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まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

マッピング・ゲーム

2006-05-12 07:06:20 | Weblog
5月11日(木)。

昨夜夜中の1時にようやく、2005年の間に主要な人畜共通伝染病に感染した人の住所をリスト・アップし終わりました。

そして今朝は8時から、その住所に向かい、衛星を使ったGPS(全地球地位システム)で緯度・経度・標高を測定して行きました。これを地図に落とすと、伝染病の発生の状況がよく分かるのです。論文だけでなく、8月の国際学会でのポスター発表に使う予定です。帰る前に全ての仕事を終わらせられるかが、今日にかかっている!ドライバーにもそれがよく伝わったようでした。

ほぼ初めての道を、次から次へと走りとおして行きます。ドライバーは長く首都カンパラの住民だったため、よく知っていました。僕も目的地を次から次へと伝え、道に迷えば、ガンダ語でバイクタクシーのお兄さんたちに助手席から道を聞きました。まるでマッピング・ゲーム。どれだけ早く回れるか、限界への挑戦のように。

結果、20以上の村落を回りきり、全ての作業が終了する可能性が高くなりました。
ドライバーも僕も疲れが溜まっているけれど、明日は100km北東のカムリ郡へ。そして、今日のデスクワークが終了した現時刻は、やはり夜中の1時なのでした。

明日は、ムセヴェニ大統領の就任式(かれこれ20年やっているけど、3月の選挙で勝利したため)で休日だけれど、我々は村に入ります。それではお休みなさい。

宴。

2006-03-11 21:50:31 | Weblog
3月8日(水)。

翌日には、日本の某大学の先生が帰られるので、夜は先生を夕食に招待しました。
料理は、ハギス、タラとサバの燻製、マッシュポテトに大カブをマッシュしたもの、温野菜という、どれもスコットランドでは定番の品。酒はグラスゴーのビールとFamous Grouseという、ライチョウの絵が描いてあるスコッチウイスキー。Famous Grouseは、安くて手ごろだけどまあまあ旨く、日本でも手に入りやすいはずなので、紹介にと、これにしました。

始めは協力隊時代の話を中心に盛り上がり、他の話も尽きることなく楽しい時間を過ごし、気が付くと朝の3時半になってました。先生と二人で飲んだFamous Grouseもほとんどなくなり、しのびながらも先生はB&B(宿)に帰って行ったのでした。

しかーし、4時頃電話が鳴り、受話器を取ると、先生からで、宿の鍵が閉まっていて入れないとのこと。

すぐに、借り物のエアーベッドを膨らまし、泊まって頂きました。それから僕は登山の準備を。なんだか本当に、協力隊時代の隊員連絡所みたいで楽しかったです。なんとか朝5時に就寝。

初めてのおもちゃ

2006-02-21 08:42:04 | Weblog
2月19日(日)。

今までは、息子も赤ちゃんに毛が生えたようなものだったので、お下がりの人形で遊ばせたり、画用紙にせがまれる絵を描いてあげたり、一緒に粘土で遊んであげていましたが、とうとうおもちゃを指定して買ってほしいと頼むようになりました。

今はまっているのは、多分日本でもやっていると思うのだけど、ボブ・ザ・ビルダーという、大工さんのシリーズ。先日またまた入院していたときに、その物語の中のブルドーザー、スクープのおもちゃを買ってほしいと言っていたので、郊外のトイザラスまで、バスで買いに行ってきました。

息子は、寒くて外出したくないというので、お父さん一人で行ってきたのですが、プレゼントを買うというのはいいですね。大きい店内でやっとおもちゃを見つけたとき、喜ぶ顔が目に浮かんで、嬉しくなりました。

帰っておもちゃを渡すと、息子は自然に「ありがとう!」と言いました。それからは、ずっと遊んでいました。飽きずに一つのおもちゃで集中して遊べるようになったのです。テレビの中の、彼のヒーローが手元にある喜び。子供番組とおもちゃ製作、製造、販売に携わっている人たちは、こんな子供の表情を見たら、やりがいがあるだろうなー、と想像してしまいました。

最近、徐々に息子が子供部屋で寝るように準備をしているのですが、この日はおもちゃを抱えたまま、初めて一人で寝ることが出来ました。僕も自分自身、おもちゃに抱いていた感情を想い起こすことが出来ますが、いいものですね。彼だけの世界が形成されていくのを見守るのは。

よいお年を!

2006-01-01 02:24:31 | Weblog
12月31日(土)。

僕も息子もほぼ風邪から回復し、今日は久しぶりの買い物。
明日はスーパーも正月休みなので、今日買出しをしないとね。

今年を振り返ると、やはり長くて濃い一年でした。
まず初めに、初めて英語のレポートを書き、提出しました。
それから徐々に、研究計画を通して、疫学という学問自体を学んでいきました。
エディンバラ大学獣医学部の学生に講義するという機会も得ました。
9月からは、ウガンダに3ヶ月単身赴任し、多くのフィールド調査を実施しました。

次は家族。
妻には大感謝です。僕がウガンダに行った後、よくぞ一人で子育てをしながら語学学校に通いました!そして日本とイギリスを往復しました!(もう、ようやらんと切実に語っております。)息子にも大感謝です。よく頑張ってくれてます。でも頑張ったのはやはり妻でしょう。
お便りを頂いたり、応援してくださった親戚、両親、兄にも大感謝です。

最後に、皆々様。
高校弓道部OBのみなさん、昨日は宴会中に国際電話をかけてくれてありがとね!
家畜保健衛生所時代の最初の上司、K先生。昨日の夢の中に出てきてくださって有難うございます。「仕事には、ひげくらい剃って来い!」と夢で怒られてしまいました。朝起きて剃りましたよ。
その他、頂いたご恩は数知れず。皆様どうも一年間有難うございました。

それでは、皆様もどうぞよいお年を。

イギリスでの原爆報道

2005-08-09 15:45:48 | Weblog
8月7日(日)。

うちにはよくアフリカ人が出入りするが、BBCが「Hiroshima」という特番を放送しているときも、タンザニア人とザンビア人女性一人ずつがメールをチェックしに来ていた。

しかしこの日ばかりは事情を説明し、テレビを見ることにした。実際、他国の人にも原爆のことを知ってもらういいチャンスだとも考えた。彼女達は、日本に投下された原爆のことについてあまり知らなかった。

テレビが原子爆弾が爆発した時の映像を映したとき、彼女達は丁度メールを終わったところで、「これは恐ろしいことだ」と言って帰っていってしまった。その後の放射能の影響の方が、さらに恐ろしく、是非彼女達にも知ってもらいたい内容だったが。あまりに僕がシリアスに見ていたので、単に気を使っただけかも知れなかった。イラク人家庭がイラク戦争の映像をシリアスに見ているときに家にいたのと同じことだろうから。

内容としては、想像以上によく出来ていた。コメンテーターも出てこなかったし、今分かっている事実に基づいて、どちらの側に立つこともなく客観的に再現されていた。日本側は被爆者、当時従事した医師、アメリカ側は原爆を投下したパイロット、リタイヤした元政府高官たちのインタビューが入っていた。

小学校のころから話を聞かされてきた原爆の模様が、番組で再現されていたし、自分が聞いたよりも科学的に説明されてもいた。実際番組の制作には、多くの日本人スタッフが携わっていた。日本で放送される番組と決定的に違うところは、終戦のイメージが、日本では敗戦であることに対して、こちらでは勝利に沸き返る街を映し出していたことである。

番組最後の日本人医師の言葉:アメリカは、原爆を落とせばどうなるか分かっていた。ただ人体実験のデータがなかったからやったんです。

番組最後の元アメリカ政府高官の言葉:原爆は、トルーマンが落としたのではない。日本の間違った判断が落とさせたのだ。

この一時間番組「Hiroshima」は、BBCからDVDとして発売される。

番組終了後に始まった人気サッカーチームの試合、アーセナル対チェルシー戦で、普段なら歓声で盛り上がっているはずの試合直前のスタジアムが、選手も、観客席も静まり返ってお祈りをしているようだった。テレビの音を落としていたのでちゃんと聞き取れなかったが、合図とともに再び会場はワッと歓声が戻り、試合が始まった。あれは多分、広島原爆への黙祷だったのだと思う。

テロ後のエディンバラ

2005-07-08 23:28:05 | Weblog
7月8日(金)。

先週土曜日に小さな暴動が自宅フラット前であったが、ロンドンでは大変なことが起きてしまった。
当然のことながら、テロや戦争と、自分との距離や関係が近ければ近いほどショックは大きい。
1995年の地下鉄サリン事件は、確か獣医師国家試験の発表と重なっており、事件現場近くの農林水産省で発表があったので、見に行っていたらどうなっていたか分からない。
2年間ボランティア活動をしていたネパールでは、マオイストによるテロが激化し、手口も容赦ないものに変わってきた2000年、住んでいた村で夜中に泊めてあったヘリコプターが爆破された。それからは毎晩枕元にククリナイフを置いて寝た。

新聞やインターネットのニュースは、爆発が起きた地下鉄とバスに乗っていた人の、非常に生々しいインタビューを掲載している。イラク戦争のどんな記事よりも詳細で生々しい記事だ。これらは日本版のインターネット記事には載っていない。

たまたま昨日は用事があって朝10時半頃帰宅したので、爆発の直後テレビで事件を知った。すぐに1995年の地下鉄サリン事件を思い出し、テロだと確信した。
事件から一夜明けたエディンバラでは平静さを装ってはいるが、人々は少なからずもショックを受けている。朝バスの軽い衝突に居合わせた他の学生の話では、衝突の音とともにパニックに陥り、悲鳴を上げる女性がいたと言う。

ここに書いている僕もショックを受けているうちの一人だ。ミーティングがなくなって助かったが、動揺しているようで仕事がはかどらない。

今回のG8サミットでは、テロリストの思惑どおり、事件によって議論を深めることが阻まれたようだ。人間という生き物の、克服できない暗い側面に、怒りよりもやるせない気持ちを感じている。

閉め出し

2005-02-13 23:47:17 | Weblog
こちらのフラットの戸は、閉じると自動で鍵が閉まってしまう。

昨日、パーティーの誘いがあって、以前紹介したステワート夫妻が呼びに来たので急いで出たところ、妻も私も鍵を持っていないことに気が付いた。

げー!閉め出しー!
これからパーティーだっていうのに!

しかしステワート夫妻がいて良かった。彼らのフラットは近くなので、そこに行ってイエローページで鍵屋を探した。(こっちでも同じくイエローページ。)一件目は忙しくていつになるか分からないと言う。やっぱり結構やっちゃう人がいるんだ。二件目は30分後に現地でということで連絡が取れた。ただ待つのも手持ち無沙汰だし、ワインを飲んで話していると、彼らももう何回かやってしまったということだった。みんな閉めてから鍵をかけるようなシステムにすればいいのにね。でも盗難が多いからなんだろうな。

時間が来たので見に行ってみると、ちょうど鍵屋も着いたところだった。部屋を案内すると、彼はバッグから厚紙のようなものを出したと思ったら、戸の隙間にそれを差し込み、ちょっと持ち上げただけでパチッと鍵を開けてしまった。え?それだけ?

鍵屋は45ポンド(約9千円)を請求した。家族3人約1週間分の食費だ。ステワートが交渉してくれて、40ポンドにまけてもらったが、時給にするとエライいい値段だ。まあ事故に逢ったよりは安いということで、納得しました。

今日もイギリスでは、一体何人の人が鍵屋のお世話になっていることだろう。