Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

LA TRAVIATA (Wed, Nov 7, 2007)

2007-11-07 | メトロポリタン・オペラ
かなり以前から役の準備をしているという噂だったうえに、
昨年のメトの来日公演でわりといい評判だったと聞いていたフレミングが歌う『椿姫』のヴィオレッタ。

オペラの公演においては、声質と歌唱技術からある程度結果が想像できる場合と、
意外にもそんな予想をくつがえして素晴らしい歌唱を聴かせてくれる場合とがまれにあります。
正直、ヴィオレッタにフレミングはどうなんだろう?と思うところもありましたが、
偏見を捨て、真っ白な心で公演に向かう。

彼女が一幕で登場するなり、観客からすごい拍手。。。



そして、私の公演後の感想。こんな退屈な『椿姫』、はじめて見ました。

フレミングに関しては、悪い意味で結果が想像通りになったとしかいいようがありません。

思うに、現代のオペラ歌唱に関しては、大きくわけて4つのエレメントがあると思います。

1)声質
役に必要な声の質を持っているか。これは単なるソプラノかメゾソプラノか、ということではなく、役に必要な声の質。
同じソプラノでも、マクベス夫人を歌うのに必要なドラマティックな声と、この『椿姫』のヴィオレッタに必要な軽い声とは全く異質であるように。

2)その固有の役に必要なテクニック
コロラトゥーラの技術やディクション(言語の発音、扱い方)など。

3)ドラマを再現する能力
演技力、また声のカラーの使い方。当然ながら1や2と切り離して考えることは難しい。

4)ルックス
3に含むこともできるかも知れませんが、1や2と相関性がないので、あえて個別のカテゴリーにしました。
DVDなどが普及するにつれ、この4の比重が突然高まった。

で、ルネ・フレミングですが、こと『椿姫』のヴィオレッタ役に関しては、
はっきり言って、4しか備えてません。
かろうじて、3が少し。。それでも、1や2が欠けているので、完全な意味では3を備えているとは言いがたい。

声質とテクニック、両方かけているのに、なぜこの役を歌おうとするのか。
私ははっきり言って怒りすら覚えています。
なぜならば、彼女ほどのスターでなく、美人でもないソプラノの中に、
山ほど1と2を兼ね備え、日々、技術の研鑽に励んでいる歌手たちがいるのです。
で、私は彼女たちのキャリアだけを考えて怒るほど、お人よしではなく、怒っているのにはもう一つ大きな理由が。
それは、すなわち、彼女のようなこの役に不可欠な要素を備えていない歌手の歌に観客が付き合うということは、
その作品そのものの真価を味わう可能性は絶たれたに等しいからです。
つまり、これは最終的に観客にかえってくる問題なのです。

まず、テクニックの問題。
ばっさり言ってしまいましょう。この役は、コロラトゥーラの技術がないソプラノは歌うべきでない。



一幕のヴィオレッタ、最大の見せ所、”ああ、そはかの人か~花から花へ”。
コロラトゥーラをイメージするには、粗データが点々で示されたX軸とY軸からなる図表を思い出していただきたい。
コロラトゥーラとは、この一点一点のデータ(音符)をいかに落とすことなく、
完全な音でスムーズにならすか、という技術です。
しかし、フレミングのこのアリアでの歌唱は、まるで、それらの点々の平均値、
またはランダムに選んだ一部の点だけを放物線で結んだようなあいまいさ。
ようは一個一個の音符の音をしっかり出すかわりに、なんとなくそれっぽい旋律を歌っているだけなのです。
勝手に平均値にして歌わないでほしい。

また、彼女の声質は、声域によってはほとんど黒人のゴスペル歌手をも思わせるようなダークな、
クリーミーな響きがあり、発声方法も独特で、特に高音では素直に音が前に出てこず、
あわわわわ、というような前振りが発声の前にあります。
で、ダーク&クリーミー、これは役によっては決して悪い資質ではないのですが、
こと、ヴィオレッタの役に関しては最悪です。
なぜならば、ヴェルディはそんな声を前提にして、この役を書いていないから。

たとえば、第二幕第二場。
アルフレードが札束をヴィオレッタにたたきつけた後の、幕の最後の合唱のシーン。



ここは、ヴィオレッタに合う声質をもったソプラノが舞台にのっていれば、
大音響の合唱とオケの中に混じって、ソプラノの旋律が立ちあがってくるところ。
合唱(夜会の参加者)の歌のうえに、一人ことの真実(つまり、アルフレードを愛しているからこそ、
彼の未来を思って嘘をついてまでも彼と別れようとしていること)を胸にしまっているヴィオレッタの心の叫びが奏でられる。
(まあ、ジェルモンも真実を知っているわけで、だからジェルモンの旋律もきちんと聞こえなければなりません。)
だからこそ、このシーンはせつなくて泣けてくるのです。
なのに、フレミングの声にはそういった性質がいっさい欠けているので、
完全に響きがオケと合唱に立ち消されて何にも聴こえない。
ヴィオレッタは、今、何を思っているの?と両肩をつかんでただしたいくらい。

こんな感じでいくらでも、例はあげられるのですが、
そのうえに極めつけなのは、そこここでものすごくエキセントリックな、つまり、風変わりな歌い方をすること。
節回し、声色を含め。
この公演を一緒に観にいった私の友人yol嬢は、最近(しかしものすごい勢いで)オペラにはまりはじめたのですが、
”なんか独特の歌い癖があるよね”と指摘。
私が思うには、このエキセントリックな歌い方は、
自分の声質と役との不合致と足りない技術をごまかすために練り上げられたもの。

一旦、その役を、声質および技術的にマスターしたうえで、
表現の一選択としてあえてエキセントリックな歌い方をするならまだしも、
欠点を隠すためにそんな歌い方をするとは、大歌手のすることじゃない。
それがどこか見えてしまうので、観ている観客側の一部もその歌い方を不愉快に感じてしまう。

というわけで、本来、この作品にあった声とテクニックを持った人が歌ったならば、
無理に声をはりあげたり、エキセントリックな歌い方をして強調しようとしなくても、
自然にこの話の悲劇性は浮き上がってくるのですが、
例にあげたとおりの理由で、浮き上がってくるべきドラマが浮き上がってこないので、
こんな公演で、私は心を動かされることは決してないし、退屈のきわみなのでした。

今まで『椿姫』は山と観てますが、仮にコロラトゥーラの技術の失敗を一点おかしたとて、
この公演よりは何倍もの感動を味わったものです。
例えば昨シーズンのストヤノーヴァがヴィオレッタを歌った公演
彼女が”花から花へ”の最後を微妙にしくじった時、いかに悔しそうな表情をしていたことか。
(しかし、この一点以外は完璧といえるすさまじい歌唱。)
こういった、他のソプラノの、たった一音にかける執念をみて、
私がルネ・フレミングと彼らの歌唱を同じレベルで比較する気にもなれないという、
この気持ちがわからない方はわからなくて結構、ただ黙って私を怒らせてください。

観客の中にははじめて『椿姫』を観る人もいるわけですから、
ああ、これはこういう作品なんだ、と納得してしまっても、決して観客のせいではない。
ですから、お願いです。
誰か、フレミングの周りの人でも、メトの上層部でも誰でもいいので、
一言、彼女にこの役を、徹底的に歌を練り直さない限り、歌わないように進言してほしい。
こんな公演は、私にいわせれば、『椿姫』ではありません。
有名歌手の思いつきにつきあわされた周りのキャスト、公演に関わった全ての人々、そして観客がかわいそう。
きっと、Bキャストのルース・アン(・スウェンソン)姉さんの方が、
本来のヴィオレッタに近い歌唱を聴かせてくれることでしょう。
今年の『椿姫』は、フレミングだけ聴きにいくつもりでしたが、これではあまりに後味が悪いので、
私もルース・アン姉さんの公演をどれか聴きにいこうと思います。

言っておきますが、私はフレミングが嫌いなわけではない。
2月のオネーギンでの彼女は良いと思ったし、
彼女が高いレベルで歌える役はいくつか挙げることもできます。
あの、スモーキーな声も、役によっては魅力的だとすら思います。
しかし、だからこそ、今回、ヴィオレッタを歌ったことに納得ができないのです。

今回こういった事情があって、この作品はヴィオレッタがよくないとお話にならない、ということを改めて認識した次第。

アルフレードを歌ったポレンザーニは頑張ってはいたのですが、沈没する大型船を一本の縄でひっぱるようなもの。
どんなに素晴らしいアルフレードだったとしても、この公演の全体の印象を払拭することは不可能だったでしょう。
頑張って歌っているのに、なんて不憫な。。



クロフトは、本調子ではなかったか、どの高音も、延ばしてほしい長さより、どれも短めで、
息が足りなくて苦しがってるような歌い方。

ひたすら、一日も早くメトに本当のヴィオレッタが帰ってきてくれることを祈っております。


Renee Fleming (Violetta Valery)
Matthew Polenzani (Alfredo Germont)
Dwayne Croft (Giorio Germont)
Kathryn Day (Annina)
Leann Sandel-Pantaleo (Flora Bervoix)
Louis Otey (The Marquis d'Obigny)
John Hancock (Baron Douphol)
Conductor: Marco Armiliato
Production: Franco Zeffirelli
Grand Tier B Odd
ON

***ヴェルディ 椿姫 ラ・トラヴィアータ Verdi La Traviata***

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8 コメント

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聴く役で180度評価がわかれる (Madokakip)
2007-12-16 15:44:03
yol嬢、

私は、ルネ・フレミング、決して嫌いではないのだけど、
歌う役、限定かも。

オネーギンのときはよかったし、それからCDのルサルカ、
これもよかったわ。
彼女は歌う役で本当に印象が違うと思うわ。

あと、意外といけるのが、彼女が歌うゴスペル系の歌。
彼女が歌うアメージング・グレースなんて、一瞬、
なんでフレミングのCDに黒人歌手の歌が入ってんの?って思ったくらい。

『ノルマ』なんかより、『ポーギーとべス』あたりを狙った方がいいんじゃないか、という気がします。
彼女のサマータイムとか結構合うんじゃないかな。

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フレミング (yol)
2007-12-16 10:22:02
やはり彼女はダメだわ、好きじゃない。
タッカーで聴いても「ダメ」と思ったけれど、椿姫は彼女の歌ではないとここに断言します!

ところが、よくよく私の少ない愛聴版の中から色々探してみたら、なんと!私が初めて買った(但しバレエCDと間違えて買ってしばらくお蔵入りだった)「マノン」のCDがフレミング。

こういう感じのはいいのにねー。

その後レヴァイン25周年記念ガラDVDの彼女を聴いたけれど、聴けば聴くほどこの人は合ってる曲とそうでないものの落差が激しい。

まぁ、大抵の歌手はそうでしょうが、自分に合ったものを歌っていってくださることを願っているわ。

「ノルマ」のコメントも読んだけれど、おふざけものです。
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ビヴァリー・シルズも太鼓判! (Madokakip)
2007-11-15 07:17:16
娑羅さん、

ビヴァリー・シルズも太鼓判押すなんて、相当なケミストリーに違いない!(笑)。

しかし、舞台では、ケミストリーってあなどれないですよね。
片方が同じキャストでも相手が違うと、がらりと印象が違うということはよくありますものね。
ガラでのネトレプコとは全然ケミストリーがなくって(と私には感じられた)、
出身国が同じでもだめなものはだめなんだな(当たり前ですか。。)と思いました。

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ケミストリー (娑羅)
2007-11-14 12:42:53
きゃ~!私のミーハー丸出しのレポを読んでいただいたなんて、とっても恥ずかしいです

確かに、オネーギンのインタビューで、故シルズさんが、やはりフレミングとホロストフスキーには、ケミストリーがある・・と仰っていましたっけ。

日本公演の時も、1幕には感じるものがなかったフレミングが、2幕、ジェルモンの登場と共に、確実に変化したのが印象的でした。

ホロストフスキーも、フレミングには何か感じるものがあるようですね。
オネーギンの、2人のインタビューを見てると、姉弟みたいな感じでしたね(笑)
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また吠えすぎてしまいました、すみません。。 (Madokakip)
2007-11-14 04:07:47
娑羅さん、

今読み返してみると、かなり辛辣なことを書いてしまいましたが、
しかし。やっぱり基本的には気持ちは変わりません。

娑羅さんのレポも読ませていただきましたが、
”心に響いてこなかった”とおっしゃっていて、
まさに、それこそが私のこの公演の究極の感想です。

ただ、もしかしたら日本での公演の方がよかったのかもしれない、とは思います。
というか、ルネ・フレミングとホロストフスキーにはケミストリーがあるというか、
オネーギンのときもこの二人にはなんともいえない味わいがありましたね。
ああいうケミストリーが今回、全くなかったようにも思います。
ジェルモン役のクロフトともアルフレード役のポレンザーニとも。
ということは、娑羅さんがおっしゃったようにホロストフスキーが火をつけた、というのは結構的を射てるかもしれませんね。

今回の公演に関しては心理描写に関しても全く訴えかけてくるものがなくてとても残念でした。
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なるほど (娑羅)
2007-11-13 13:40:37
Madokakipさんのレポを読んで、すっきりしました。
去年の来日公演、私は一生懸命、「フレミングのヴィオレッタは素晴らしいんだ」と言い聞かせて観ていたように思います。
確かに、日本では絶賛されてましたし。
なので、彼女のいい面を探そうとして、心理描写の上手さに焦点を当てたレポを書いたような気がします。

同じ公演を、私の知り合いの方も観に行きましたが、やはり納得されなかったようです。
(彼女はフレミングのファンなのに!)
拍手もお義理のようだった・・と言っていました。

とてもすっきりしました。ありがとうございます♪
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全幕捨て? (Madokakip)
2007-11-13 05:37:43
DHファンさん、

もう私なんか、この公演については、”全幕を捨ててるんじゃないの?”と激怒でした。
こんなに作品と作曲家に愛情のないアプローチは悲しいです。
ヴェルディがハンカチくわえて泣いてますよ、ほんとに。
今まで観たソプラノみんながデヴィーアのようにすばらしい技巧を誇るわけではありませんが、
少なくともそれぞれの音にかける気概はありました。
こんな公演を野放しにしていてはいけない、とまた火を噴いてしまいました。

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わかります (DHファン)
2007-11-12 16:39:21
フレミングのヴィオレッタ、そうでしょうね。
昨年メト来日で聞きましたもの。娑羅さんは「フレミングは一幕を捨ててるのか!」とブログに書いてらっしゃいました。その後1ヶ月ほど後にデヴィーアのヴィオレッタを聞きましたが、全く別ものでした。
見てくれはフレミングには劣りましたけど、「声と歌」を堪能しました。

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