Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

DIE FLIEGENDE HOLLANDER (Fri, Apr 23, 2010)

2010-04-23 | メトロポリタン・オペラ
ドレス・リハーサルから3日経った今日は『さまよえるオランダ人』のシーズン初日です。
今日はおかげさまで前の晩良く寝れまして、体調はこれ以上ないぐらいいいです。
あのドレス・リハーサルで聴いた大野さん率いるオケの緩さや、
ウーシタロやヴォイトのぱっとしない歌は、私の睡眠不足ゆえの幻聴だったのか、、?
そうであることを願う!

そのヴォイトについて、ドレス・リハーサルのレポートでふれずにいてしまったのですが、
あの日は、いくつかマーキング(=フル・ボイスで歌わないこと)していた箇所もあって、
リハーサル仕様の歌唱ではあったので、今日はもしかしたら、
見違える、いえ、聴き違えるような歌を聴かせてくれるかもしれません。



しかし、またしても序曲でがっくり。全然リハーサルと変わってないか、
下手するとさらにまずくなっているくらいか、、?
私が見たところでは、肝心なところでオケにクリアな指示が出ていないように見える箇所があるように感じるんですが、
大野さんがきちんとした指揮のテクニックを持っていないことはないと思うので、
これは一体何なのか、、?と本当に不思議な気持ちです。
もしかすると、ご本人は指示を出しているつもりなのかもしれませんが、オケには伝わってないと思います。
あうんの呼吸というのは、もしかしたら、彼が音楽監督を務めていたモネや、
現在首席指揮者であるリヨンなんかでは期待できた・できるのかもしれませんが、
メトでは大野さんはあまたいる客演指揮者の一人ですし、
与えられた短いリハーサルの間によほどがっちり意図をオケに伝えられたのでなければ、
それをオケに期待するのは危険で、やはりはっきりとした指示ほど強いものはありません。
後、大野さんほど場数を踏んでいる指揮者でそれはないと思いたいのですが、
もしかすると、メトやその舞台に立つ歌手たちに少し気後れがあって、遠慮している可能性もあるんでしょうか?
リハーサルの時と全く同じで、やっぱり自分が音楽をリードして行く!オケも歌手も自分が引っ張る!という感じよりは、
自分はとりあえず指揮するんですが、オケや歌手さんたちに演奏して・歌ってもらって、
ま、それに合わせて僕も振りますんで、というような、”とりあえず”&”なんとなく”感があるのです。
もちろん、時と場合に応じて、歌手に合わせることが必要・大事な場面もありますが、
音楽作りの基本の姿勢、デフォルトがそれというのは、やっぱりちょっとおかしいと思います。
もちろん歌手もオケも、(もしそのような気後れが大野さんにあったとして)大野さんのそんな気持ちとは裏腹に、
当然ながら、そしてそれは正しいことなのですが、オペラの公演の音楽的リードは指揮者がとるもの、と思っているので、
二人の外野手の間に凡打が落ちるような、責任の所在を相手になすりつけるようなエラーになってしまっているのです。
もし、逆に大野さんの頭の中にきちんとした指揮のビジョンがあったというなら、
それは、それを実現させるための指示がオケに伝わっていないということで、
テクニックの問題、もしくは不十分な準備という論点に戻ってしまいます。



私は普段、メディアの批評は一応読みはするものの、私の考えとは一切関係ないと割り切っていますが、
(特にNYタイムズとはしばしば意見が食い違う。)
日本人として、大野さんの今回のメトでの指揮の評価が気になる、という方もいらっしゃると思うので、
いくつかご紹介します。
まず、コンチェルト・ネットのアーリーン・ジュディス・クロツコの評。
”ジェームズ・レヴァインによって磨き上げられたアンサンブルを誇るメト・オケのような優れたオーケストラをしても、
この素晴らしいスコアからどれくらい劇的インパクトを引き出せるかというのは、指揮者の技量にかかっている。
そして、ああ、大野和士の指揮は、残念な失望に終わってしまった。
彼は平たいテクスチャーと変化のないサウンドで塗り固めた演奏でオケを引っ張り、
時に現れるライトモチーフはかろうじてひねり出される、と言ったふうだった。
彼の指揮棒から出る音楽には、ワーグナーが海の力とそして運命の厳しさを表現するために込めた、
必要不可欠なドライブに欠けていた。
代わりに作品の至るところで感じられものといえば、無関心さ、やる気のなさ、である。
大野はしばしば歌手に十分なサポートを与えず、かと思えばオケの音で彼らを沈めてしまうこともあった。
彼の指揮はまた概して舞台で進行していることとのコーディネーションが悪かった。
(中略)
メト・オケにこの指揮はなかろう、、。”
いやー、びっくりしました。自分が書いたかと思う位、同じ意見で。



そしてNYタイムズのアンソニー・トマシーニの評。
”、、、主な問題点は、フィンランドのバス・バリトン、ユーハ・ウーシタロによるオランダ人役の中身のない表現と、
大野和士による、こちらをいらいらさせる指揮、である。
東京生まれの大野氏は、2007年にメト・デビュー、
現在、フランスのリヨン・オペラの首席指揮者を務め、世界中の主要歌劇場で指揮している。
にもかかわらず、このワーグナーの重要な作品で、彼が何をやりたいのか、私にはちっとも理解できなかったし、
結果として出てくる音も無力だった。
ピットの中では彼は動きも大きく、エネルギー豊かだ。
しかし、彼がオーケストラから引き出した演奏は統一感がなく、
時に引き締まってぱりっとしたかと思うと、突然集中力を失い、おざなりになって、
音の入りがばらばらということもしばしばだった。
さらに問題なのは、演奏に様式、ドライブ、ドラマの三つが欠けている点である。
時に、彼の指揮から、軽さ、明晰さを音楽に引き出そうとする意志が伺え、
それはイタリア風のリリシズムという要素を持つこの作品においては、妥当なアプローチではあるのだが、
音楽が薄っぺらく、生気がないものに聴こえることが多すぎた。”
”いらいらさせられる指揮”って、大野さんも大概な言われようですが、
まあ、作品が作品ですし、最低でも期待している躍動感というものがあるので、
それが欠けていたらいらいらもするし、私もしたんですけれども。



それからこちらはサン・フランシスコ・クロニクル紙に掲載されたものなのですが、
自社の批評家を実際の公演に送れない地方紙と同様、共同通信(AP)からの借り物評で済ませてます。
(ただ、SFクロニクル紙は、メトについても、公演によっては自社の批評家のオリジナルの評を
掲載することもあったように記憶しています。)そのAPのロナルド・ブラム評。
”リヨン・オペラの首席指揮者である大野和士はあまりにそそくさと旋律を演奏することを重視して、
顔にしぶきがかかってくる気がようなリアルな海の感覚が犠牲になってしまった。”
え?そ、それだけ、、?
ただ、私の考えではテンポの物理的な数字自体はあまり問題ではなくて、
例えば、クナパーツブッシュの指揮の音源(バイロイト)での序曲など、
物理的な数字では遅いんでしょうが、きちんと緊張感が保たれています。
問題は、このいい意味でのテンション、緊張感がきちんと演奏に保たれているかということで、
これがきちんと感じられるなら、天文学的な数字の速さでも、またこれ以上遅く演奏できません!という亀演奏でも、
どちらでも構わないと思います。
限度を越えた遅さ、速さは結局このテンションを失わせることになると思うので、
このステートメントはいずれの場合も有効だと思います。

、、と、まあ、こういう感じなんですが、調べてみて驚いたのは、他の演目に比べて、実に評自体が少ないこと!
一応ヴォイトのような有名歌手がキャスティングされながら、
良い公演、話題の公演なら取り上げてくれるはずの他紙・誌(フィナンシャル・タイムズ、NYポストなど)に
完全黙殺されている点にも、つまり、評がないということ自体に、この公演のふがいなさが表れています。



ウーシタロの歌ですが、私はドレス・リハーサルに重ねて、
今回の本番の公演を聴いて、やはり、彼にこのオランダ人役は厳しいのではないか?
という意見に達しつつあります。
You Tubeに彼の2005年の公演と思われる映像が上がっていて(Uusitalo, Dutchmanと検索すると出てきます)、
野外の公演のため、ヘッドセット型のマイクをつけて録音しているんですが、
すでにこの頃から今の歌に至る兆候が現れていると思います。
彼の歌うオランダ人役は、音域的に非常に制限があって、あるところ以上にいくと、
ざらっとした手触りがあるのは、上で紹介した評の中でそう述べているものがある通りで、
すでにこの2005年にもそれが確認されます。
それがもっと進行してしまった状態が、今回のメトでの歌唱といってもいいと思います。
また、この2005年の音源は野外での公演ということで、メトで歌う時と似た心理作用が働いているのかも知れませんが、
発声にほとんど不必要といってよいレベルの負荷がかかっているように感じます。
不必要という言葉は、ここでは、その努力が音にどんな面でのパフォーマンス・アップとしても表れない、という意味で私は使っています、
もしかすると、もう少し規模の小さい劇場ではこんなことはないのかもしれませんが、
もしワーグナーを一線で歌って行くというのであれば、
メトほどではなくてもそれなりにサイズのある劇場で歌わなければならないこともあるわけで、
その時には必然的に今回のメトでのような歌唱になってしまう、ということになると思います。
ドレス・リハーサルの記事でも書きましたが、この負荷のせいで、音の重心が頻繁にぶれるような歌い方になっていて、
この点は劇場で聴くより、シリウスなどマイクを通した音源でよりはっきり感じられます。
彼のオランダ人は、妙な感情過多な歌い方を排し、自らの運命に厳しい感じやエレガントな雰囲気もあり、
方向としては私は嫌いではないのですが、
やはり、素材に難があると、結果として出てくる料理のおいしさにも限界があるのは自明なことです。



ヴォイトは一応今日はフル・ボイスで歌ってますが、歌の全体の印象としてはそうドレス・リハーサルの時と変わりありません。
以前の彼女はトップの響きが非常に美しかったと言われていて、
それは年末の『エレクトラ』の時に、まだ、ある条件のもとでは出てくる可能性があることが十分確認出来ましたが、
ここ数年のワーグナーの全幕作品の彼女の歌唱で、あれと同等のものを私は残念ながら彼女から聴いたことがないです。
125周年記念ガラでの『ジークフリート』からの抜粋の歌唱ではそれを感じましたが、
特にスタミナを要される演目で、抜粋を全幕と一緒にすることは出来ないので、、。
今日のゼンタも、残念ながらトップに軽い緊張感がありました(もちろん悪い意味での)。
しかし、私の目から見て、彼女の歌唱で他の何よりも大きい問題に思えるのは、
彼女に役をインターナライズする能力、もしくは努力に欠けているように感じられる点で、
これが、彼女の歌はどれも少し退屈というか、わくわくさせられない原因になっているように感じられます。
『エレクトラ』での歌唱は、彼女のそういった努力が身を結んだというよりは、
彼女の個性、性質、すべてが上手くマッチした幸運の産物なのではないか、というような気もしているのですが、どうでしょう?
特にワーグナーの上演では、いまだ、歌手側の歌唱での負担があまりに大きいこともあって、
他のレパートリー(例えばヴェルディやプッチーニの作品)で基準になっているようなレベルの演技が出来なくても、
多少歌手が大目に見てもらえる部分もあるのですが、それにしてもヴォイトの演技は、
ちょっと水準が低すぎるというか、舞台監督に言われた動きを何も考えずに再現しているようにしか見えません。
この『オランダ人』とほぼ、もしくは全く同時期にメトで演奏された演目で見られた
『トスカ』でのラセット、カウフマン、ターフェルの、『カルメン』でのカウフマンの、『ルル』でのペーターゼンの演技と比べると、余計にそのお粗末さが目立ちます。
作品の種類が違うと言われるかもしれませんが、どんな作品でも、自分の演技が
歌や作品のコンテクストとどのように関わっているかと考えながら実行するのでなければ、意味がありません。
特に第二幕でエリックになじられながらも、オランダ人への思いが募って、
エリックが自分の見た夢(これが正夢になってしまうわけですが)として、
オランダ人とゼンタの出会いと愛を暗示する内容を語ると、エクスタティックな興奮に耐え切れなくなって、
絵を抱えながら、後ろに仰け反る演技は、本来なら、この作品の中で、
ゼンタの中に鬱屈していた精神的愛と実在するオランダ人への性愛が結びつく、
空想の世界と実際の世界が結ぶつく、非常に重要なシーンとなったはずが、
彼女の表面だけをなぞった演技に、オペラハウスの客席からは爆笑・失笑の渦。
こういう演技は、表面だけ取り繕うのではなく、内面から恥を捨てて本当に自分の中で咀嚼して演じないと、
このようなコメディ・アクトになってしまう、、、。
レパートリーは全然違いますが『カルメン』のカウフマンのエロ満開の演技
説得力があるのとは、そこに違いがあるのです。
ウーシタロのオランダ人の性格描写に難点があるというなら(トマシーニよ、お聞き!)、
ヴォイトのゼンタにも同じくらい難点があったと思います。



エリックを歌ったステファン・グールド。
彼はアメリカ人で、Stephenという綴りは、本人、いや、親の、と言ったほうがいいのかもしれませんが、
の意思で、スティーブン、ステファン、いずれの発音もありえます。
新国立劇場の資料では、ステファンとしているようなので、彼に関しては、こちらでもステファンにしておきます。
彼の発声と歌唱、私は嫌いですねえ、、、。
大きい声を張り上げるばかりで、ニュアンスというものが全く欠落しているし、
ドラマと無関係に、歌ばかりがばりばりと進んでいく感じ、、、。
最近、ワーグナーの作品がレパートリーに入っているテノールにこの問題を抱えている人が本当に多いように感じますが、
私は彼の発声にも、どこかやり方が正しくない耳障りな響きを感じます。
『アリアドネ』のランス・ライアンもワーグナーをレパートリーにしていますが、
彼にも私は不自然な発声の匂いを感じます。)
すでにトップにはざらざらした音が混じりだしているように思うのですが、
彼の場合、そんなテクスチャーの問題よりも、まず、歌に全く知性が感じられないのが嫌です。
エリック役だからかろうじてまだしも、この歌唱を他のワーグナー作品でやられたら、きついだろうなあ、、。

では、指揮、キャストが総倒れだったかというと、たった一人、健闘していた人がいます。
ダーラント役のケーニッヒです。
彼はつい最近、『魔笛』のザラストロでも聴く機会がありましたが、
私は圧倒的にこのダーラント役での彼の方が良いと思いました。
ザラストロの時ほど声量は威圧的ではなく、非常にコントロールされていて、
言葉に込められたニュアンスの豊かさは、グールドに爪の垢でも煎じて飲んでほしいくらいです。
彼はダーラントの強欲な部分をそう強調せず、お金も好きだけど、娘のことをとても大事にしている、
気の好い、愛すべき人物としてこの役を歌い演じていて、
このタイプのアプローチとしては、これ以上なかなか求め得ないほど上手く歌い演じています。
せっかくの好演が指揮と主役に台無しにされて、本当に気の毒。

舵取り役のラッセルは、風邪から病み上がり直後だったと思しきドレス・リハーサルの時よりは、
少しコンディションが上を向いて来ているように感じましたが、
彼の本来の歌唱として聴くには少し躊躇するレベルですので、
リハーサルのレポートで書いた以外の感想は、特に書かないでおこうと思います。


Juha Uusitalo (The Dutchman)
Deborah Voigt (Senta)
Hans-Peter König (Daland)
Stephen Gould (Erik)
Russell Thomas (The Steersman)
Wendy White (Mary)
Conductor: Kazushi Ono
Production: August Everding
Set design: Hans Schavernoch
Costume design: Lore Haas
Lighting design: Gil Wechsler
Stage direction: Stephen Pickover
Dr Circ A Even
ON

*** ワーグナー さまよえるオランダ人 Wagner Der Fliegende Holländer ***

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23 コメント

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operagoerさん (Madokakip)
2010-12-06 03:27:21
WSNYの件、ありがとうございます。

>和気藹々と1日がかりで

一日がかり、、さすがワグネリアン、、、。
大野さんと東フィル、リヨンとのご意見、その通りだと思います。
メトに来て指揮をすることの中で、一番大変なのはリハーサルやオケと知り合う時間が十分には指揮者には与えられない点です。
そんなシステムが理想的でないことは異論なし、ですが、それを嘆いてみても始まらないんですよね。
なので、メトでの仕事を受けた以上は、この短時間で、いかに効率よく準備を行い、オケの団員の心をつかむか、これに尽きます。
今、ラトルが『ペレアス』のリハーサルを始めていますが、その効率の良さはすごいらしいです。
効率良く仕事をするには、まず、その作品を良く知っていないと駄目なんですよね。(もちろん知っているからと言って必ずしも効率良く出来るとは限らず、あくまで前提条件です)

>オペラハウスでのDo's & Don'tsを理解している観客

私はヘッズの中では、割とこの点に関してはゆるいかもしれないです。
気持ちが抑えられないほど大感激したら、好きな時に拍手、Bravo、大いに出せばいいと思っているので、、。
もちろん私もここを聴きたいのに!というところで大きな拍手をされたりするとブチ切れ寸前なんですが、
それは、Do's and Don'tsという決め事としてよりは、鑑賞する前に、作品をある程度知って聴きに来てほしいな、という気持ちに近いかもしれません。
知っていれば、ここでオケが繊細な音を聴かせる!という時に、それをかき消してしまうようなことはしないだろうと思うのです。
作品の最後での拍手が早いのも、それが単にそうしないのが礼儀だから、ということではなくて、最後の音まで楽しみたい、という思いから、少し待つ、そういう風になってくれるのが理想なんですけど、、。
返信する
WSNY (operagoer)
2010-12-03 01:41:22
>>Wagner Society of NY
>おお!これも参加したいな、と前から思っているんですよ!!

日本のワーグナー協会のレクチャーにも一般聴衆として参加したことがありますが、全く違った雰囲気でした。和気藹々と1日がかりでためにもなりましたよ!

>オケの方には大野さんへのリスペクトはあるので、一応なんとかきちんと演奏はしているんですが、彼がどういう風に自分たちに演奏して欲しいと思っているのかわからなくて迷っている感じが伝わって来ました。
>私は、残念ながら大野さんはこのオランダ人ではオケとコミュニケートすることに完全に失敗されたという風に思っています。

そうですね、レクチャーで語っていた内容が音楽からは「見えて」来ませんでした。関係の長い東京フィルやリヨン歌劇場管とは「阿吽の呼吸」があるのかも知れませんが、そうでないオーケストラを相手にすることが普通ですからね......東京ではそのオーケストラを使いこなしてくれることを祈りつつ、トリスタンの第1幕を聴いた昨夜でした。

>ヘッズならどういうところでは通常拍手しないべきかということは知っているんですが、こういう観客が多いのはNYという街が持っている運命だと思って、我慢しているのです、、。

そういう観客は東京でもしばしば目にします...荒川静香がメダルを獲った後の「トゥーランドット」はどこで観ても'Nessun dorma'を「聴きに」来ているような向きも多くいました(彼らはアリアの後に決まって拍手をしてくれたのです...)。喜劇の笑い所のshhは過剰だと思いますし、そこは演出家や歌手の意図に乗ってみんなで笑ってあげたいですよね。ただ、オペラの普及だけでなく、オペラハウスでのDo's & Don'tsを理解している観客をどう増やしていくかが、オペラハウスの課題なのだと思います。
返信する
operagoerさん (Madokakip)
2010-12-02 17:26:05
>Wagner Society of NY

おお!これも参加したいな、と前から思っているんですよ!!
operagoerさんも、メトの鑑賞のみならず、レクチャーに、バックステージツアーに、と、
オペラてんこ盛りのご旅行だったんですね!素晴らしい!!

大野さんのオランダ人、、、カウフマン祭に続き、今度はパンドラの箱を開けられてしまいましたね(笑)
私はこの公演に関しては厳しいですよ!

指揮者には乱暴を承知で簡単に言うと、3つ、求められていることがあると思うんです。
技術、作品への準備、それをコミュニケートしオケを奮い立たせる能力

私はこのオランダ人での大野さんに関しては、二点目と三点目について、大いなる疑問を感じています。
大野さんが作品を知らないということはもちろんあり得ないのですが、
今回、この作品を通して、どういうことを表現したくて、
それをどうやったら歌手やオケのメンバーに伝えられるか、それを考える努力を
まるで放棄しているような印象すら持ちました。
おっしゃる通り、演奏はまるで“水”のようで、
オケの方には大野さんへのリスペクトはあるので、一応なんとかきちんと演奏はしているんですが、
彼がどういう風に自分たちに演奏して欲しいと思っているのかわからなくて迷っている感じが伝わって来ました。

私は、残念ながら大野さんはこのオランダ人ではオケとコミュニケートすることに完全に失敗されたという風に思っています。

あと、観客なんですが、メトはいつも拍手が早い、とか、非難が多いんですけど、
ローカルのヘッズも同じように嘆いているんですよ。

日本のようにオペラが演奏される場所には、まずオペラを好きな、
オペラを良く知っている人しか行かないという状況とは違って、
メトには普通に観光の延長で来ている人(彼らは平日であろうがいつであろうが、いつもメトにたくさんいます。)や
そんなにオペラを愛しているわけではないけれど、お金を持っているので、
とりあえずイベントとして楽しみに来る、という人もいます。
ウィーンやドイツ、イタリアの都市なんかはクラシック音楽・オペラがメインで観光旅行に行く人も多いですが、
NYはちょっとそれとは事情が違って、むしろそれでNYに来る人というのは、
全体の観光客の中では少数派だと思います。
それから、メトに来る観客は音楽だけを楽しみに来ているのではなく、
セットとか、物語自体を楽しみに来ている人も結構いるんですよね。
私は豪華なセットに思わず出る拍手、
喜劇などで物語につい引き込まれて笑ってしまう観客の笑い声、
こういうものこそは舞台を生き生きとさせる原動力であって、
これらにshhhをかけたりする人がいると、逆になんで??と思います。
歌手と同様に大道具の人が拍手をもらってなぜいけないんでしょう?
彼らの仕事に、“素晴らしい!”と観客が意思表示できるのは拍手しかないんですから!
もちろん、作品によってはもうちょっと幕が下りる時くらいは音楽を楽しませてくれよ、、と私も思いますし、

ヘッズならどういうところでは通常拍手しないべきかということは知っているんですが、
こういう観客が多いのはNYという街が持っている運命だと思って、我慢しているのです、、。
返信する
すっきりあっさりな演奏 (operagoer)
2010-12-01 23:13:42
この公演は26日に観ました。前日に開催されたWagner Society of NYのイベントでパネルディスカッションに男声陣が登場し、指揮者とは相性がいいと言っていたのでかなり期待していました。

グールド曰く、最近のワーグナー演奏は音量が大きくなる傾向にあるがマエストロ大野は歌手と協調していると。ディスカッションの後にレクチャーをしに来た当の指揮者も、短時間ながら、作品の解釈、分析を披露してくれました。例えば、第2場冒頭の糸繰りの歌は第1幕最後の循環する旋律が形を変えたもので、それは船乗り達が港を出てまた戻ってくるという繰り返しである、などなど(マイクのせいか声が聞き取りづらかったので、こちらが勘違いしている部分があるかも知れませんが)。

で、当日心躍らせて馳せ参じましたが、最初の数小節で「あれ???」と思いました。音楽が進んで行っても何か物足りません。「毒々しさ」が欠けているのかなと感じました。ミネラルウォーターを濾過して純水にしてしまったかのような。歌手の出来も、ご覧になった23日と恐らく同じだろうと思います。歌と演奏は総じてnot badな公演でした。年末の新国立劇場はテオリンのイゾルデとマクヴィカーの演出が目玉になりそうな気がしてきました(ちなみに既に全日程完売だそうです)。

実を言うとこの日一番「印象」に残ったのは観客でした。序曲から切れ目なく第1場に入る所で、拍手する者、Bravo!と叫ぶ者、多数あり。ま、久し振りの上演だそうだから、と気を取り直しても第1場の幕が下りると拍手喝采、こちらは開いた口が塞がりません。率直な感想ですが、物を知らない連中め!、と感じました。忙しい月曜日にワーグナーを観に来るのは当然ワグネリアンくらいだと思っていたのですが...オランダ人はバイロイトでは「オペレッタ」と呼ばれるらしいですが、ジョニー・デップのお蔭なのか比較的ポピュラーなのが災いしたようです。第2場の終りから第3場冒頭ではハッピーエンドと勘違いしたのか、全く拍手が鳴り止まず、第3場に至ってはゼンタが身投げして幕が下り始めた途端にまたもや拍手。あれでは全然救われません。ここは流石にあちこちでshhhが出ましたが、万事休す。

とまあ、一部の観客にかなりネガティヴな(スノッブな?)評価を下してしまいましたが、このエヴァーディングの演出は気に入りました。彼の演出した「サロメ」を新国立劇場で観られますが、それも好きな演出の一つです。当日バックステージツアーに参加したのですが、間近で見ると本当に大きな船ですね。
返信する
捕鯨は日本でもアラスカでも反対です (Madokakip)
2010-06-04 14:08:01
チャッピーさん、

話が長くなるので、とワーニングしたはずなんですけどね、、。

こういう話題については、一人一人パーソナルな経験、背景が違いますし、
ここで書くことは私の考えであって、別にチャッピーさんや他の方の考えを変えようと思うものではありません。
また逆に、私の考えは知識よりもむしろ、
自分が経験した出来事、そのときに感じた感情に基づいて出来上がっているものですから、
チャッピーさんや他の日本人の方がなんと思おう、言おうとも、
私がまた他の経験を経て、自主的に考えを変えるのでない限り、変わることはありません。

この捕鯨の件については、先に書いたように色々な角度で見れると思いますし、
ディベートの練習か何かとして、
プロ捕鯨としての意見を書けといわれたら、いくつだって自分の考えとは関係なく、
理由を無理やりあげることは出来ます。
アメリカとの経緯しかり、白人の日本人への差別意識しかり。
でも、私の意見は、日本の世界における位置とか文化なんかに基づいてなくて、
私の、命についての考えに基づいているんです。

私が動物の命について考えるようになったのは、大きく二つの経験のせいで、
一つはアフリカに行った時の経験。それから二つ目はうちの次男(わんこ)にまつわる経験です。
アフリカに行ったのは今から10年位前でしょうか?
ある草食動物がちょうど移動を行う時期で、地平線までびっしりとおびただしい数の彼らが移動していく様子とか、
目の前でライオンがたった今殺したばかりの草食動物を食しているときの血なまぐさいにおい、
それから象たちの群れから感じる個体同士の優しさ、、
もともと動物が結構好きですので、テレビでこういう場面はもちろん見たことがありますが、
もう全然次元が違って、、、なんといったらいいのか、もっと人間としてのプリミティブな感情をゆさぶられたというか、、。
彼らとつながっている、と感覚が起こって来たんです。
もちろん、旅行者として訪れただけですし、これですべてを見たとは思いませんが、
あのときの感情は忘れがたいものです。
今、動物が直面している、人間によって引き起こされ、人間が自己中心になるのをやめ、
生き方を見直せば回避が可能である事態、
捕鯨であれ(もちろんアラスカのも反対です)、カナダのシールの赤ちゃんの撲殺であれ、
氷山が溶けて生活が難しくなっているホッキョクグマたち、
こういう事態を見聞きすると、依然とはまったく違うレベルで気持ちが反応するようになったのは、
この経験が大きいです。

それからもっと直接的に命とそれにまつわる選択にてういて、
直に向き合わなければならなくなったのは、次男の存在のおかげです。
飼い始めたときから、彼は普通にご飯を食べているとそれをすべて吐き戻してしまう病気を持っていました。
獣医の先生には私たちが、彼を生かすか殺すか決断をしなければいけないと言われました。
同僚の中には、言外に、そんな出来損ないを育ててどうする?というようなことを言う人もいました。
でも、もし、皆さんが親で、自分の子供がそのように生まれて来たら、簡単に、
古くなった電化製品を捨てるように、命を消すことができますか?
私は自分の子供でも、それが本当にその子のためなら、そうする決断を出来る強さを持っていると自分では思っていましたが、
(実際にはそれは認められてはいませんがあくまで精神的に)
そんなに簡単なものではないです。
結局、ある方法が有効であるかもしれない、ということがわかり、
それには毎日、私たち飼い主側のコミットメントが必要で、獣医には何度も本当にそれを彼の命のある間、
ずっと続けることが出来ますか?そうでなければ、安楽死を今させてあげたほうがいいのです、と言われました。
獣医の先生が言っていることは全然ひどいとは思いません。
本当にその通りなんですから。

結局、私たちの場合は、本当に恵まれたケースで(というのも治療法が効かない子もいるので)、
次男はいまやモンスターのように元気ですが、この経験があってから、
一つの命を生かすか、消すか、でこんなに逡巡した自分が、
普段、なにげなく、動物の肉を無駄に消費しているのはどういうことなんだろう?と、
すごく不思議な感覚が起こるようになりました。

私は完全なベジタリアンではないですが、
今は肉を食べる回数も量もとても少ないです。
私は捕鯨や他の動物がらみの問題について、プロライフの意見を言うのに、
完全な菜食主義者である必要はないと思っています。
アフリカでライオンが他の動物を殺しているのを見てますし、
ある種が生きていくには他の種の命を犠牲にしなければならないのが事実なのはわかります。
私がいやなのは、贅沢や楽しみやあらゆる建前の上に、“無駄に”命を消費することで、
大事なことは、自分が生きていくために消費している、また犠牲になった命に少なくとも意識的であることで、
ほんの少しでもその方向に人が向かうことなら私は何がきっかけでも、チャッピーさんの言う、
>ファッション
でも、かまわないじゃないか、と思います。
(実際、ベジタリアンにコンバートするのにファッションで入る若い人もたくさんいると思います。)


私の連れは、ある種の肉は食べません。宗教的なことではなくて、考えがあってのことで、
一部の人は、なぜある種の動物がよくて他がだめなのか、偽善じゃないか、というかもしれませんが、
これだって、それぞれの人の考え方があるのであって、何も考えずに消費するのよりは全然いいと思います。
完全なベジタリアンと肉食の間には色々なバリエーションがあるし、
あっていいと思うのです。
要は、all or nothing的なアプローチでなくても、やり方は百万通りあるということです。
例えばリサイクルの概念を思い出せば、完璧にすべてをリサイクルすることなんて出来ないんだから、
何もしなくていいや、という風にはなっていないですよね。
みんな、できることだけでも、、という考えで、日本なんかではごみの仕分けが当たり前になっていたりするわけじゃないですか。
(アメリカは全然駄目ですけど。)
出来ることからやる、それでいいと思います。

そして、私の感覚では、今の日本で捕鯨をやめるのは、できることの範疇なんです。
日本人が妙な“俺様のムラのやり方に外人が口出すな。”というような考えを捨てれば。
そうでなければ、一つでも、私を納得させられる、どうしても捕鯨をやめるべきでない・やめられない理由というものをあげてほしいと思います。

それから、このオーストラリアの映像、こんなの、人種差別のうちに入りませんよ。
こんな番組くらいでぎゃあぎゃあ騒いでいるなんて、本当に日本の平和ボケも行くところまで行っているな、と思います。
(しかもオーストラリア人が言おうとしている一番大事な点を曲解して。
彼らが言っているのは、“調査”をするのに、その対象を殺さなければいけない方法しかないですか?
そうでないでしょう?ということで、これはオーストラリアだけでなく、
アメリカでも言われていることです。“調査”の件について、アメリカ人が何も思っていないと思いますか?
声高に言わないだけで、思っていることはオーストラリア人と同じだと思いますよ。
まあ、ここにコメントされている皆さんの意見を見るに、アメリカ人がそう思っていると知ったら、
またオーストラリア人とまとめて悪口が始まるだけなのが目に見えてますが。)
それに,アメリカにいて思いますが、本当の差別というのは、もっと微妙な形で、差別させられている側が何も言えないような形で浸透していくものです。

動物と人間の最大の違いは、人間は自分で決定をすることが出来るけれど、
動物は人間が決めたとおりの運命をたどらなければならない点です。
ですから、人間は彼らの命の責任も負っていると私は思います。

最初に書いたように、私の考えは自分の肌で感じた経験とそこから生まれた感情に密接につつながっていて、
チャッピーさんであれ、誰であれ、“ファッション”とか“立派”とか言われる筋合いはないし、
”偽善的”と烙印を押されるいわれはもっとありません。
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Unknown (チャッピー)
2010-06-03 23:23:47
>そうして、食べ物に底をついたなら、
>人間が滅びるというのではどうしていけないのでしょう
北米系の掲示板にはいますね、そう考える人。
日本ではシーシェパード支援で有名になった、パタゴニア社のCEOもそっち系。1000以上の環境保護団体を支援してるらしいので、中にはヘンな団体もあるってことでしょう。それはそれで立派です。私はもう買いませんけど。

「自分は菜食主義者で、捕鯨はアラスカの先住民捕鯨にも反対で、絶滅寸前の揚子江イルカに手を差し伸べない中国の製品はボイコット!」ってくらい徹底して反捕鯨なら分かるんだけど、そこまで徹底した人はそうそうはいない。豪州では、反捕鯨の日本叩きがファッションになってる印象。http://redfox2667.blog111.fc2.com/blog-entry-147.html

一度、反捕鯨の人に聞いてみたいと思ってたのですが、より絶滅の危機にひんしてるアラスカ鯨の捕鯨はOKで、日本の沿岸捕鯨が駄目ってどういうことですか?(IWCは日本の沿岸捕鯨を認める方向みたいだが、豪州政府が反対していてまとまらない)
要は叩きやすい日本を叩いているだけでは?
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話したら長くなりますよ (Madokakip)
2010-06-03 10:57:01
 チャッピーさん、

こういうことについて話し出すと長くなりますのでここでは割愛しますが、
この捕鯨に関する問題には二つの面があると思うんですよ。
実用的もしくは動物保護的観点。
それから、国民感情としての観点。

最初の点で言うと、鯨を取るのをやめることは、
そんなに難しいことじゃない、と私は思います。
すぐに”そんなに単純じゃない。”みたいな議論に持っていく人がいますが、
単純ですよ、こんなこと。
食料確保のための捕鯨?
それはちょっとナンセンスだと思いますよ。
だって、今みたいな形の捕鯨量ではとてもじゃないけど、
日本人すべてをカバーできる量じゃないでしょう。
だし、これは心の底から思いますが、
そうして、食べ物に底をついたなら、
人間が滅びるというのではどうしていけないのでしょう?
どうして、そこで鯨を、いや、その意味ではすべての動物ですが、
犠牲にたてようとするのか、よくわかりません。
この地球は、多分、人間がいなくなれば、
すごく住みやすい場所になるんじゃないかな、と思うことがあります。

二点目については、多分、議論しても無駄でしょうね。
いつの世界にも日本人に差別意識を持つ人はいるでしょう。
日本人の中にも他の民族に差別意識を持つ人がいるように。
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豪州 (チャッピー)
2010-06-02 22:59:22
捕鯨問題に関する掲示板見たことありますか?
北米人が自制した書き込みをするのに対し、豪州人は書きたい放題です。平気でJAPSと書きますよ。
ご存知のように、多くの先進国では人種差別的態度をとることは野蛮とされています。抑制された本音が捕鯨問題で出てくるのだと思いますが、それでも北米人は暴走しません。北米に比べ、豪州はレイシストに甘い国だと思います。
例えば彼らがインド人留学生をどう扱ってるか。検索すると酷い話がいろいろ出てきます。

食料&軍事安保で他国は信用しないことにしてます。仲の良い同盟国でもです。自分のことは自分でやるようにしないと駄目です。たいして食べないにせよ、捕獲する権利は確保しなければいけません。
鯨肉と言えば、アメリカは戦後、食糧危機の日本に鯨肉をよこしたんですよ。自分達は油をとるのが目的で捕鯨(日本近海でも獲りまくり、日本の鯨資源を減らすことに貢献)、鯨肉は食べずに捨ててたのです。脱脂粉乳もアメリカから来てましたね。鯨肉ともどもお世話になりました。
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頂いた順です。 (Madokakip)
2010-06-02 18:49:58
頂いた順です。

soraさん、みやびさん、

実は私も思ったんですよ、、ウーシタロ。
あれは昨シーズンでしたか、『サロメ』に登場したウーシタロは、
もっと綺麗な声で、歌も端正だったんですよね、、。
こんなじゃないはずなのに、、それともヨハナーンは歌うパートが少ないので、見抜けなかったのかな、、とか色んな思いが去来しました。
でも、soraさんがご覧になったオランダ人が良かったのだとすると、
もしかすると、スランプに入っているのかな、、。
とりあえず、メトではこのオランダ人のラン中、ずっとこんな調子の歌でしたよ。
なので、一過的に調子が悪かった、というのではないと思います。

>ウーシタロはすっとばして、ゼンタとエリックを確認しました。
>ひどい。

ええ、私もひどいと思いました。

>とにかく「驚き」です。

ウーシタロは特にそうですね。
ヴォイトは演技に関しては以前から問題のある人だと思いますが、
歌に関しては、やはり、軽く、“どうしたの?”入ってます。
(つまり、彼女の実力にしてはやや不本意。)
白いグールドは、、、私は逆に新国立のオテッロを見ていないので、
それについてはなんともいえませんが、少なくともこのエリック役に関しては、
メトではものすごい大声を張り上げてました。
あんなに張り上げなくていいんですよ、、、張り上げなくても十分聴こえる声だと思いますから。
もしかすると、それが余計に余裕を奪うことになったのかもしれませんが、
とにかく、どの箇所も歌い方が一緒なのには閉口しました。

>ちょっと言い過ぎですね。ちゃんと聞いてないし。ごめんなさい

いや、聞いた私が断言しましょう。言い過ぎてないと思います。
この公演は、一言、よくなかったですよ。歌もオケ(=指揮)も。
チエカさんのブログの読者投票、つまりヘッズによる投票で、今年リバイバルの演目(新演出じゃない、という意味です。)の中で、ワーストに選ばれてましたが、私も同感です。


みやびさん、

>皮のブーツにお馬さん

そうなんですよ、、ヴォイトにあんなの着せていいんでしょうか?
スラットキンは、このときは一応好意的な評をもらっていたそうなんですよね、、。
年とってずぼらになったとしか考えられません、、。


Kidさん、

>グールド

私、彼を聴くのは多分今回が初めてだと思うので、
このエリック役しか判断材料がないのですが、
ドレス・リハーサル、本公演、いずれも同じような歌い方でした。
Kidさんがおっしゃっている
>イタリアオペラ独特の高音が出せないから
につながるのかもしれませんが、彼は大声は出せますが、
声にpingというのか、オペラハウスによく共鳴するようなクオリティがないんですよね。
がなってもがなっても、音が広がっていかないというか、、。
なので、特にメトのような大劇場では心理的な影響もあって、
本人はえらく大声張り上げて歌っているんですが、その割に観客の方には心地よい響きが残らない。
でも大声張り上げるのに忙しい間はどんなニュアンスをこめることも無理ですよね。
先にも書いた通り、彼は張り上げなくても十分聞こえる声をしているので、
(ただすでに書いた通り、特に魅力的な響きのある声ではないと個人的には思いますが。)
もっと表情、ニュアンス、そちらにフォーカスを向けた方が、
歌唱のバランスが多少よくなるんではないかと思います。


チャッピーさん、

>10年ぶりのオランダ人ということでもあり、劇場側も練習を多くとってくれました。劇場側の意気込みが伝わってきました。

その特典をわかっているなら、なぜフルにリハーサルを活用しない?!
NYのヘッズは、またこの後10年オランダ人が見れないかも、と嘆いているのに。

>豪ABC・・反捕鯨番組に熱心でやたら反日的な局ですね

捕鯨に関しては私も超反日ですよ。
執拗に捕鯨し続けるのは、食用目的なんでしょうか?
今どき、鯨を食べるのは日本の文化だ!なんて、それしか食べるものがないわけでもあるまいし。


素人耳さん、

ドナルド・キーンがクラおたで、かつ、オペラに関してはメトがホームベースとは知りませんでした!
このご推薦の本はとても読みたい。
皆様のおかげでオフ・シーズンもオペラ一色になりそうではないですか!Nice!
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ドナルド・キーン (チャッピー)
2010-05-31 20:33:35
ぐぐったら両方ともアマゾンで中古が購入可。しかも格安です。読んでみますかな。
第二次世界大戦従軍者だというのに、お元気ですね。Mostly Classicの文章もしっかりしてたし。

うちはADSLなんですけど、ダウンロードはどれくらいかかるでしょう?
豪ABC・・反捕鯨番組に熱心でやたら反日的な局ですね。シーシェパードにも好意的。オペラ番組は充実してるんだ。うーむ・・・

FMFan懐かしい。週刊FMなんてのもありましたよね。両方ともクラシックは充実してました。


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ドナルド・キーン殿 & METライヴ (素人耳)
2010-05-31 13:25:17
わしがドナルド・キーン殿のことを知ったのは、もう25年くらい前に、「FMfan」という雑誌にクラシックのことを書いていたのを読んだのが、最初じゃな。それより前に「レコード芸術」に連載した文章をまとめた本が出ておるんじゃが、絶版かもしれん。図書館にあるかもしれんが、わしが持っておるのは

「音楽の出会いとよろこび」(中公文庫、1992刊)
「私の好きなレコード」(中公文庫、1987刊)

の2冊じゃ。キーン殿は若い頃からクラシック音楽が好きで、マリア・カラスの実演も聞いておるし、休みのたびにニューヨークに帰ってMETに足繁く通っておったそうじゃ。

Madokakip殿はシーズン中は忙しいじゃろうから、METのシーズン後にこの本を紹介しようと、前から思っておったんじゃよ。よかったら読んでみてくだされ。

わしはドナルド・キーン殿がなぜ有名なのか、ずっと知らなんだ(苦笑)。最近NHKで特集もあったのう。

たしか2年前だかの、ペーザロ・ロッシーニフェスティバル来日公演の「マホメット二世」に来ておったよ。休憩のときにサインを頼まれておった。

 チャッピー殿

ご存知かも知れぬが、わしもsora殿に教えてもらったんじゃが、METのライヴ、こちらのサイトでダウンロードできるようじゃよ。「ルル」もすでにあるぞよ。
http://www.opera-collection.net/uploadsmetlistingcalendar.htm

あと、ABC(オーストラリア)で、日本時間日曜日の夜7時頃から、数週間遅れのMETライヴをインターネット放送しておる。時差がないので聞くのは楽じゃよ。このページでチェックできるぞよ。
http://d.hatena.ne.jp/radio_classic_timetable/

いずれも、ダウンロード等は自己責任で(by sora殿)とのことじゃ。
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Mostly Classic 7月号 (チャッピー)
2010-05-30 20:45:53
発売中のMostly Classic 7月号がワーグナー特集です。大野さんのインタビューも載ってました;
「10年ぶりのオランダ人ということでもあり、劇場側も練習を多くとってくれました。劇場側の意気込みが伝わってきました。ケーニヒやヴォイトとはこれまでも共演してます。」

今回ドナルド・キーンもワーグナー@METについて書いてます。彼は昔METの常連で、フラグスタートやメルヒオールを聴いてたそうです。

6月13日NHK・FMサンデーワイドクラシックでMETの「ルル」の放送があるそうです。
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鋭い指摘! (Kid)
2010-05-29 14:12:03
>ニュアンスというものが全く欠落している
>歌に知性が感じられない

グールドはおっしやる通りですね。私の思いがkipさんの指摘で胸がスーッとしました。07年に小沢指揮で「タンホイザー」が上演されグールドがロールで出演しました。初めて聴いたのですが「荒削りな歌唱」という印象しか残っていません。カーセンの演出で「画家」という人物設定の妙な仕上がりのタンホイザーでした。
次に聴いたのが新国立シーズンオープニングの「オテロ」でした。ヘルデンテノールが売り物のはずがヴェルディで、しかもこの出演がロールデビューだったのです。イタリアオペラ独特の高音が出せないから始終、大声で張り上げるばかり。リズムの歯切れが悪い。情緒的な細やかさ、明暗も無い。小錦が出てきたのかと眼を疑う巨体では動きも鈍くなる。理想の体型を望むのは難しいが減量の努力をし舞台映えする姿で臨んで欲しいなど、オテロという人物をどこまで理解しているいるのか分からない。完全にミスキャストと思われます。「新国立がこの程度で宜しいのか?」と大いに疑問が残る上演でした。ただひとつの救いは、デスデモナ役で出演したグルジア出身のタマール・イヴェーリでした。ノルマファンティニの降板があっての出演で、全幕の演技や歌唱はもちろん、最後の情感こもった「アヴェマリア」で観客の皆は涙したのではないでしょうか。

12月の新国立では「トリスタン...」が上演されます。指揮の大野、グールド、テオリンの出演です。テオリンのイゾルデは昨年のバイロイトのライヴ映像で視聴していますのと、3月の新国立の「...黄昏」で「私は世界で最高よ」と納得させたブリンヒルデを魅せてくれましたから、イゾルデは安心して期待できます。問題はグールドのトリスタン。これももまたロールデビューのようですから期待薄です。指揮の大野さんは初めて聴きます。一体どうなるやら?「イゾルデとトリスタン」に成りかねないかも。
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みやびさん (sora)
2010-05-29 08:49:52
おはようございます。

私も「影の無い女」行きましたよ☆
マギーさん良かったですよね。3幕目はうるっときました。
演出の方は愛妙に引き続き、私にはいまいちだったのですが、どちらにも言えることなのですが、1,2階から観るのと上階から観るのとでは結構印象に差が出てきてしまうのかもしれません。どっから観ても良いというのが理想ですが、なかなかそうもいきませんものね。

オランダ人は大した感想も書かなくて「ひどい」なんて言って申し訳ないのですが、これはほんとに聴いて頂きたいたいです。
驚きが強いです。「え?どうしたの?みんなどうしたの?」という感じですよ。
グールドもそうです。私も新国オテロではちょっとなよなよしてるし、オテロの声っていう感じではなかったけれど、ここまでふらふらした音程で且つ知性が感じられないような声ではなかったと思います。
ヴォイトさんは、私は声自体を初めて聞くのですが、演奏とも相まってちょっとちんたらしてて変な抑揚とイントネーションになったりしていたかな?昨日の事なのにもう忘れている。。。

とにかく「驚き」です。
録音なので演出は別として、なんか全てが悪い方向に向かってしまった公演だったんでしょうか。。。(ちょっと言い過ぎですね。ちゃんと聞いてないし。ごめんなさい。)
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soraさん (みやび)
2010-05-29 01:46:25
ここの記事と全然関係ないのですが、チューリッヒの「トスカ」TV放送。エミリー・マギー、良かったですよ(それだけかい(爆))。色々と(悪い意味ではなく)思うことはあってなかなか感想をご報告できないでいますが、「エミリー・マギーは?」とのことだったので、「影のない女」に行かれるのかな?と今更…ちょっと遅すぎましたね。
おそらく演出の関係だと思うのでうが、プリマドンナっぽい華やかな感じには欠けていますが、破綻なく良く歌っていたと思います。

で、「オランダ人」ですが…ステファン…色が白いと誰だかわかりませんでした(笑)

>大きい声を張り上げるばかりで、ニュアンスというものが全く欠落しているし、
>ドラマと無関係に、歌ばかりがばりばりと進んでいく感じ、、、。

私は今回の「オランダ人」を全く聴いていないのですが(聴いてから書くのが本当だとは承知しているのですが)、新国のオテロの時はそんな感じはしませんでした。すごく知性豊かに感じられたか?といわれると困りますが…。大声を張り上げるばかり、というタイプだとは感じなかったというか、そもそも大声という印象がありませんでした。

もちろん、共演者や指揮の影響も大きいと思いますが…やはり、新国とMETの劇場のキャパシティの差というのは歌い方にも影響するのかなぁという気がしました。

そして、ヴォイトが来シーズン出演する「西部の娘」は、ジャンカルロ・デル・モナコ演出ということは、あの絵に描いたようなというか、皮のブーツにお馬さん、というバリバリの西部劇ですね。DVDになっている…スラットキン指揮で!
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止めたけど。 (sora)
2010-05-28 23:28:13
ウーシタロはすっとばして、ゼンタとエリックを確認しました。

ひどい。

そして本当に演奏がやばい。
これはイライラしますよね。

私結構どんくさいんで、録音ってあんまり下手とか思わないんですけど、、、。
年末が非常に心配になりました。
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ショック (sora)
2010-05-28 22:41:07
例のサイトを久し振りに覗いたらいくつかupされてましたよ。
大野さんのまずい指揮など確認してみたいと思います。。。。
ってちょっと聞いてみてますが、、、うん、これは、、、
あと私的に本当に驚きなのが、ウーシタロです。どうしたんですか!!どうしたのー!!
私の初生オペラのオランダ人だったのにー!!
こんなじゃなかったよー!!(多分)
あーショック。

以下ウーシタロへの私の初感想です。
「結構良かった。迫力ある歌い方でオランダ人にぴったりだった。」

止めた。
出てきたばっかりだけど、もう聴きたくないです。
ウーシタロ。。。
ファイト。。。


因みにMETの後に都響で振った演奏は評判良かったですよ。(私は行ってませんが。すぐ売り切れちゃうんですよね。)
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メトってこんなもの? (Madokakip)
2010-05-25 14:07:35
 チャッピーさん、

>書くのに30秒くらいはかかる

どんなサインしたら、そんなに時間がかかるのか、、
大野和士、どの字も画数少ないのに、、、。

ところで、最近、ある女性批評家の方のブログに、このメトでのオランダ人のことや、
大野さんと交わした言葉が簡単に掲載されてました。
とりようによっては大野さんの言葉も言い訳ともとれる内容で、かっこよくないなあ、と思いましたね。
しかもこの批評家の方、今回メトにいらしたのが初めてらしいんですが、たった一回の演奏を聴いて、
“詳しくは書きませんが”“メトってこんな程度か”と思ったんだそうです。
こんなもの、とばっさり一刀両断するなら、その根拠くらいは書くのが礼儀だし、
プロの批評家のくせに、たった一回の演奏で、その劇場の実力をジェネラライズするような一文を平気で書ける神経も私にはよくわかりません。
っていうか、そんな“メトって”と一文で総括できるほど、今のメトをきちんと生で聴いてないでしょうが!という、、。
同じことをゲルブ支配人やキャストやオケのメンバーの前に立って言えますか?って思います。
その一方で、あのオランダ人の指揮を褒める文章があったりして、本当、白けました。
全部訳して、チエカさんのブログに投稿したら、どんなリアクションが地元ヘッズから来ただろうか?と、
想像するだに恐ろしい。
だって、そのチエカさんのブログでの読者投票による年間ワースト非新演出演目に、
堂々、『オランダ人』が選ばれてましたからね、、、。
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出待ち@5月6日 (チャッピー)
2010-05-21 23:00:09
METの観客からは生温い拍手を送られた大野さん。
でも、出待ち連中のテンションは高かった!
大野さん目当てに来たポーランド人。「ミスター円」と呼ばれた某大蔵官僚に似た東洋系のおじさん。それに常連の計7人で盛り上がりました。
出演者の中で真っ先に出てきた大野さん。カメラを向けると笑みを浮かべる。かわいい!ファンサービスはお好きなようです。
私を見ると「あっ、どうも」。(海外行くと日本人よりチャイニーズに見られるんだが、やはり日本人に見られると嬉しい)
プレイビルと彼が表紙のAERAにサインしてもらいました。書くのに30秒くらいはかかる、すんごく丁寧なサインです。(下手すると50人は集まるかもしれない新国立でもこのサインが出来るか?)
しかしこのテンション、「あんたはこんなもんじゃない、ガンバレ!」なのか、「もうこれが最後だから、しっかり貰っておこう」なのか。

続いてケーニヒ、ウシタロウ、グールドが続々と登場。三人一緒のところを写真に撮らせてもらいました。
で、ヴォイト。待てど暮らせど出てこない。年末に出待ちでご一緒した日本人の方が「本来彼女は出待ちが好きではない。ここは地元だからやるみたいだけど」と言ってたのを思い出す。地元であっても、出来が良くないor機嫌が悪いとやらないみたいです。

常連の白髪のおばさま(not西宮のおばさま)が、日本人と結婚して68年から74年にかけて日本に住んでたことが判明。1時間ほど立ち話。私の家から車で30分くらいの所に住んでたこともあるらしい。
すべての道はMETに通ず・・・
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リハーサルも (Madokakip)
2010-05-20 16:48:29
ゆみゆみさん、

そうなんですよね、、『オランダ人』はリハーサルの時にもあんまり指示が出ていなかった、というようなことも聞きました。
雀の涙のようなリハーサル時間だったでしょうが、まだ与えられているだけましなんですから、
それを最大限に活用して欲しかったです。
全然リハーサルなしでピットに飛び込んでいる指揮者もいるわけですし、、。

>最後のビューイング

『アルミーダ』...きゃあああああ。
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例えばこんな実験 (Madokakip)
2010-05-20 16:45:57
 rosynowさん、

こんにちは!本当に、、シーズンが終わってしまって、私、早くも抜け殻状態で何をする気にもなれません。
早くも廃人状態になりつつあります。

そうですね、、大野さん、、私も同じ日本人として応援しており、贔屓目にも見たいのですが、
ちょっと今回は厳しいかな、、、。
といいますのは、私が考えるに、指揮者としての評価には大きく分けて二つの面があるんじゃないかと思います。
一つはオケから実際に出てくる音。言い換えれば目をつむっていて聴こえる音。
それから、もう一つはオケに対して出している指示も含めた評価。
一つ目がすべてだ!という考え方ももちろんあるでしょう。
ただ、この先もメトに客演を続けていけるようになるには、二つ目のポイントも無視できないと思うんですね。

この二つ目のポイントで最大級にやらかしてしまったのが『椿姫』のスラットキンのような例なんですが、
大野さんもこちらでかなりポイントを落としたと思います。

いくつか問題はあったと思いますが、テクニカルな面でもっとも気になったのは、
所々に現れたダウンビートの指示の曖昧さです。
このような実験をイメージして頂けたら、と思います。
指揮に合わせて、ダウンビートが来る度に、あーと歌う、という簡単なものです。
まずダウンビートがはっきりしたクリアな指揮。歌うべき場所がとってもはっきりしていて歌うのに何の苦労もないはずです。
しかし、大野さんの問題をかなり誇張して再現したものに合わせて歌おうとすると、
タクトが降りている場所がわかりにくく、どこであーと歌い出せばいいかわかりません。
(私も友人にお願いしてやってもらいましたが、口があの字に開いたまま、音を出せませんでした。)

メトの公演ではしかし、口をあの字に開いたままにしていては大問題で、
Show must go on、オケや歌手はそれでも何とか音を出していかなければなりません。
これがキャストやオケの各セクションにとってどれだけ疲れる作業か!
結局、少なくともこの日の演奏では、オケの団員たち、もしくは歌手自身の判断で埋められた音がたくさんあったということなんです。
それが結果として、音楽としてはそこまで悪くない、と感じられたとしても、
この本来存在すべきでないストレスをオケに与えている、という点で大きなマイナスです。
もちろん、これが歌手にとっても同じストレスになっていることは言うまでもなく、
それが批評の中で言われている“歌手へのきちんとしたサポートがない”と言及につながっているのだと思います。

以前の『アイーダ』のときはこんな問題があった覚えがないので、
テクニックそのものの問題というよりは、もしかすると、この作品で何かきちんと消化しきっていないところがあるのかな?と推測するしかないのですが、
おっしゃるとおり、この経験をばねにして頂いて、これから活躍を続けて頂きたいです。

ヴォイトについては、おっしゃる通りで、いくら歌で余計に気をつかうといっても、
彼女の立っているだけで演じてない、というのは、かなりいつものことなんですよね、、。
痩せることになにがしかの効果があるとすれば、単に体重が減ったということだけではなくて、
それに伴って生まれる“私は綺麗なんだから今やどんな役にもなりきれるのよ。”という自信、
それが演技や歌唱を次のレベルに押し上げる点にあると思うのですが、
ヴォイトに関しては体重が減ったという段階でとまっているような感じがするのが残念です。
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ゲルギさんを思い出します。 (ゆみゆみ)
2010-05-19 09:16:12
「オネーギン」のゲルギエフのリハーサルを思い出します。
撮影されているという意識があったにしても歌手(あのキャスト凄い人たち)に状況を考えたら「何処を向いているべきか?」と尋ねたり、チャイコのもつ、繰り返しによる盛り上がりの指示をオケにしている場面などを鮮明に思い出します。
私も最後のビューイング。何とかやりくりして行きたいと思っています。
寂しい
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ご無沙汰しています (rosynow)
2010-05-18 13:21:47
僕もNYタイムズ読みましたが、大野さん本当に酷評されてますよね。
ワーキングリハーサルは観たのですが、ドレスリハーサルがあったとは知りませんでした。
同じ23日の本番を観たのですが、日本人ということで贔屓目があるのは重々承知ですが、あそこまでの酷評は無いんじゃないかと感じます。とはいえ友人も散々こき下ろしていましたが。
がなり立てていると評されたUsitaloにしても、批評の後なので気をつけていたのかもしれませんが、そういう風には全く感じませんでした。
歌っているだけで演じていないヴォイトが、僕は気になって仕方ありませんでした。

これにめげずに大野さんには頑張ってもらいたいものです。5月5日のルイジの振るルルのドレスリハーサルには奥さんと二人でお見えになってましたが。

シーズン終わっちゃいましたね。
何だか憂鬱ですね。
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