくる。林道に沿った沢・地蔵沢は、帰路に通った足尾沢と同様に、永久禁漁区のようだ。林道の終点とおぼしき所に8時10分着。ここからは作業道らしき道になる。ようやく雪が出てきたが、まだ、雪が付いている程度。薄暗い林の中をただ歩く。やがて作業道から別れる。日光・細尾峠方面の古びた表示板。沢を何回か渡る。いずれも大した沢ではない。これまでの雰囲気に輪をかけたような薄暗い林を上がって、ようやくハガタテ平。9時。ちょっと、あっけなく着いてしまった。地蔵岳方面を見ると、山頂は白くなっている。木々には霧氷がへばりついていて白い。寒々としている。
(地蔵岳の金剛堂)
尾根を直登するのかなと思ったら、登山道は途中から大きく迂回する。随分と長く感じながらも9時30分、地蔵岳。かしげた石祠(金剛堂)がある。この石祠には記憶がある。20年前に、細尾峠からここまで歩いたことがあった。祠の中を見ると、御札が複数ある。熊野修験が納めた御札もあった。ここは、それなりの由緒ある修験道なのだろう。下る時にも気付いたが、ハガタテ平も含め、要所に御札が納められていた。ちなみに、熊野修験の日付は先月の11月。冬峯行路に合わせてのお参りであろうか。素人的に白装束とワラジで歩いたのか気になるところ。雪道になったが、今のところつぼ足で歩ける。アイゼンは必要ない。雪の上の足型は4人程度だろうか。新しいのはない。
(夕日岳からの好展望。正面に男体山が見えるはずだったが)
三ツ目9時43分。ここからの足跡は夕日岳だけ。細尾峠に向かう足取りは無い。ここからワカンの跡が出て来た。ちと大げさとは思ったが、せっかく持って来たのだからと履いてみたという心境は理解できる。ちょうど一年前、金峰山に行った時も、林道にスノーシューの跡を見て首をかしげた。それと同じだろう。下りで2回、滑って転ぶ。大きな岩がごろごろしている。10時夕日岳。見事に何も見えない。ここまで来て、こんなのありかよ、男体山くらい見せてよと言いたいところ。昔の記憶では、四方が木に囲まれたただのピークだったが、今は、天気が良ければ、日光の山々が見渡せるような展望地になっているのだろう。余計に残念だ。
(木の間にようやく男体山)
セルフ写真を撮ってさっさと下る。展望がなければ用事はない。来た道をそのまま戻る。下りには気を遣ったが、凍り付いたところはなく無事にハガタテ平。10時50分。いよいよここからが修験道前半の核心部か。雪は残っているが、歩く道に雪はない。周囲に付いた雪が、いかにもマダラになってきたない景色になっている。まして、バックは枯れた風景。薄汚れた感じになってしまっている。何とも気が滅入る。せめて、右側にようやくちらちら見え出した男体山の写真を撮りたいのだが、木がじゃまをして、樹間越しに写真を撮っても、山そのものは全然写っていない。これがずっと先、稜線ぞいに続く。
(一気に下ってかなり登るように見える)
アップダウンを繰り返す。不思議なもので、ここのアップダウンは、次第に標高が低いところに向かっているから、上から見下ろすと、一気に下ってとてつもなく這い上がる感じに見えるが、意外とあっさりとアップにたどり着く。これが逆コースだったら、やはりつらかっただろうな。やはり、往時の行者とは心身一体にはなれないかな。
(人工的にも見える岩棚)
竜ノ宿。大岩の塊が点在する。岩屋だったのだろうか。ちょっと離れたところに、人工的な岩の積み重ねを見つけて行ってみる。平たい岩を大岩の間に通している。お供えの棚? これは人の手が加わっているものだろう。唐梨子山11時18分。どう調べても、読み方の正解が見つからない。からなしやま? ここにも御札。イノシシの掘り返したような跡があちこちにある。鹿が斜面を走って行く。大岩山11時48分。淡々と記しているが、展望に恵まれず、同じ風景の中をずっと歩いていると、自然に、ただ義務的に歩いているといった感じになってしまう。
(金剛童子)
(コース唯一の好展望地。日光白根山がかすかに確認できたが)
エリアマップには、行者山の手前、進行方向右手に「金剛童子」と記されているが、これは左手にあった。小さな祠。金剛童子を祀った祠だろうが、扉部分に記された文字を読むと、享保年間の建立。修験僧らしき何とか坊亮貞が寄進したものらしい。一旦下って行者岳。12時23分。最後の登りと思ったが、そうでもなかった。しかし、ハガタテ平から長い。いい加減に飽きた。行者平の先にようやく好展望のスポットがあった。といっても、奥白根山らしき山が見えるだけの冴えない眺望。
(大天狗之大神)
(深山巴の宿)
ようやく下山かと思ったところに大天狗之大神。鳥居の門構えは立派だが、何だか、廃屋に残された神棚といった風情になってしまっている。ごちゃごちゃ。手前に立てかけていた「オウム信者絶対阻止」の看板も、その風情のなさに一役かっている。右手に行者沼を見て、1時4分、車道に出た。この延長線上に巴の宿があるのかと思っていたが、どこにあるのだろう。大神から先には、表示もなかった。そのまま車道を下る。左手の高台にお稲荷さん。東屋のある古峰原峠に着く。1時10分。ここは関東ふれあいの道。通洞駅まで8.4kmの表示。足尾まで歩く人がいるとは思えない。案内板を見ていると、この先600mのところに巴の宿がある。行ってみる。何となく神仙な雰囲気がするものの、石祠、石碑は昭和のもの。不動明王の像だけは時代を感じる。せめて、勝道上人にちなんだ何かが欲しかった。ただ、修行したという説明書きだけでは。
(へつり地蔵のお堂)
東屋に戻り、ラーメンをつくって食べる。ここは陽が出ていてポカポカして気持ちがいい。やたらと烏が鳴いていてうるさい。ふれあいの道を下る。「へつり地蔵」。説明板を読んでいて恐くなった。巴の宿での行のつらさに耐えきれず、逃げた修行僧が殺されてしまうなんていうのは恐ろしい話。お堂に上がってみたら、最近供えたらしいミカンが下に転がっていたので戻した。このお堂の中に、タヌキの置物があるのは悪ふざけか?
(山神碑)
車道をショートカットしながら、下る。途中、林の中に、山神と彫られた石碑が置かれていた。大岳の入口にもあった。ただの山岳信仰だろうか。気になった。14時30分、駐車地。天気のせいか、ずっと冴えない気分での山歩きだった。正月は例の本を改めて読み返してみるか。今日はだれにも出会うことはなかった。暮れのどんづまり、こんな山を酔狂にふらふら歩いているのもオレくらいのものだろうが。帰りの東北道は上下線ともに空いていた。むしろ、上り線の方が車量は多いくらいだ。
「日光修験 三峯五禅頂の道」なる高い本(4,935円)をネットで買ったはいいが、自分にはちと難解。一種の研究書、専門書の類だね。通勤電車の中で西村京太郎やら梓林太郎の本ばかり読んでいる身には内容がハイ。放り出しっぱなしにしておくのも、値段が値段だけに抵抗があり、実体験すれば、少しは取り組み安くなるのではないかと期待し、古峰原まで出かけた。本来なら、古峯神社から出発し、深山巴の宿、行者岳を経由し、地蔵岳に向かうのが正当だろうが、これを適当にパッケージ版にし、車は途中に置き、コースは古峰原林道から。帰りに行者岳経由と、逆コースにした。この方が楽そうだったからの理由。古峰原峠から歩くのは、地形図を見る限りきつそう。この体たらくでは行者さんとの心身一体は期待できないかも。
年末の東北道の混雑が気になったが、至ってスムーズ、やはり金銭の威力。ナビに従ったら、栃木インターで下ろされ、地元の人しか通らないようなややこしい寂しい道をずっと走らされた。館林から入るように指示するのを散々無視し、経済的な理由から、佐野から入ったのが余程、腹に据えかねたのだろう。それにしても、9月に羽賀場山に行った時は、古峯神社の手前なのにためらいもせずに鹿沼インターを指示していた。気まぐれなものだ。7時過ぎに神社到着。雪を期待していたのだが、神社周辺にはまったくなし。しばらく上まで車を走らせたが、本当に雪はないね。路面の凍結すらない。がっかり。せっかく、ワカンまで持参したのに残念でした。車を戻し、カーブ20付近に空いたスペースがあったので、ここに車を駐める。7時30分出発。念のため、杖2本とアイゼンは持った。結果的に、両方ともにまた使うことはなかった。
(林道をしばらく歩く)
(ハガタテ平から地蔵岳方面)
林道ゲート7時37分。林道をひたすら歩く。重機が2台も置かれている。何を工事しているのか不明。伐り出し関係なら、このままでも十分に広い道。土砂崩れするような斜面もない。その証拠に、この林道にはコンクリートの法面がない。天気がどうもぱっとしない。熊が向こうから歩いてきても不自然ではないような、うらぶれた林道。気分まで陰鬱になってくる。林道に沿った沢・地蔵沢は、帰路に通った足尾沢と同様に、永久禁漁区のようだ。林道の終点とおぼしき所に8時10分着。ここからは作業道らしき道になる。ようやく雪が出てきたが、まだ、雪が付いている程度。薄暗い林の中をただ歩く。やがて作業道から別れる。日光・細尾峠方面の古びた表示板。沢を何回か渡る。いずれも大した沢ではない。これまでの雰囲気に輪をかけたような薄暗い林を上がって、ようやくハガタテ平。9時。ちょっと、あっけなく着いてしまった。地蔵岳方面を見ると、山頂は白くなっている。木々には霧氷がへばりついていて白い。寒々としている。
(地蔵岳の金剛堂)
尾根を直登するのかなと思ったら、登山道は途中から大きく迂回する。随分と長く感じながらも9時30分、地蔵岳。かしげた石祠(金剛堂)がある。この石祠には記憶がある。20年前に、細尾峠からここまで歩いたことがあった。祠の中を見ると、御札が複数ある。熊野修験が納めた御札もあった。ここは、それなりの由緒ある修験道なのだろう。下る時にも気付いたが、ハガタテ平も含め、要所に御札が納められていた。ちなみに、熊野修験の日付は先月の11月。冬峯行路に合わせてのお参りであろうか。素人的に白装束とワラジで歩いたのか気になるところ。雪道になったが、今のところつぼ足で歩ける。アイゼンは必要ない。雪の上の足型は4人程度だろうか。新しいのはない。
(夕日岳からの好展望。正面に男体山が見えるはずだったが)
三ツ目9時43分。ここからの足跡は夕日岳だけ。細尾峠に向かう足取りは無い。ここからワカンの跡が出て来た。ちと大げさとは思ったが、せっかく持って来たのだからと履いてみたという心境は理解できる。ちょうど一年前、金峰山に行った時も、林道にスノーシューの跡を見て首をかしげた。それと同じだろう。下りで2回、滑って転ぶ。大きな岩がごろごろしている。10時夕日岳。見事に何も見えない。ここまで来て、こんなのありかよ、男体山くらい見せてよと言いたいところ。昔の記憶では、四方が木に囲まれたただのピークだったが、今は、天気が良ければ、日光の山々が見渡せるような展望地になっているのだろう。余計に残念だ。
(木の間にようやく男体山)
セルフ写真を撮ってさっさと下る。展望がなければ用事はない。来た道をそのまま戻る。下りには気を遣ったが、凍り付いたところはなく無事にハガタテ平。10時50分。いよいよここからが修験道前半の核心部か。雪は残っているが、歩く道に雪はない。周囲に付いた雪が、いかにもマダラになってきたない景色になっている。まして、バックは枯れた風景。薄汚れた感じになってしまっている。何とも気が滅入る。せめて、右側にようやくちらちら見え出した男体山の写真を撮りたいのだが、木がじゃまをして、樹間越しに写真を撮っても、山そのものは全然写っていない。これがずっと先、稜線ぞいに続く。
(一気に下ってかなり登るように見える)
アップダウンを繰り返す。不思議なもので、ここのアップダウンは、次第に標高が低いところに向かっているから、上から見下ろすと、一気に下ってとてつもなく這い上がる感じに見えるが、意外とあっさりとアップにたどり着く。これが逆コースだったら、やはりつらかっただろうな。やはり、往時の行者とは心身一体にはなれないかな。
(人工的にも見える岩棚)
竜ノ宿。大岩の塊が点在する。岩屋だったのだろうか。ちょっと離れたところに、人工的な岩の積み重ねを見つけて行ってみる。平たい岩を大岩の間に通している。お供えの棚? これは人の手が加わっているものだろう。唐梨子山11時18分。どう調べても、読み方の正解が見つからない。からなしやま? ここにも御札。イノシシの掘り返したような跡があちこちにある。鹿が斜面を走って行く。大岩山11時48分。淡々と記しているが、展望に恵まれず、同じ風景の中をずっと歩いていると、自然に、ただ義務的に歩いているといった感じになってしまう。
(金剛童子)
(コース唯一の好展望地。日光白根山がかすかに確認できたが)
エリアマップには、行者山の手前、進行方向右手に「金剛童子」と記されているが、これは左手にあった。小さな祠。金剛童子を祀った祠だろうが、扉部分に記された文字を読むと、享保年間の建立。修験僧らしき何とか坊亮貞が寄進したものらしい。一旦下って行者岳。12時23分。最後の登りと思ったが、そうでもなかった。しかし、ハガタテ平から長い。いい加減に飽きた。行者平の先にようやく好展望のスポットがあった。といっても、奥白根山らしき山が見えるだけの冴えない眺望。
(大天狗之大神)
(深山巴の宿)
ようやく下山かと思ったところに大天狗之大神。鳥居の門構えは立派だが、何だか、廃屋に残された神棚といった風情になってしまっている。ごちゃごちゃ。手前に立てかけていた「オウム信者絶対阻止」の看板も、その風情のなさに一役かっている。右手に行者沼を見て、1時4分、車道に出た。この延長線上に巴の宿があるのかと思っていたが、どこにあるのだろう。大神から先には、表示もなかった。そのまま車道を下る。左手の高台にお稲荷さん。東屋のある古峰原峠に着く。1時10分。ここは関東ふれあいの道。通洞駅まで8.4kmの表示。足尾まで歩く人がいるとは思えない。案内板を見ていると、この先600mのところに巴の宿がある。行ってみる。何となく神仙な雰囲気がするものの、石祠、石碑は昭和のもの。不動明王の像だけは時代を感じる。せめて、勝道上人にちなんだ何かが欲しかった。ただ、修行したという説明書きだけでは。
(へつり地蔵のお堂)
東屋に戻り、ラーメンをつくって食べる。ここは陽が出ていてポカポカして気持ちがいい。やたらと烏が鳴いていてうるさい。ふれあいの道を下る。「へつり地蔵」。説明板を読んでいて恐くなった。巴の宿での行のつらさに耐えきれず、逃げた修行僧が殺されてしまうなんていうのは恐ろしい話。お堂に上がってみたら、最近供えたらしいミカンが下に転がっていたので戻した。このお堂の中に、タヌキの置物があるのは悪ふざけか?
(山神碑)
車道をショートカットしながら、下る。途中、林の中に、山神と彫られた石碑が置かれていた。大岳の入口にもあった。ただの山岳信仰だろうか。気になった。14時30分、駐車地。天気のせいか、ずっと冴えない気分での山歩きだった。正月は例の本を改めて読み返してみるか。今日はだれにも出会うことはなかった。暮れのどんづまり、こんな山を酔狂にふらふら歩いているのもオレくらいのものだろうが。帰りの東北道は上下線ともに空いていた。むしろ、上り線の方が車量は多いくらいだ。
色合いが無く、曇天では、気分も滅入りますね。
先週、清滝あたりから見た時は結構白くなっていたんですが、溶けちゃったんですかね。
このコース、南面なので、余計雪が無かったのかもしれませんね。
雪が多くなる頃を見計らって、このあたりを徘徊してみようと思っています。