たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

船ケ鼻の昭和村ルートは赤ペンキで賑やかなコースだった。

2017年06月05日 | 赤城山周辺
◎2017年6月4日(日)

駐車場(7:11)……動物たちへの合図の鐘(7:38)……大楢の木(8:23)……つつじ平(8:45)……鉄塔(8:51)……牛石コース分岐(8:55)……船ケ鼻(9:06~9:14)……崩壊地(9:40)……沼田通り分岐(9:58)……1366m標高点(10:32)……林道合流(10:57)……牛石コース合流(11:36)……作業道分岐(11:42)……駐車場(12:31)

 土曜日にちょっと長い歩きをするつもりでいたが、直前になって都合が悪くなり、終日、家で留守番をしていた。さりとて翌・日曜日にロング歩きをするわけにもいかず、3月末に積雪が多くて途中で撤退した船ケ鼻の昭和村ルートのリベンジ歩きをすることにした。
 実は、一週間前に高木から船ケ鼻を誘われ、その気になっていたのだが、前日に詳細を聞けば、群馬県山岳連盟主催の山行で、彼はそのスタッフのようで、コースは大沼側からのピストン、さらに参加者は80人とのこと。どうも自分には似合わない歩きなので、行くのはヤメにしていた。

(今日の船ケ鼻)


(反対方向。谷川岳は雲の中)


 シカ除けのゲートを開いて駐車場に向かう。7時になるというのに、車はおろか、人の気配がまったくない。昭和村がせっかく整備したハイキングコースなのに、利用者は少ないようだ。
 地下タビを履くのに手こずった。いつもならコハゼがさくっと収まるのに、今日は勝手が違う。厚い靴下を履いたせいだろうか。無理矢理に差し込んで出発したが、ちょっとばかり嫌な予感がする。

(オシダが生い茂る。)


(鈴ヶ岳が見えてくる)


 3月の風景との違いは雪の有無程度のものだが、周辺にはシダの仲間がやたらと繁茂している。これ、オシダというのだそうだが、子供の頃には、喰えないワラビがこうなるものとばかりに思っていた。オシダはこの一帯の裾野に延々と暮らしていて、さながらオシダの森といった感じになっている。霧雨でガスが濃い時は不気味な光景になるかもしれない。

(「幸福の鐘」に難なく着いた)


(明瞭な道が続いている)


(湿っているだけの沢を渡る。まだペンキのうるささは感じていない)


 「動物たちへの合図の鐘」(幸福の鐘)に到着。鐘を3回叩く。前回はここまで50分。今日は30分もかからなかった。ただの林道歩きなのに、雪の有無でこうも違う。
 この先、明瞭な道が続いていた。3月の時には赤ペンキ、テープ頼りに歩いていた。こうもはっきりした道になると、むしろこんなに目印ペンキが必要なのかと思うようにもなる。これが山頂まで続き、しまいにはうっとうしくなってしまった。ペンキの塗り方もまたバカ丁寧というか、ベットリとぶ厚く塗っている。とにかく、目に付くものには先ずはペンキ塗りといった感じで、これでは、静かな山歩きを楽しむといった気分からは程遠いものになってしまう。
 今日は、往路は楢水コース、帰路で牛石コースの一部を歩いたが、少なくとも歩いた既成コース区間には赤ペンキが延々と続いていた。登山道から外れたところにペンキはない。目印ペンキであることはほぼ確実。こういう中での歩きは自分には初めての体験だった。

(ガンバろうの岩)


(3月の時にはこの辺で苦戦して撤退した。これではちょっと信じがたい)


 冬枯れと、この新緑の時期とでは森の風景も違うが、点在する岩を見て、3月の歩きを思い出す。「ガンバろう 山頂→」の標識も健在だ。前回撤退した場所にさしかかる。手がかり、足がかりもなく先に進めなかったが、今は苦も無く道通しに登って行ける。少し急になってきたが、要所にロープも張られているし、クネクネと上に向かい、急登であえぐといったほどのところはない。

(次第にペンキが気になりはじめた。道はしっかりとしていて迷いようもない)


(大楢の木)


 「大楢の木」に到着。標識には「推定樹齢100年以上」とある。これがナラの木として巨木の部類に入るのかどうか、自分にはよくわからない。ここは何となく落ち着くところだ。これまでのちょっとした登りから解放されるといった気分的なものもあるのかも知れない。

 大楢の木を過ぎるとゆるい登りになった。さすがにオシダは少なくなった。単調な風景が続く。たまに奇怪な鳥の鳴き声を聞いてはびくりとする。さて、今日は肌寒い。気温計を見ると13℃くらいしかない。上に行くにしたがって風も出てきているから、余計に寒く感じる。今日は上に被るものも持ってきていない。合羽を着ようかなと思ったりしたが、結局は面倒でそのままで歩いた。やはり薄いシャツだけでは足りなかったようで、家に帰ったら、鼻がつまり、風邪気味になってしまった。

(こんな標識には、地元の熱意も感じるのだが)


(こんなのや)


(こんなのではべタ塗りと同じだ。いくら何でも山がかわいそうだ。切り株はそのままにしておけばいいのに)


(ペンキさえまばらなら気持ちの良い歩きができるのに…)


(不平タラタラで歩いていると、突如としてこんなのが出てきた)


(群生になっている)


(いいねぇ)


(上に標識があった。「つつじ平」とある)


 「ガンバレ ガンバレ 山頂→」の標識を見て、ほどなくして森から抜け出すと、突然、赤い花の群落が目に入った。ヤマツツジか。今日は期待もせずに来ただけに、これには正直うれしかった。ツボミも結構あるので、ここはこれからか。道標には「つつじ平」とある。なるほど。伐採地だったようで、展望が良い。榛名方面の山並みが見えている。一回、こういうツツジを見てしまうと、欲望も限りなくなるものだが、結局、まっとうなツツジを見たのはここだけだった。

(巨大な鉄塔)


(ここは鐘の鳴る丘といったところだ)


 先に行くと、左手に鉄塔が見えてきた。あれが巨大鉄塔か。東電東群馬幹線57。あにねこさんの記事には、高さ122mとある。下から眺めている限りは、せいぜい50~60mにしか見えない。ずっと上を眺めていたら、首が痛くなった。
 ちょっと賑やかなところに出た。ここで牛石コースと合流する。ここにも鐘がある。ふと左手を見ると、さっきの鉄塔の近くに軽トラが1台。何とも興ざめなシーンだが、地図を見ると、下から実線の道が上がって来ている。それがつまりは牛石コースで、車道利用ということのようだ。

(「わらび平」から)


 軽トラは無人。作業か山菜採りか。その傍らに「わらび平」の標識があったので行ってみると、ここもまた伐採地跡らしい。北から東にかけての好展望地だ。ただ、今日は雲が低く、遠望がきかない。鐘のところに戻り、切り株に腰をおろして菓子パンを食べる。

(そして船ケ鼻山頂。何だかごちゃごちゃしている。中央奥が山神様)


 ここから船ケ鼻山頂までは500mとあったが、せいぜい300m程度のものだった。そのためか、ここが山頂か?と通り過ぎるところだった。
 山頂には、木製の山神様と真新しい社が置かれている。いずれも、昨年歩かれたあにねこさんと仮面林道ライダーさんの記事写真には載っていないから、ごく最近設置されたものだろう。いずれも、この場にそぐわない浮いた存在に見える。山頂まで赤ペンキで賑やかにして、ここでまた村祭りにしているのではどんなものかなぁと思ってしまう。

 さて、ここから車道を兼ねた牛石コースを下るつもりはない。野坂峠までは行かないが、あにねこさんとライダーさんの真似をして、この先の破線路を下るつもりでいる。この破線路、「沼田通り」という古道らしい。この沼田通り、北側で二俣になっているが、いずれが正解かは自分にはわからない。ともに林道に吸収されている。

(立入禁止区域に入る)


(期待するほどではない)


(ゴツゴツしてくる)


(白いツツジは地面で見た)


 平坦な尾根を先に進む。尾根幅が狭くなり、岩が出てくる。赤ペンキはこれまでと違って大幅に減少。ところどころにヤマツツジを見るが、かろうじて残っているレベルで、ピンクも含めて大方は下に落ちている。たまに白いのを見つけて見上げると、これが緑の葉にかくまわれ、写真に撮ったところで、光で白はまったく映えていない。
 北面道路を走るバイクのエンジン音がうるさくなってくる。向かう方向から二人連れがやって来た。船ケ鼻ピストンだそうだ。ダンナさんは息を切らせているが、奥さんの方はお元気で、今日のコースをいろいろと聞いてきた。
 たまに右手の展望が開ける。鈴ケ岳も間近になっている。右側は急斜面になっている。このまま崩壊地に続いているのだろう。

(宮標石)


(崩壊地から。地蔵岳は自分ですら電波塔で識別できる)


(崩壊地。右を下って来たが、左下は削れている)



 宮標石があった。利根郡、勢多郡の文字は読めたが、もう一つが読めない。ここは渋川市と昭和村の境界だ。
 ロープが出てくる。小ピークに出て下りかけると、ここが崩壊地。崩壊は右。左は問題なく通れるので、通過に危険が伴うほどのものではないが、上から見ているよりも、先に行って上を覗いた方が崩壊の激しさが窺い知れる。ここは展望地でもあり、地蔵岳も見えてくる。
 この辺にある小ピークが和久土也山と言うらしい。以前、和久土也山(北面道路を挟んだ東側ピーク。1400.4m三角点峰)に行こうとして、ネットで調べると、この付近にも和久土也山というのがあった。しかし、ありきたりな山名ではない。併存するというのもおかしい。どちらかが間違っていよう。

(後で考えると、ここの町境をそのままに下ればよかったかも)


 その先、赤ペンキの目印とともに、左に踏み跡が続いている。地図を見ると、1460mから北に下る尾根になっていて、昭和村と沼田市の境界線が通っている。どうせ同じところに出るのだから、これを下るのもいいかなと思ったが、それでは沼田通りがなくなってしまう。行きかけて戻った。

(1480m小ピーク。ここから北に下る)


 正面に野坂峠と薬師岳が見えてくると、1480mの小ピーク。ここから北に下る。地図に破線路があるとはいっても、地形的に尾根伝いとか沢沿いになっているわけではない。必然的に踏み跡、テープ類の追いかけとなる。コンパスを合わせて下る。

(初っ端からえらく薄い踏み跡)


(ササのないところでは一時的に明瞭になったりする)


(ペンキもあってまだわかるが、すでに古道の破線からは外れている)


 しばらくはうっすらとして踏み跡と古い赤テープ、ペンキが残っていて追うことができた。だが、GPSを見ると、すぐに破線路から東に外れてしまっていた。破線路方向に戻ろうとしたが、そちらに確実なルートが残っているとも思えない。このまま行くことにした。これで沼田通りはあっ気なく終了。

(おかしな方向に下っていた。写真では撮れていないが、右先は谷底になっていて、かなりヤバい状況になっている)


(這い上がる)


 どこでどう間違えたのか、踏み跡のつもりで窪みを追って行くと、急峻な谷間に入り込み、さらに下ろうとしていた。目印を見ることもなくなって久しい。コンパスを出すと、90度違いの方向に向かっている。北に行くべきを東に下っていた。軌道修正して登り直すが、斜面はもろく急だ。四つん這いになって幾分平らな尾根上のところに出た。ここでペンキが復活した。ここなら安心と、GPSで確認すると、予定外の1366m標高点下にいた。下から60mほど登り上げたようだ。

(1366m標高点付近。まさかライダーさんの後追いになるとは)


(目印に合わせて下る)


(左に作業道のようなものが覗いている)


 1366mで休む。ライダーさんはここを通過されているから、もう問題はないだろう。しかし、沼田通りからは大幅に東にずれてしまった。
 結局は尾根筋を下ることになった。踏み跡も目印もある。左・西側を見ると、ここよりも低くなっているところに作業道らしきものがチラチラと見えるが、どうせこのまま行っても林道に出るだろうと、そちらには行かなかった。後であにねこさんの記事で確認すると、その作業道は沼田通りが二俣になった東側の破線路のようだった。

(林道に出る)


 林道に出てほっとする。今日もムダな歩きをしてしまったか。こうなるのなら、地形がはっきりした境界線を下るべきだったようだ。
 林道に出て歩き出す。すぐに先ほど見えた作業道が左から合流。その先、カーブのところで二俣の西側の破線路入口を覗いてみる。テープがあるところに入ると、テープはすぐになくなり、うっすらと道型が残っている。しかし、これは方向違いで南に向かっている。南東側を調べると、こちらにも道型のようなものは見えたが、すぐに消えている。つまり古道は残っていないということだろう。ということにしておく。

(振り返って。左からやって来た。右から牛石コース。間の岩はあにねこさんによると牛石らしい。気になって戻って見直したが、どの角度からも牛には見えなかった)


 林道はいつしか舗装道になって、左から牛石コースの分岐道が入ってくる。道標には登山口まで3.7kmとある。あと1時間は歩かないと。このまま舗装道を歩くのはつらい。持参したスニーカーをザックから出すと、左足のソールがガバガバに剥がれていた。これでは小石も入る。地下タビのままの方がまだましだ。

(作業道に入る)


(三つ目の鐘)


 結果として余計な心配だった。牛石コースは先で林道から分岐し、作業道のような道をずっと行くことになり、足の痛みを危惧することはなかった。しかし、この作業道に入ってからもうるさい赤ペンキをあちこちで見かけた。
 途中でまた鐘を見た。楢水コース、牛石コース合わせ少なくとも3か所に鐘が置かれている。考えようによっては、ペンキも含め、賑やかな歩きが好きな方には向いているかもしれない。

(雰囲気の良い歩き。轍があるのが気に入らないが)


(ここでまた出口のドアを開ける)


(子持山が正面に。ちょっとした尾瀬の風景)


(車が増えてはいるが、何だか寂し過ぎないか)


 シカ除けゲートを出ると真正面に子持山。辺りは広々としている。駐車場に戻った。
 駐車場には、まさか自分の車だけということはないだろうと思っていたが、他に4台の車があった。いずれも群馬ナンバーだ。計5台か。日曜日だというのにやはり寂しいコースなんだなぁ。

 外のゲートは開いたままになっていた。ここを締めるべきか迷ったが、もし地元の方がやったことだとしたら余計なことをしてということにもなる。そのままにしておいた。
 時間は早いが、他に用事もないので高速でさっさと帰る。今さらながら、あにねこさんのように、薬師岳まで行けば良かったかなと少々後悔している。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

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10 コメント

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よつこ様 (たそがれオヤジ)
2017-07-30 11:05:01
よつ子様、初めまして、こんにちは。コメントありがとうございます。
船ケ鼻山を登るに際し、あにねこさん歩きの参考ページであるよつこ様の記事も拝見いたしました。さすがに、私が歩いた前日の記事は後でも気づきませんでしたが。
あの宮標石、「赤城根」ですか。今になって、三方向から撮った写真を確認いたしましたが、解読能力の不足で、どうも字の輪郭もそうは読み切れないところですが、昭和31年まで「赤城根村」というのが存在したことを考えると頷けるところです。
古地図を見ると、確かに赤城根村というのがこの界隈にありますね。あの辺にも集落があったということ自体が不思議な気もいたします。
私は太田市に住んでいますので、その反対側から赤城山に登るということは滅多にありませんが、この時の歩きは、正直のところペンキがうるさいところだなといった思いはありましたが、大沼の方から歩いて行くのに比べて、静かな歩きを楽しめるところだなといった印象が強くあります。いずれ、昭和村をベースにした歩きをまたやりたいと思っております。
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宮標石の名 (よつこ)
2017-07-28 07:52:35
はじめまして

昭和村在住のよつこと申します。
たそがれオヤジさんとは1日違いで
6月3日に船ヶ鼻山に行っています。
利根郡、勢多郡の他の分からないとおっしゃっていたのは、赤城根です。
昔そういう地区があったそうです。

昭和村側から船ヶ鼻山に登るハイカーさんが徐々に
増えているようなので住人としては嬉しい限りです^^
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瀑泉さん (たそがれオヤジ)
2017-06-08 09:08:42
瀑泉さん、こんにちは。
まぁリベンジです。疲れもしませんでした。元から、お仕着せコースでは物足りないと思っていたので古道コースを加えてみたりしましたが、運よく古道を歩けたとしても、さして面白味のない歩きになりました。赤城の北側はさして魅力がないというのが結論ですね。
赤ペンキは国有林の境界ですか…。植林帯と思しきものは下にはありましたけどね。まして、かなり新しいペンキでしたからどうなのでしょうか。
瀑泉さん、掃除初めの歩きでしたか。意外と、古いのは気にもならないのですが、新しい物ほど気になるのですよね。
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ふみふみぃさん (たそがれオヤジ)
2017-06-08 09:08:15
ふみふみぃさん、こんにちは。
日曜日のこちら方面、雲は多かったですが、周辺の山は見えましたね。ただ、遠望はきかず、谷川岳や武尊山は見えませんでした。風は冷たく、大小山の気持ちの良いハイクといった感じにはなりませんでした。ルートを外れた時には、雲が下まで来て、これヤバいなといったところでしたけどね。
昭和村の整備したコース、歩くには良いコースなんですけど、こうペンキで賑やかなのもうっとうしいものです。昨年の開通以来、早速、遭難者でも出たのでしょうか。
ふみふみぃさんのおっしゃるように、私のような物好きがお試しで歩いてみましたが、まず二回目はないですね。
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ハイトスさん (たそがれオヤジ)
2017-06-08 06:06:23
ハイトスさん、こんにちは。
ハイトスさんがこの山に行かれた記事は拝見いたしましたが、大沼側からとなるとどうしてもピストンになってしまう。それでは面白くないので、大回りして昭和村まで出かけましたが、やはり、山そのものがあっけない山で、今回のように既成のコースを変えるか、ルートミスをしない限りは変化がないですね(笑)。それと、前後の林道歩きを除けば、山の歩きには大した時間もとられませんでした。
ただ、ペンキを除けばの話になりますが、大沼側から来ると狭っ苦しい所の歩きになるのではと思いますが、こちらのコースはずっと広い所を歩きますから、気分も良いかと思います。
船ケ鼻の山頂ですが、何だか、有志がそれぞれに持ち込んだといったイメージがありました。それはそれで昭和村の熱意も感じるところです。
オフ会記事、拝見いたしました。年に一回、そういう仲間がファミリーで集まって歩くのはうらやましくもあります。私にはあり得ないことですし。自堕落とはいっても、仕事が何かと忙しいのではしょうがないですね。
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Unknown (瀑泉)
2017-06-08 00:23:14
船ケ鼻のリベンジ,お疲れ様でした・・・と言うほどのことも無かったというワケですネ(笑)。
初夏の風景を見てしまうと,確かに何でこんな処でという気にもなりますが,やはり人が滅多に入らない雪山でしょうから,そう簡単にはいかないという事でしょう。
ところで赤ペンキ,確かに目障り極まりないですが,もしかして国有林境界の目印ということは無いですかネ。
少し前,大小山を歩いた時に,でんさんから教えてもらったモノですから。
まぁ,赤ペンキではありませんが,土曜に歩いた尾根(其方は,たそがれオヤジさんもお歩きになってますが)も,随分,騒がしくなっていたので,掃除をしてきました。
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Unknown (ふみふみぃ)
2017-06-07 20:32:11
日曜は足利からそちらの方面を眺めて雲が多いかなとも思ってましたが結構明るくて下の方では晴れ間が多いですね。
オシダが茂っているのは小黒檜から適当に下りて行った際も見たような光景です。
ペンキも赤くべったりを見続けるとなんだかくどくて毒々しくも思えますね。登山道というか林業チックですが。がんばれがんばれの標識見たいのをたまに、でいい気もしますが登山道歩きしかしない人のためにはこれくらいやらないと迷子が出るんですかね。
車が少ないようですが私なんかは赤城山の北側まで車で回り込むのがめんどくさいと思ってしまいます。逆に北の方から来る人には都合が良さそうですが、物好きの人がお試しでしか歩かないような気もします。
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船ケ鼻 (ハイトス)
2017-06-07 18:57:08
こんばんは。
昭和村の整備されたハイキングコースということですが、あまりに過度なペンキはいただけませんね。
コース間違いをしないようにと言うことかもしれませんが。
足尾の一件を思い出しましたが、比べてこちらは親切心なのでしょうね。
それにしても頂上の様子はずいぶんと様変わりしてしまいました。

大沼からのピストンですとあっけないですが、こちらはそこそこの時間でチョイとだけルーファンもあって良いですね。
私事ですが5月は結局オフ会歩きだけになってしまいました。
体も足も鍛え直さなくてはと思いつつ、自堕落な生活を送っております。
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みー猫さん (たそがれオヤジ)
2017-06-06 05:47:38
みー猫さん、おはようございます。
今時期のツツジもまた標高がらみですか。だったらちょっと高い薬師岳まで足を運んでも見られなかったということでしょうね。黒檜まで行ったら確実だったでしょうけど。
例の赤ペンキ、山林関係のものとすれば、いくつかの疑問があります。登山道以外にはないことと新しさですね。下った古道ルートには古いペンキがありましたが、それに比べて鮮やかなものでした。私は、だれかが遭難しかけたのでべタ塗りしたものと思っているのですけど。
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Unknown (みー猫)
2017-06-05 23:10:07
こんばんわ。
自分のほうはツツジを観れましたが、正直1400m以上・・・でしたのでもうちょっと標高が必要だったのかもです。茶ノ木平峠で引き返していたら、きっとツツジに関しては同じような状況になっていたはずです。でも、ペンキの付け方は県境の安ヶ森山でもあったので、林業関係ではないんでしょうか?確かにやり過ぎですね。
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