盤珪と道元の開悟への道を辿り、その厳しい修行の道に想いを巡らせるだけでも清浄な気持ちなる。そして、開悟はその人その人により表現が異なることも知ることができる。僧として修行されている人に敬意をもつものですが、この激しい修行を一般のわたくしたち衆生ができるはずもない。そこで釈尊の悟りの原点を振り返ってみる。
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ここで、釈尊が開悟した際のウダーナ(偈)をみてみましょう。
〔初夜(夕暮れ)の偈〕
「実にダンマ(法)が、熱心に入定しつつある修行者に顕わになるとき、そのとき、かれの一切の疑惑は消滅する。というのは、かれは縁の理法をしっているから」
〔中夜(夜中)の偈〕
「実にダンマ(法)が、熱心に入定しつつある修行者に顕わになるとき、そのとき、かれの一切の疑惑は消滅する。というのは、かれはもろもろの縁の消滅を知ったのであるから」
〔後夜(明け方)の偈〕
「実にダンマ(法)が、熱心に入定しつつある修行者に顕わになるとき、かれは悪魔の軍隊を粉砕して安立している。あたかも太陽が虚空を照らすがごとくである」
ダンマとは、のちに如来となづけられるものである。修行者に如来が顕わになり、通徹するとき煩悩、私心は消えさり、そして如来は修行者の内から外に光を放つようになる。これが、ブッダの禅定による開悟である。
また、ブッダは入定中に、
「わたしによって証得されたこのダンマは、甚深であり、理解しがたく、悟りがたく、寂静で、すぐれており、分別の領域を超えており、微妙であり、賢者によって知られるべきである」
と述べ、
「しかるに世の人々は、アーラヤを楽しみ、アーラヤを喜び、アーラヤに喜悦する。実にアーラヤを楽しみ、アーラヤを喜び、アーラヤに喜悦する人々には、ダンマはとうてい理解できない。たとい私が説いても、私はただ疲れ果ててしまうだけであろう」
と沈黙する。ブッダは人間に絶望するが、梵天サハンパティの懇願によって、山を下りて説法活動に入る。そして、次第に自分が初めて目覚めたのではなく、すでに過去の諸仏もおなじようにダンマに目覚め、また未来の仏道者たちも同様に目覚めることを知るのである。
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無明におおわれ、渇愛に結ばれ、流れさまよっている衆生。わたしたちが生をうけ、どのように如来に目覚め、その真理を生かすことができるのかは、永遠の如来の一切衆生にたいする永遠の説法に示されている。
日本にまだ仏教の宗派もない時代に開悟、ダンマ顕現したといわれる聖徳太子。仏教のかなから真理を発見し、その真理を大衆ともに実践に移そうと努力された。まさにブッダ滅後千年の時を経て太子に顕わになるのである。
伝えるところによれば、太子はしばしば夢殿で三昩に入ったといわれる。月に三度、お沐浴して夢殿に入り、七日七夜、戸を閉めて入定した。太子の師は慧慈法師。
太子自身の句、(『維摩経義疏』より)
「若し至聖を論ずれば、即ち智、真如の理に冥し、永く名相の域を絶つ。彼もなく此れもなく、取りもなく捨もなし。既に大虚を以て体となし、万法を照らす心となす。何ぞ名相として量るべきことあらん。・・・大悲息むことなく、機に随って化を施す。則ち衆生のある所、至らざる所なし」
太子が、あつく三宝(仏・法・僧)に帰依せられたことは、十七条憲法の第ニ条に「篤く三宝を敬え」とあることによりわかる。ここに太子が、自分ひとりだけが目覚める道ではなく、かならず大衆とともに生き得る道を問われたことの証でもある。
また、太子は真の善はいかなる人にも行い得るものでなければならないと考えた。仏教の教義からいえば、大乗を理解することが先であり根本で、その理解の上に善を行う。しかし大衆の側からいえば、理解は大衆にとって普遍的なものではない。能力に優れたものも劣ったものもあるからである。しかし善は、善を行うという意思さえあれば誰にでもできる。むしろこちらの方が普遍的である。そこで太子は、善を根本とし、解を枝葉とされたということだ。
経典を読んで理解できるものはこれを行い、できなければその教えをまずは生活の中に活かせと教える。
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太子の教えに従い、多くの経典から何を学び、どう活かすのかを次から考えてまいりましょう。
参照
1)「悟りと解脱」-〔宗教と科学の真理について〕-、玉城康四郎著、法蔵館
2)「永遠の世界観 華厳経」 玉城康四郎著、筑摩書房