まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

27時間の旅

2005-12-06 16:12:17 | 異文化
12月6日(火)。

いやー、先進国のインターネット、すごく速いね!多分数十倍速い、これは。

8時間ほど前、ようやく家に着きました。エディンバラ、それほど寒くもないという印象です。これまでの3ヶ月間、あまり日本語を使わなかったので、英語が上達したみたい。空港からのタクシーで運転手と会話したときに、自分の英語がイギリスでもネイティヴと同程度の速さで聴き、話していることに気付きました。なんかアフリカ英語も入ってるけどね。

さて、4日の夕方5時にホテルを出発してから家に着くまで、丸一日以上、27時間かかったわけだけど、予定では15時間のはずでした。
まず、ウガンダのエンテベ空港で、ケニアエアウェイズの飛行機を待っていると、いつまで経っても来ません。2時間半遅れた時点で、とうとう来ないことに!?壊れたらしい・・・。そのため、エミレーツのナイロビ行きに便乗させてもらえました。

ナイロビに着くと、アムステルダム行きの便がまだ停まっているのが見えたので、同じ状況の15人で走ってゲートに行き、乗せてもらえるよう頼みましたが、ゲートにいるケニア人達は、謝りもせず、だめの一点張り。この時点で夜11時。

便の変更を扱う事務所で、ただ変更便の希望を伝えるという作業を終えたのが午前2時。普通10分で出来ることです。

そこから空港内でなぜか1時間待たされ、ナイロビ市内の安宿に着いたのが朝3時。部屋に入れたのが3時半。

8時にホテルのロビーで集合と伝えられたのに、もうバスが来ているのだから早く来るようにと電話を受けたのが朝7時20分。

空港のチェックインカウンターで、飛行機の故障、変更のことなんか聞いていないと言われ、1時間以上待って、実はちゃんと前の日の担当者が責任者に伝えていたことが分かったのが朝9時。しかも全く謝りません。ようやくこのケニアのジョモケッタ空港を離陸することが出来たのが朝11時20分。

ケニアはウガンダより発展しているので、仕事も早く、接客も出来ているのだろうと思ったけれど、変わらないどころか、ウガンダ人より図太いだけで、可愛らしさもないですね。ナイロビで国連ボランティアをやっている友人のブログを思い出しました。そう言えば、手続きの遅さといい加減さについてはよく書いてあったな、と。

しかし、長時間待った乗客15名に、何か連帯感のようなものが出来たのは面白かったです。昨日5日の朝2時半頃、そのうちの一人のオランダ人が、日本の書と絵が入った表紙のノートを抱えていたので話しかけると、周囲の人たちも、何が書いてあるか説明してくれと寄ってきました。

そこに書いてあったのは、「人生無常」。

「あー、これは丁度いいね。もともとは仏陀の教えで、人生は常に何が起こるか分からないってこと。僕達のフライトみたいにね!」

周囲は大笑い。もう一人のオランダ人の突っ込み。
「おい、その横にもう一行あるじゃないか!それって明日の予言でも書いてあるんじゃないのか!?」
またまた大笑い。お陰さまで、疲れていたけど、ナイロビ市内にも入ることが出来たし、この状況をそれなりに楽しめました。

アムステルダムからエディンバラへ向う、たった一時間遅れた飛行機の中で、フライト・アテンダントは、「時間が遅れて大変申し訳ありません。」と放送しています。これだよ、これ。ああ、先進国に帰ってきた、と思いました。

帰ってくると、息子は驚いて大興奮。興奮しているのに、恥ずかしくて、最初の10分間は、触れる範囲に近づいて来ませんでした。しかし、寄ってきたときに捕まえると、「捕まったー!ワハハー!」と大喜びでした。

今回のウガンダは、3ヶ月と長かったので、自分の方がカウンター・カルチャーショックの状態で、まだ環境の違いを受け入れられていません。

夜中中カエルが大声で鳴いていたり、街のほうで音楽をかけて踊っていたり、早朝コーランが流れたりと、絶えず音が周りにあったのに、ここでは夜は静かです。

家にはいた、たくさんの小アリと、マラリア原虫を持っている大量の蚊と、カブトムシのような立派なゴキブリがここにはいないし、水道は蛇口をひねってもアカムシが出てきたりしないし、そのまま飲めます。

それに、親しくなった人たちに会えない辛さ。
私はウガンダと、そこに住む人々を好きになっていたことを発見しました。
でも大丈夫、また戻れるのだから。

今日ユリ、サム、サリーの友人達が遊びに来るし、明日大学に行けば友人達がいる。またすぐエディンバラの生活にも慣れるさ、と自分を静かに励ますのでした。