まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

チェルトナムの町並み

2005-12-23 07:31:57 | ほっと一息。
12月18日(日)。

チェルトナムは、近くにあるその名も名物にちなんでいる、バース(Bath)と同様、温泉で知られています。バースでは温泉につかることが出来るそうですが、残念ながらここでは入浴施設がありません。

17世紀のビクトリア時代に湯が発見されて以来、王族達はこの地によく訪問し、健康のために湯を飲んで滞在していたそうです。
そのせいもあって、ここは美しい町なのですが、地価や物価が非常に高く、人々も上流階級気質(Posh)が強いのだと、アランは教えてくれました。

ちょっと値段を聞いたら本当に高くて、住めないなと感じましたが、どうですか、美しい町並みでしょう?白い壁に黒いベランダ。この様式が町の中心部全体に使われていて、引き締まった美しさを醸し出しています。

山頂にて

2005-12-23 07:17:54 | ほっと一息。
12月18日(日)。

そして山を登ると、広い台地が広がっていました。面白い地形ですね。電車でこの地域を旅すると、いくつも丘がうねっているのを観察することが出来ます。
僕たちが登ったのも、こうした丘の一部です。

背景の右手に、小さなチェルトナムの町が広がっています。
この日は寒かった!
南に来たのに、寒波のため、エディンバラより寒かったです。
しかし、寒くても、久々の旅行を満喫できて幸せ!家族全員同じ気持ちだったでしょう。
天馬は、馬の蹄鉄の跡と、羊の糞を覚えました。

イングランドの山道

2005-12-23 07:09:54 | ほっと一息。
12月18日(日)。

次の日は、友人のアランとりょう子さん夫妻と一緒に、チェルトナム近郊の山へ。

エディンバラでは、近くのアーサーズ・シートという山には登りましたが、背の高い木が生えていないので、美しいのだけれど日本の山のような、静かな林の中に入るという感覚を味わっていませんでした。

ウガンダでは林の中を車で走ったこともあったけれど、休みに山登りをするほどスケジュールに余裕はありませんでした。

写真を見てください。落ち葉でふかふかの山道です。天馬は、りょう子さんにすっかりなつき、母とりょう子さんと手を繋ぎ、大喜び。自然の中で遊ばせることが出来て良かった。天馬が転ぶと、私は心配するのではなく、
「わはは、気持ちいいだろう?」
と笑いました。それを見て、落ち葉の感触を知ってもらいたい私の気持ちをよく理解してくれるアランも、嬉しそうに笑うのでした。

世界の車窓から・チェルトナム

2005-12-23 06:45:53 | ほっと一息。
12月17日(土)。

なーんていう題にしましたが、イギリスに来て初めて、家族で電車の旅をしました。
子供が人一倍風邪をひきやすく、体が弱いので、当初年末年始にはヨーロッパ旅行を計画していたのですが、取りやめにし、クリスマス前にイングランドのチェルトナムに住んでいる友人夫婦を訪ねることにしたのです。

思い起こせば昨年の年末年始は、図書館が閉まっていたので、子供に邪魔されながら、まさに夜を徹してレポートを書いていたのでありました。日本ではあんなに気軽に取っていた年休。こちらに来てからは、ちょっと遠出をしたのも2日が限度。
そしてウガンダに単身3ヶ月。

俺は休むぞ~!

と今回エディンバラを飛び出したのも、たった3日だけでしたけどね。それでも楽しい旅でした。
まずは電車の写真から。青と赤の色合いがきれいでしょう?ただ、座席シートの背もたれが固定されていて、後ろに倒せないのが難点でした。向い合わせの席を予約したら、品のいいテーブルが付いていたので、買ってきたワインを飲みながら、7時間の旅を楽しんだのでした。

美しい壁の模様をもう一つ

2005-12-16 21:22:44 | 異文化
12月16日(金)。

気に入ったもう一つの家を紹介します。
きれいでしょう?

でも、これらの家には扉というものが付いていません。
もちろんウガンダ全土ではマラリアが多く発生しているので、蚊が入り放題のこの家の作りは、健康上好ましくありません。

蚊帳の普及を、宣伝などにより啓蒙普及しているのですが、なかなか全戸に行き渡っていないのが現状です。

バソガ族の家

2005-12-15 20:39:43 | 異文化
12月15日(木)。

今日は、美しいバソガ族の家を紹介します。

首都カンパラから100kmほど離れたカムリ郡で、細い道を中に入っていくと、簡素な土壁作りなんだけれど、美しい模様の家をたくさん見ることが出来ます。

もし時間に余裕があれば、丸一日家を訪れては写真を撮っていたかったのだけれど、そういうわけにも行きません。
なぜかこういう美しい模様の家は、カンパラ周辺の村にはなかったですね。垣根や畑、道をきれいにしている地域はありましたが。
写真をクリックしてみてください。少しは大きく写ると思います。

ネパール南部の、チョーダリ族の村にも、独特で美しい模様が書いてある村がありました。暑い地域では、開放的になって、自由に表現したくなるのかも知れませんね。

頼りがいのあるやつ

2005-12-14 22:55:51 | 学業
12月14日(水)。

昨日に続いて、ウガンダを振り返って行きます。
今日は、「頼りがいのあるやつ」。

発展途上国にはやや慣れているとはいえ、彼ら抜きにして多くの成果を挙げることは出来ませんでした。3ヶ月の間、最も身近にいて、どんなときでも頼りがいのあった、ヒト1名と車1台。

ドライバーのジョゼフは、本当ならば別に支払わなければならないのでしょうが、ルガンダ語とバソガ語の通訳もしてくれ、私の言葉の先生でした。現地語のお陰で、初対面の村人たちともすぐ仲良くなれました。
初めは運転が乱暴でしたが、走り出してからシートベルトをしないこととか、沼地の横で猛スピードで四輪ドリフトをさせないことなど、私の口うるさい指導の末、すっかり安全運転をしてくれるようになりました。
じっとしていると疲れるから、仕事をくれー、という働き者のジョゼフ。また早くウガンダに戻り、タッグを組みたいものです。

エディンバラ大学の眠り病疫学調査プロジェクトで、多くの人の命を救う仕事を手伝った、トヨタのピックアップ。
車体にプロジェクト名が書いてあり、行く先々で人々が、
「とりぱの・・・そみぃゃしす・・・?何しに来たの?」
聞くので、これは古いプロジェクトの名前で、私の研究とは関係ないんだけど・・・と数10回同じ説明を繰り返させられました。
しかし、獣道のような細い道、山道を強引に通って調査を進めることが出来たのは、全く持って日本の技術力と、この車のお陰です。

今日は一番身近だった、「頼りがいのあるやつ」を紹介しました。

人口が減少する村

2005-12-14 08:17:34 | 学業
12月13日(火)。

今日から、来年に国内外で発表する学会への申し込み作業が始まり、同期の博士課程の学生達とともに慌しくなってきました。
まだ結果が出ていないうちから要旨を書くのには抵抗がありますが、こうやっていかないと、学会の参加締め切りは非常に早いので、間に合わないのです。

それはそうと、写真も含め、ウガンダでの活動を、ネットの繋がりがいい今、振り返ってお知らせしていこうと考えました。
今日は私が村々を回っていて、最も衝撃を受けた日、10月28日のことを紹介します。

この日、首都カンパラから100km離れた、カムリ郡で調査をしていました。
すでに調査開始から、100村を回り終わった頃です。
私の質問票で、都市部へ人が流れ込んでくる状況を捉えるため、人口の増減、そして増えた人口は、どこからの移住によってもたらされたか、という一連の質問があります。

これまで、都市部でビジネスオフィスが増えたことにより、人口が減少した、という地域がたった一つだけあったのですが、他は、都市部でも村落部でも、多産文化のウガンダでは、全ての地域で人口は増えていました。

訪れた村は、眠り病の発生地域で、田舎のカムリ郡の中でもかなりの田舎でした。家はほぼ土壁の簡素な作りですが、作物は立派に育ち、美しい村でした。
「ここ5年で、人口は増えていますか、それとも減っていますか?」
という質問に、予想もしていなかった答えが返ってきました。

回答者は一人ではありません。3人と、隣村の村長も一緒でした。他に子供達もいます。しばらく沈黙し、
「なぜ、人口が減っているのですか?」
と聞くと、

「AIDSで皆死んでしまった。今も死に続けている。」
と、女性は答えました。

牛に潜むトリパノゾーマを駆虫することと、同時にツェツェ蝿を駆除する眠り病のプロジェクトで、眠り病に関しては大きな成果を上げた地域でしたが、AIDSの被害はこんな奥地の村でも深刻なのです。

私は、心の中ではしばらくショックを拭いきることは出来ませんでしたが、平静を装い、その後約15分間の質問を続けました。

病気の進行をかなり遅らせることの出来る薬も開発されてきたAIDS。一体この村では、どれくらいの人がキャリアーなんだろうか。罪無く生まれてきて、母乳からウイルスに感染してしまった子も多いことだろう。インタビューで答えてくれているこの人たちもキャリアーかも知れない。

改めて、ウガンダにおける深刻なAIDSの実態を認識し、それでも何も出来ない自分の無力さを感じました。

新曲

2005-12-12 07:23:06 | 音楽は心の泉
12月10日(土)。

今日は、幼い息子を連れて一人日本に里帰りをし、私が戻ってくるまで一人で子育て、家事をこなした妻に楽をしてもらおうと、なるべく家事を頑張りました。

今日の夕食は天婦羅うどん。もちろんうどんも手打ちです。
ちょっと出来上がるまでに時間がかかりすぎ、最後は天婦羅を手伝ってもらいましたが、何とか美味しくいただけました。

夜中に寝ていると、頭にメロディーが浮かんできてぐるぐる回り始めました。久しぶりの現象です。ウガンダから帰ってきて以来、表現したい内部の熱がまた生まれたのは事実でしたが、今回のは溢れるばかりで、居間で電気を点けてギターを手に取ると、あっという間に一曲出来てしまいました。

まだ歌詞は付いていないけれど、年内には必ず出来るでしょう。今回は日本語と英語の歌詞を作りたいと考えています。
曲名は、「Source of The Blue Nile」。

White Nileと合流し、ナイル川となって地中海に流れ込むBlue Nileは、ウガンダのヴィクトリア湖から出発します。広大なサハラ砂漠をも走り抜け、生命の鎖を繋ぎとめ続けるナイルの源に、たくましい生命力のイメージを感じました。
3ヶ月の短い間でしたが、今回のウガンダは、ネパールのときとはまた違う、熱い、何か野生のものを私に植え付けました。それは景色や気温がそうさせたのかも知れませんが、やはり「人」だったように思います。

出来たその場で起こされ、聴かされた妻によると、「美しい曲」だそうです。
眠いのよ!そんなのどうだっていいじゃない!と言わなかった彼女に感謝。

出来上がったら、また発表しようかな。

ケリー

2005-12-12 06:29:49 | 異文化
12月9日(金)。

半ば予想していたのですが、指導教官は皆忙しく、ミーティングは来週月曜日に延期されました。

それは置いておいて、今日はとても嬉しいことがありました。
友人のサムとサリー夫婦が、馴染みの教会で開催されたケリー;Ceilidhに招待してくれたのです。
ケリーは、スコットランドのフォークダンスで、様々な種類の踊り方があります。それに、上手なケリーを観るだけの会も、参加者みんなで踊る会もあります。

この日は、参加者全員で踊るケリーでしたが、最初は、子連れなので、観て楽しむことしか考えていませんでした。
しかしサムが、子供の面倒を看るから一緒に踊ろうと誘ってくれました。

恥ずかしながら、妻とはヒマラヤや富士山に登ったことはあっても、ダンスを一緒に踊ったことなどありませんでした。
ダンスは楽しいです。練習なしに見よう見真似で、上手に踊ることが出来ました。これは大発見でした。

息子が何度も気になったけれど、振り返ってみると、彼も楽しそうにサムと踊っていました。ウガンダに行く前の天馬なら、母親が気になって多分無理だったでしょう。どうやらウガンダを境に、一番大変だった子育ても、峠を越したようです。

こんな機会をさりげなくくれたサムとサリーに大感謝!その後の彼らのダンスも、とても素敵でした。