玉川な日々

一日の疲れは玉川に流して・・・

ロシア的人間(1)

2012-11-06 17:22:27 | 左様出尾蛇瑠

ドストイェフスキー「白痴」の中で、ロゴージンの陰惨な家の一室にかかっている絵である(ハンス・ホルバイン作 「墓の中の死せるキリスト」)。

・・それは完全に一個の人間の屍――十字架にかけられる以前に、十字架を背負って歩き、十字架の下に倒れ伏し、傷や拷問や番兵の笞打、民衆の殴打など限りない苦しみを受け、そしてそのあげく十字架の苦痛を六時間(少なくとも私が計算してみたところでは六時間という勘定になるのだ)の長い間堪え続けた人間の死骸だった。それは本当にたったいま十字架から取り外して来たばかりの人の顔、つまり、まだ充分生命の気配の残った、ぬくもりのある顔であった。まだどこも硬直していないので、この死人の顔面には苦しみの表情が浮かんでおり、今でもなおそれを感じているかとおもわれんばかりだった。しかしその代わり、顔の描き方は全く情け容赦なく残酷なものだった。完全に自然どおりなのだ。つまり、誰だってこんな苦痛を味わった後ではこうなるより仕方あるまいというような描き方だ。

 この余りにもなまなましく人間的で、「完全に自然法則に従って死亡した」基督の像は実にぴったりとロシアの基督教の性格を象徴している。信仰ある多くの人々を信仰の喪失に、信仰の拒否に導いて行くこのものすごい「死骸」こそ、同時に多くのロシア人の胸にあの狂乱のような信仰の陶酔を生み出す源泉でもあるのだ。

 西ヨーロッパ的表象においては、十字架は神の国の反照を浴びて空高く壮厳に輝いている。それに反してロシアの十字架は、蕭条たる髑髏(どくろ)が丘に無造作に突き立てられた貧れな棒杙(ぼうくい)にすぎぬ。神光の照映も、淨福の影もそこにはない。陰鬱に雲垂れこめる灰色の空のもと、颯々たる荒風のなかにそれは淋しく立っている。釘打たれた基督は足先をだらりと地上に引きずり、何事も気づかぬようにその前を往来する群集にさえぎられて、わずかに顔だけちらとのぞかせていた。しかもその顔つきの何という惨めなことか! ロシアの基督! 十字架の栄光はどこにあるのか!

 しかるにロシアの十字架において、我々は、人々と共に卑しめられ辱しめられた一個の人間を見る。それは「虐げられた人」としての人間基督だ。「虐げられた人々」の自覚に生きるロシア民族と共に虐げられ、共に苦しみ共に悩む基督の姿だ。そこには民族と基督の間に、他に類のない人間的共感がある。その共感が愛となり、愛はやがて熱烈な信仰になる。だからここでは、信仰は文字通り愛から始まる。人間基督にたいする熱狂的な愛が、そのまま復活の基督に対する熱狂的な信仰に変成する。しかも、共感と言い愛と言い信仰と言っても、それぞれが独立した別々の状態なのではなくて、実は全てが錯雑して一つに混ぜ合わさったような、狂激な情熱で、それはあるのだ。

 基督を最高絶対の「真理」として、生きた真理として把握してきた西欧の中世カトリック的世界から、ロシア的信仰の陶酔の世界のいかに遠く距っていることか。「もし誰かが、基督は真理の外にあるということを私に証明して見せたら、そしてもし本当に真理が基督を締め出してしまうなら、私は真理よりむしろ基督と共に留まるだろう」とドストイェフスキーは断言した。ロシア人における愛・即・信仰とはおよそこういう性質のものである。

 ニーチェは基督教を奴隷の宗教とののしり、奴隷的人間にこそふさわしい宗教だといったが、幸か不幸かロシア民族は事実上、一個の「奴隷」だった。しかも韃靼人という東方「蛮族」の奴隷だった。

 諺にも残るほど残酷な韃靼人の凄まじい侵略の前に、平和に富み栄えた往古のロシアはたちまち阿鼻叫喚の巷と変じて行った。当時、華の都と詩歌にも謳われたキーエフが灰燼に帰したのは一二四〇年のこと。陽気で何の屈託も知らぬロシア人は一夜にして奴隷の屈辱に叩き込まれてしまった。しかもこの韃靼人支配は十三世紀、十四世紀、十五世紀と三世紀にわたって続いた。文字通りそれは奴隷の三百年だった。しかしそれと同時に、この屈辱の経験は、プーシキンの言うように、「偉大な」経験でもあったのだ。何故なら後世の史家がロシア精神の特質として指摘するものの大部分は、正にこの屈辱と困難のうちにこそ形成されたのだから。ともかく、それ以前には、ロシア精神と呼べるものは地上に存在していなかった。本来の意味でのロシア精神は、ロシア民族が「虐げられた人々」となった時から始まるのである。

・・

なぜソ連が崩壊してから21年も経て、まだ共産党支配がつづくのか? その答えがこのを読むと理解できるとおもいます。予定は三回。


引用は、「ロシア的人間」井筒俊彦著 中公文庫 からです。
 

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