玉川な日々

一日の疲れは玉川に流して・・・

経済学とは

2013-05-26 14:58:35 | 金融・経済
ひさかたぶりに、西部ゼミナールから

錯乱腐乱に向かうエコノミックス-不確実性から逃げる経済学者

東谷さんのフリップから、経済学者の名言

・ポール・クルーグマン
 「現代経済学は、よくいって驚くべき無能をさらし、悪くいえば事実上の加害者でありつづけた。」

・ジョーン・ロビンソン
 「経済学を勉強する目的は、どうしたら経済学者に騙されないかを学ぶことにある。」

・ミルトン・フリードマン
 「市場では各人が望む色のネクタイを手にいれることができる。(政治のように)少数派に属していると、多数派が好む色を強制されることはない。」

・ロバート・スキデルスキー
 「金融市場に関してケインズ理論が今日の主流派とこのなるところは、彼がリスクと不確実性を分けたところにある。」

・西部邁
 「その中心部に入ると、実り豊かなはずの経済学は、律儀にやればやるほど、ひどく貧困で、この自分が枯れていくと感じた。」


ケインズが経済学をまじめに考えたのは8カ月間で、西部邁は3年間であった。

倫理や道徳を無視した経済学とは、競馬予想より品のわるいヨタ話であるということを肝に銘じておいた方がよいということのようです。




「現代人の悟り」-(11) 心

2013-05-23 20:31:22 | 日本人の悟り

 いま一度、「摩訶般若波羅蜜多心経」(このリシーズ(8)に示した)にもどると、

偉大な智慧の完成の行を実践したいと願うなら、五蘊皆空(存在するものの、五つの構成要素(色、受、想、行、識)、それらはもともと空である)ことを見通すことだ。

形あるもの(色)は空の性質をもつものであり、空の性質を持つものこそが、まさにかたちあるもの。感受作用(受)、表象作用(想)、意志作用(行)、認識作用(識)も、これとまったく同じと説いている。
まさに否定の哲学-即非の論理-である。この矛盾を見通すことから悟りが開かれるというわけである。

五蘊(色、受、想、行、識)は、人間の意識の階層で五識(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)、六識(意識-前頭葉)、七識(マナ識-自分に執着する心の働き、フロイトが考える無意識)までに属するもので、仏教はその先、八識(アラヤ識-生に執着する心の働き、ユングの無意識)、九識(真如)に悟りの境地があるとするからだ。

七識までを第一の心、八識から上を第二の心という。フロイトがそうであるように欧米人は第一の心に住む人々だ。東洋哲学、とりわけ仏教を信仰する人々は第二の心に住むといってもいいかもしれない。


金剛経(般若経の一部)に「応無所住而生其心」という有名な句がある。シナに禅宗をひろめたといわれる六祖慧能(えのう)が、他の僧がこの金剛経をとなえているのを聞いて、この句で開悟したとされる。

「応(まさ)に住する所なくしてしかもその心を生ずべし」と読み、何か一つの場所、事柄にとらわれてそこから離れられないのが住である、これが貧者ということ。すなわち、無念、無心になれとおなじことで、名とか、権力とか、利とかというものに縛られて居るので、その縄のはしを誰かに掴まれれば、その人は他によりて自由に動かされるのである。

いまの政治家と経営者は、貧者の代表ということ。

では「その心生ず」の心とは、先にのべた第二の心なのである。無念、無心になってこそ、その心が生ずるのである。

・・

以上で、「現代人の悟り」シリーズの前半の導入部を駆け足ではありましたが終了としましょう。

ここから先が本論であり、その悟りを私たちの生活にどういかすのかということですが、どうしても意識論でこむずかしい語彙を多用するのでほとんどのみなさんには興味もないとおもわれますので、しばらく間をおいて結論だけにしたいと考えています。

盤珪が説いたように、なんの苦行も修行もいらず悟りの境地に到ることができ、それを実践すると、間違いなく成仏し極楽に往生できるわけです。

私に現代仏教への扉をひらいたのは、明治から昭和前期までの偉人であった。鈴木大拙、井筒俊彦、玉城康四郎、それから岡潔、先生方が残したおおくの書籍を通してであった。あらためて大先輩に感謝するとともに、日本人に生まれた幸運に感謝するものです。


参照
1)「日本的霊性」鈴木大拙著、角川ソフィア文庫
2)「般若心経」- テクスト・思想・文化- 、 渡辺章悟著、大法輪閣

「現代人の悟り」-(10) 否定の哲学

2013-05-18 22:06:38 | 日本人の悟り
 大袈裟にいえば、その国のGDPは智慧と煩悩を合わせた大きさ( Gross national amount of Desire and Passion ) とも言えます。その国がまともに経済成長をするためには、智慧により煩悩を良質な妄想にかえることが必要となりまする。故に、義務学校では煩悩をおさえて妄想を良質に膨らませる競争の仕方を主に教えます(笑)。

・・

さて、本題。仏教、大乗教の底流にある基本は「否定の哲学」といっていい。般若の論理は

山は山だというのは、山は山ではない。
故に、山は山である。

である。山は例えであり、すべてにおきかええる。肯定は否定で、否定は肯定であると、煩わしい論理を使うのはなぜか?

説明もややこしいので結論をいうと、この矛盾を考えられ、受け入れられるのが人間の人間たるゆえんであり、犬や猿と違うところだ。

欲望のままに行動するなら、動物とおなじだ。動物とおなじように煩悩のまま生きることは容易だが、動物のまま生きたのであれば、あの世にいくときお経をあげてもらっても意味さえ知るよしもない。

そのため、禅宗では修業として、その矛盾を否定から問うのでる。

・・

煩悩に振り回されて生きる人間に、煩悩とは何かを問うてもはじまらない。

煩悩が何かさえ知らないのだから。お経を聞いても悩みはなおさらに深くなる。


参照
1)「日本的霊性」鈴木大拙著、角川ソフィア文庫


「現代人の悟り」-(9)閑話休題

2013-05-11 23:02:55 | 日本人の悟り

 テレビを見ない人は多くなったとはいえ、一日に数分は見るでしょうが、テレビが映像でそこに映っている人物がテレビの中にいると思っている人はいない(と思いたい)。

それと同じことが、私たちが見ている人間や動物が存在しているかどうかは、その定義によるようで、釈尊が五蘊皆空といったことが真実であることが、1930年代の素粒子論の発展により現実のものとなりつつある。

湯川秀樹が中間子の存在を予言したのが1935年、昨年(2012年)はヒッグス粒子の発見が報じらた。

素粒子には安定な素粒子群と不安定な素粒子群があり、不安定な素粒子群の寿命は長いものでも100万分の1秒で普通は100億分の1秒らしい。安定な素粒子がどのように生滅するのかは解明されていないが、不安定は素粒子は時間も空間もないところから生まれて、また時間も空間もないところへ帰っていくと考えられている。

存在しているように見えている物質は、素粒子レベルでみるとつねに入れ替わっていて、テレビの映像を見ているのとそれほど変わらないのかもしれない。

それから時間というものは存在しないとうのが、金剛経でいう「三世心不可得」でこれは解りやすい。過去、現在、未来を三世としますが、これは区別できない。もしできるなら現在を箸でつまんで見せてくれたら、好きなものをなんでも上げましょうというカケに引っかかり負けて有り金すってんてんということになる。時間は空間移動を説明するときの空間座標と同じように時間軸を仮定すると解りやすいという、物理学上の説明の道具にすぎない。1)

不安になってきましたね(笑)。あなたはすでに死んでいる!といわれているようで。


参照
1)「東洋人の心」 岡潔 昭和45年7月 講演集より



「現代人の悟り」-(8) 経典が示す悟り - その2

2013-05-10 16:24:41 | 日本人の悟り
もっとも短い経典といわれる「般若心経」をみてみましょう。

摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空 
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 
空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不滅 是故空中無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃 至無意識界 無無明亦 無無明尽乃至 無老死亦 無老死尽無苦集滅道 無智亦無得以 無所得故
菩提薩埵 依般若波羅蜜多 故心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖遠
離一切顛倒 夢想究竟 涅槃三世諸佛 依般若波羅蜜多
故得阿耨多羅 三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神呪
是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦真実 不虚故説
般若波羅蜜多 呪即説呪日 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
菩提薩婆呵
般若心経        

・・

重要なところは最初の二行、経典名-「摩訶般若波羅蜜多心経」と最初の一行、観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空 です。

くわしい解説は参照1)をみていただくとして、経典名である「摩訶般若波羅蜜多心経」は、

摩訶 (偉大な) 般若(智慧の) 波羅蜜多(完成 *) という意味で、波羅蜜多はもうひとつ波羅(彼岸)蜜多(度す)という「彼岸に到る」という意もある。

つぎに、観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空 は、
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 (偉大で聖なる観自在菩薩は、深遠な智慧の完成の行を実行しつつ)
照見五蘊皆空(存在するものの、五つの構成要素(色、受、想、行、識)、それらはもともと空である と見通された。)

 釈尊の教えの基本である「空」を示し、以降の教文はその説明といってもいい。

・・

私がいつも利用している市立図書館では仏教と検索すれば9500冊がリストされ、「般若心経」だけでも169冊がある。僧侶の方や大学で哲学科で東洋哲学を専攻すれば、詳しいとおもいますが、インド哲学の特長である、-おなじ言葉の反復-にたする忍耐がないと読むのに骨が折れるのが仏教経典だ。そして、サンスクリット語から日本語訳と漢訳からの日本語訳の二通りが並べてあるので比較すると良い。サンスクリット語から漢訳されるとき儒教、道教の考えが、意味から漢字をえらぶ作業を通して仏教経典漢訳書に反映されていることにも注意する。

長々と書いたが、一般ビジネスマンが学ぶ教えを選ぶとすれば、

五蘊皆空、六波羅蜜、三世心不可得、
の三つをあげたい。次回以降、すこし掘り下げていきましょう。

・・

堅い話がつづきましたので、瀬戸内寂聴さんの「般若心経」をリンクしておきます。




参照
1)「般若心経」- テクスト・思想・文化- 、 渡辺章悟著、大法輪閣
2)「浄土三部経」(上、下) 中村元、早島鏡正、紀野一義 訳註