玉川な日々

一日の疲れは玉川に流して・・・

ロシア的人間(3)

2012-11-13 18:27:43 | 左様出尾蛇瑠

                             ハンス・ホルバイン作 「墓の中の死せるキリスト」


 ロシアは「最高の真理」を捧持する地上唯一の民族であって、やがてロシアが中心となって世界は救済されるだろうというこの特徴ある思想 - というより幻想 - をロシア人が抱くようになったのは韃靼人時代につづくモスコウ時代のことであった。この民族主義・国家主義的な世界救済のメシア思想を理解することは、ロシア文学のみならず一般にロシア的現象をというものを正確に解釈する上にきわめて大切である。

 韃靼人の支配下にあった三百年の間にロシア人が「虐げられた人々」として次第に濃厚な黙示録的幻想をいだくようになった。その後、イヴァン三世が韃靼人を撃破して「ロシア人のロシア」モスコウ公国を実現したが、神権政治の形態をとる中央集権国家で、韃靼人とは形態が異なる奴隷時代がその後二百年続き、この時代に黙示録的精神はいよいよ決定的な形となり、いわゆる「第三ローマ」という、ロシア民族のとてつもない世界全人類救済という夢想に結晶した。

 元来、モスコウ・ロシアは、四隣から完全に孤立して自己の殻の内に固くとじこもった東洋の国に過ぎなかった。メシア的な世界救済の夢を抱いてはいたが、それは世界歴史の現実とは縁もゆかりもない白昼夢で、世界を救うどころか、実は今にも世界から圧しつぶされそうな情勢になっていたのだった。これにただ一人気づき、骨の髄まで腐敗したロシアを救済し、西ヨーロッパの技術文化を導入し、国家機構を根本的に改造し、東洋からヨーロッパの東端ロシアにしたのがピョートル大帝である。

 ピョートル大帝はたんに暴力革命の象徴としてロシアの政治史に無類の位置を占めるばかりでなく、あらゆる問題の中で最もロシア的な問題といわれる「自由」の問題をはじめて主題的にロシア民族の前に提起し、ロシアを「自由」にした。モスコウ・ロシアを一挙に破壊し去った彼は、それによって過去五百年にわたる奴隷精神を一思いにたたきつぶした。しかしあまりに急に上から押し付けられるように解放されたために、「自由」に戸惑い狼狽した。奴隷状態は屈辱的で苦しいが、見方によれば、この上もなく呑気で気楽な状態だ。厄介な自由意思を少しも働かせる必要がない。自由がなければ責任もない、この呑気な生き方はすこぶるロシア人の趣味にあっていた。そして強引に与えられた自由は、百年後に最高潮に達し暴走をはじめる。あまりに一度に激しい創造性が目覚めすぎて、支離滅裂になってしまい、自由というより無秩序、混乱と錯雑に陥る。この無軌道に疾走するトロイカの前に大手をひろげて立ちふさがったのがレーニンである。

 ピョートル大帝から与えられた自由を持て余したロシア人は、レーニンの共産主義の奴隷として再び歓喜の時代を迎えるのである。ギリシャ政教に代わって共産主義というイデオロギーによって世界救済を実現するという幻想に酔って。
 
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 「ロシア的人間」がはじめて出版されたのは1953年早春で、1988年に書かれたあとがきに井筒は次のように記している。「大学を卒業したての未熟な若者が、要するに自分だけのために書いた私記であるに過ぎない。学問とはどうゆうものであるべきかも分かっていなかった。ただロシア語を学び、始めてロシア文学に触れた感激を、ひたすら文字に写しとめようと夢中になっていた。だがそれだけに、私個人にとっては、実になつかしい青春の日々の記録ではある。」

 中央公論は朝日新聞とともに大東亜戦争という敗戦共産主義革命を推進した昭和研究会の主要メンバーを構成しておりましたので、井筒のするどいロシア人の精神的解体新書をどうしても受け入れがたい人(左翼の読者)のためのエクスキューズもわすれなかった。というわけで最後に袴田茂樹の読後感を載せている。袴田と聞けば、思い起こすでしょう、父は日本共産党員1940年にソ連に亡命、伯父は日本共産党幹部の袴田里見。生粋の共産主義者ですから、共産主義ロシアをどう弁護したらと本質を外した書評についてはご想像におまかせします(笑)。

 さて、1991年12月25日にソ連が崩壊してからの20年、共産主義独裁から解放されたロシア人はどんな国を作ったでしょう。ピョートル大帝から突然与えられた自由をもてあましたように、井筒の見方がとても本質をついていることを証明しているように私には思えますが・・

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引用、「ロシア的人間」井筒俊彦著、中公文庫 より
 

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