池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

大阪に行くと号泣する。

2012年12月18日 | 独特の感覚
衆議院総選挙が終わり、予想通りの結果を見て今後の日本は
果たしてどうなのであろうかと?
政治家の信用は既に地に落ちている結果が見て取れた。

世を治そうという関心の無き様相は投票率の低さが如実に表している。
というか、どの政党も候補者も私の目からすれば突き詰めた考えを持つでもなく
収支、どの論戦も≪日本再建≫を目指すところに落ち着き
結局、争点もイマイチはっきりしない選挙であったように感じている。
即ち、いかほどに日本が荒廃しているかという事の証明を、
その起源たる政治家自らが作った政策の非を認め政治家が方向転換をして行こう
という訳だから、その発する言葉の信憑性など微塵のかけらも無いのが
私自身の本音心中である。

日本国以外で過激な国民性と隠れた既存国体の転覆を図ろうとする過激組織を
持つ国であれば、このような時、クーデターが起こる可能性を秘めているのでは
ないであろうかと・・・・・・。
今日の午後、我家に向かう山の中腹に住む、ウイスキーのポケットボトル懐に忍ばせて
ちびちびやりながら焚き火をしている京都地紅茶研究所所長としばしの会談を行った。

氏は私が今こうして山村で粛々と計画を立案し実行している事に
関してその行動の早さにいつも驚いていると言っていた。

大阪生まれで大阪育ちで、成人直前に都合で京都に住むようになったが
京都の古い因習と高すぎるプライド故に他者排除の残る地域で住み活動するのは
苦痛だし、少し奇抜な事をすると≪人の目≫が最初に気になる小心な人達も多い。
そんな、旧家の付き合いや遠回しな言い方が嫌味に感じて、
思った事をストレート表現して、真理を返す私にはその相手も私自身も全く馴染めず、
未だに、上賀茂御薗橋を渡るときはヒヤヒヤ物である。
上賀茂神社などは・・・・もっての他。
即ち、影から覗いてヒソヒソ聞こえるように言う方々が多い。
私はそれを見つけると、おもむろに玄関に立ち今何を言ったのか問いただす。
相手は鍵を閉めるがごとく愛想を浮かべ相槌を言うが、
その時には卑屈であろう私の心情が本音を見透かしている。

そんな環境でうまくやっていける訳が無い。

両親にも私に関して旧家の本家や分家や身内に関して私の事でたいそう悩ませた。
若い頃、私の苗字のブランドが嫌で換えようと真剣に考えた事がある。

生まれて18年間は大阪で育った。
大阪市西区阿波座1丁目(旧中通2丁目45番地)私の故郷である。
出生地は大阪市大正区。此処を以前訪ねた事がある。
第二室戸台風以降に作られた防潮堤の高い壁に囲まれた場所で
板葺きの青磁色の建物が残っていた。



阿波座には少しの身内がいてるが高齢で少なくなってきた。
一番悲しかったのが2年前。
両親以外に唯一私の心情を察してくれる理解者が続けて他界した時。

私は人生で初めて孤独の恐怖が近々訪れる事の事実を認識した。
残るは実父一人になった気がした。



最近であるが、大阪市内に入るといつも泣く。
号泣するのだ。
車が運転できないほど泣く。
顔を見せられないほど電車の窓にへばりつく。

新御堂筋の淀川を江坂方面に渡る時、
阪急梅田駅で河原町に向けて特急が発車した時、
阪神高速守口線の扇町のSカーブを守口に向かう時、
地下鉄阿波座駅で九条からの電車を待つ時、
大阪市中央市場本場の夜の灯りが安治川に揺らぐ時。

等々・・・・・。

先日は所用で宿泊した茶屋町の高層ホテルの夜の窓から部屋の明かりをすべて消し
かすかに聞こえる街の喧騒、淀川越しに北方向の大阪の夜景を高い位置から眺めていた。

好きなはずの孤独が怖くて寝られなかった。

大阪の雑多な事象が私には心地よい刺激であるが、その昔ながらなんら変化の無い
人の自由な発想が生み出す雑多の中に居る事による心の安らぎとの別れと
同時に想い出を一瞬回顧した心地よい水中浮遊のような時間とも別れる。
再度、何時でも来れるのにこれで最後と区切りをつけてしまい
辛くて永遠の別れにいつも感じて仕方が無い。

23・4歳の頃、会社の提携した社員食堂でいつも朝飯を食っていた。
朝8時には一仕事終えて飯をたらふく食っていた。
その食堂の窓からは、川が見えた。
安治川が眼下を緑と茶を水彩絵具を洗い水に混ぜたような水面が止まる速さで
日々変わらず左から右に流れていた。
毎朝、同じ時間に引き舟がゴミを満載にした艀(はしけ)を引き下っていく。
緩やかなスピード。引き波も穏やかで護岸への波も低く。
窓辺に席を取りその船が来たら席を立つのが習慣になっていたような気がする。

その時も思ったのだが、私はゴミを積んだ艀のようだと。
不必要なものを一杯積み込まれて、滑るように引っぱられ、
埋立地で排出したらその責は終わる事を毎日繰り返していると。

いつも、そんな艀を見ては自分と艀を同化してしまい、
その訳を憂鬱に感じて≪将来はどうなんだろう?≫と考えていた。

無難な回答だけしか考える事しかできずにいたし、
平凡な回答しか得る事ができずにいた。

今、この歳になるまで生きていれるかどうかも予測はできなかったし、
その時、母の死が訪れている事すら思いもしないし考えもしていない。
どんな生活をしているかも分からなかったし、
どんな生き方をしているであろうも予想ができないでいた。

現在も将来に関して訳の分からぬ事は今までと同様。
若い頃と違うのは残り時間という高速の引き舟に引かれている満載の艀である事。
私は一生≪不必要のゴミを投棄している艀≫なのだと確信を持っている。

大阪ビッグ・リバー・ブルース 憂歌団('88)


久々に、年末は大阪に出てみようかと思う。
クリスマスが良いかも。

皆が楽しそうな喧噪の中で静かに周りを見てみようかと・・・・。

川口町の川口教会はどうだろうか?
子供時代の地元であったが行った事が無いので興味もある。

安治川の流れは変わらぬか?これも見てみたい。
船津橋から・・・・・・。

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