玉川な日々

一日の疲れは玉川に流して・・・

信仰は論理矛盾を越える(2)

2014-01-26 16:32:38 | 日本人の悟り
神話や伝説は、古代のそれぞれの時代の物の考え方を示している。

ギリシャ三大悲劇詩人の一人エウリピデスの「オレステースの物語」から。

 オレステースの物語は、長い、数代にわたる彼の一家にまつわる呪と殺人の話である。

 先ずアトレウスが弟のテュエステースと仲たがいする。弟の子供たちを料理して父親に食わせる。アトレウスの子アガメムノーンがトロイエーに遠征して留守の間ににテュエステースの子アイギストスはアガメムノーンの妻クリュタイメーストラーと通じる。彼女も亦夫が出帆の時に、アルテミス女神の怒りを解くために娘のイービゲネイアを犠牲に供したことを恨みに思っている。アタメムノーンが帰ってくると二人は共謀して王とその連れて来たトロイエーの王女カッサンドラーを殺す。その時国外に遁れたアガメムノーンの子オレステースが成人して帰国、姉のエーレクトラーと力をあわせて、母親とアイギストスを殺す。しかし、オレステースは母殺しのために、復讐の女神エリーニュスたちに追いかけられ、狂気となってアテーナイに行き、そこでアテーナー女神の下に裁判をうけて、許されるが、なお一部のエリーニュスたちに追われ、その狂気は黒海岸のクリミアのタウリスの地のアルテミスの神像をアテーナイに持ち帰った時に癒される。そのためタウリスにいった彼は、アルテミス女神の神殿で、密かに女神に救われて、神殿の宮守となっていた姉のイービゲネイアに出会い、彼女に助けられて、共に帰国するのである。1)

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イエスの生まれる5世紀前の物語で、孔子が「論語」を説いていた時代でもある。

 天地を創造したのが神だとすると、その神は物体の質量を自在に変える力、少年でもわかるように簡単にいうと引力、を含む分子間力が神の実態の中心ということからすると、神が道徳の「ド」の字を持ち合わせていないことを非難できない。

 また神々が、荒れ狂う珍峰をもてあまして、人間の女を孕ませて半人前の人間を造ったために、欲望のままに野獣のように動物や弱い人間を襲っても、良心の呵責も感じなかったのは、たかだか2500年ぐらい前の地球の現実であったことは神話が教えているところだ。

 さすれば、凶暴な外敵から民族を守り、時代を越えた共同体組織、魂の救済への渇望は、現実が精神的な未熟による半獣人が暴れまわった社会では、必要だったことは間違いない。

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 神話を現在の価値観や論理的な不整合で非難することはできないことは当然ではある。また、現実の不合理の方が宗教の教義の不合理に勝っていれば、信仰は力を信者に与えたのであろう。


参照
1)ギリシャ神話、高津春繁著、岩波新書


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