玉川な日々

一日の疲れは玉川に流して・・・

民主主義の本質

2014-02-11 17:41:45 | 社会・政治
都知事選挙が終わりました。政党に推薦された候補が当選したましたね。

この選挙が普通の選挙と違ったのは、まったく政党の支持を受けない田母神の登場でした。

結果は、政党の支持を受けた候補が上位を独占しましたが、政党の支持を受けない田母神氏が61.8万票を得ました。

・・

要は、民主主義の本質は主要メディアに登場する時間とアゲアゲされる結果で選ばれるだけで、皆さんは只の情報源の奴隷として投票に行くかの数量ということでした。

これまで、皆さんはまるで独立した個人なるものが存在しているという幻想を子供のころから教育と称して何万回も教えこまれてきましたね。

しかし、情報が支配されている社会では、独立した個人などというのは存在しないんです!

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民主主義という奴隷制度で、ホンワカしているあなた!

それがバカ者の本質なんだということを、この選挙が教えているとおもいませんか?


言語的位相

2014-02-10 17:26:27 | 日本人の悟り
つぶやく・・

猿: 「あぁ~、暇だぁなぁ~。 最近の人間がバカすぎて、騙して餌もらう必要がねぇんだ・・」

人: 「あぁ~、退屈だぁ。 電話一本で何千万も振り込むバカばかりで、 張り合いがねぇんだ・・」

神: 「あぁ~、退屈しねぇなぁ~。 俺が手抜きして人間をバカにしておいたから、図にのって猿以下になりさがって争ってばかりでぇ・・」


・・

さて、悟りというのは言語を超えたところのお話となりますので、言語とは何ぃ~なーんていう話題で道草しております。

支那語の幾何学的思考を、こんどは英語の代数的側面との比較でその特徴にフォーカスしましょう。

退屈な英語を、すこしばかり表現力を多様にしたシェークスピアから。

もっとも英米人の本性をあらす、シェークスピア的ののしり言葉(50の形容詞がつけられた)の一部から。

Foul knave! (汚らしい悪党)
Lousy knave! (シラミだらけの悪党)
Beasetly knave! (野獣じみた悪党)

Whoreson, beetle-headed, flap-ear'd knave! (淫売の息子の虫頭の垂れ耳の悪党)
Base, proud, shallow, beggarly, three-suited, hundred pound filthy,・・・
and the son and heir of a mongrel bitch! Pah! (下司の高慢ちきな上っ面だけの乞食根性の年に三回お仕着せをあてがわれて百ポンドで雇われている・・雑種の雄犬の跡取り息子め! はぁ!)

さて、これを中国語にGoogleで翻訳してみますと

臭流氓!
糟糕的無!
人面獸心的惡棍!
婊子養的,甲蟲的頭腦,瓣耳無!
卑鄙的,驕傲的,淺薄,乞丐,三不適應,百磅污穢,···
而兒子和一隻雜種狗娘養的繼承人!呸!

・・

いやぁ~、面白いでしょ。

意味はさておき、英語と中国語が一対一に対応して、親戚のように話が通じます(笑)。

しかし、形容が表面的で奥深い意味はありませんね。

幾何的であるか代数的であるかは関係ないわけではなく、

浅い認識レベルで共通性をもっているわけです。

・・

現代的な「悟り」が必要な要点ですよね。





支那的思考

2014-02-08 10:53:23 | 日本人の悟り
言語がそれを使う民族の思考法をよく反映しているので面白い。

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支那的思考の真髄は何か?

四書の中の入門書である大学の一節から

・・ 大学之道、在明明徳、在親民、在止於至善。

知止而后有定、定而后能静、静而后能安、安而后能慮、慮而后能得。

物有本末、事有終始。知所先後、則近道矣。・・・

大学の道とは、人のもつ明徳を明らかにし、民に教え、善に止まることだ。
止まれば定まり、定まれば静まり、静まれば能く安まり、安まれば慮り、慮れば能く得る。
物の本末が有り、事には始めと終わりがある。道は近い。

・・

一言でいうと、「善とは何かを知り実践するのが大学の道じゃ」

となっちゃうので身も蓋もなくなってしまうところ、

この次から次とくりだされる状況展開で人を煙に巻くところが支那思考の魅力なわけで、

中身が空疎でたわいもないことでも、劇的に見せることで、

知識人はイチコロで騙せるというところがミソ。


これは、漢字が象形文字からデザインされていて 形をみただけで意味の暗示ができることを

うまく利用し頭脳的な点です。

無知な知識人に、うまく二束三文の品物を売りつけるテクニックとしてみると、

いやぁ実の頭がいいと感心しますね。










デカルトと朱子学

2014-02-06 19:33:23 | 日本人の悟り
言語がそれを使う民族の考え方や物のとらえ方を表していることは間違いのないことですが

西周(にしあまね、1829~1897)が意図してrational に理性を充てたのかはわからない。

もともとシナにおいての理とは、天理すなわち「宇宙がかくある根拠」であり「格物窮理」の理であろう。

・・

 西洋人の考え方の代表をデカルトの「我思うゆえに我あり」と朱子学の「豁全貫通」(※1)は瓜二つの

ごとくである。デカルトは、「私」が疑わしいものを前に置き、その確実性を吟味しながら、突然その懐疑を

放棄して「私」という存在があるから疑うことができると、究極の論理のスリ替えをすずしい顔で成し遂げる。

朱子学における「格物窮理」のプロセスもほぼ同じで、静坐により絶え間なく動く心(「已発」の状態)を静坐により静めて、物の本質に迫る過程を「格物窮理」としているが、どんな状態になれば理に格するのかは一切説明できなず、あるとき突然に本質がわかることを「豁全貫通」とする。

英米人とシナ人はおなじ程度の浅い意識(第6識)での認識レベルにとどまっているのでしょう、

・・

なぜ、米国人がシナ人に親近感を無条件にもつのか、その大きな理由の一つが思索階級が同レベルということではと思います。




意図的な誤訳

2014-02-04 22:37:43 | 日本人の悟り
 なぜ明治維新は大東亜戦争の敗戦により失敗に終わったのか?

それまで、海外の思想なり文化を取り入れるとき、その本質をつかみエッセンスをとりいれるのが日本文化の基本姿勢であった。

漢字を自在に使うまでにはその意味を完全に理解したうえで使用したから訓読みもつくった。

しかるに、英語を訳してその意味を日本語するとき、故意に語訳したのが見受けられる。

前にも書いたような気がするが、その代表が理性と訳した rational

ratio が主たる意味ですから、本来なら比対的あるいは利的の語をあてるのがスジであった。

さすれば、西洋の合理主義が実利主義 pragmatism とおなじ程度の意味であることも誤解せずにすんだものだ。

江戸時代に教条主義に毒された儒教の素養が身にしみていたから格物究理の理を当てはめてしまったのかしらん。

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意識の Consciousness も、もとはといえばラテン語のscio :知る から借りてきたものですね。

それで 同系列の 良心と訳された conscience も scio の派生語でした。

けっきょくアングロサクソンが、幸福とは何かというのを哲学したけど、わからなかったその原因がここにあるわけでしょう。

さらに深い意味の解説はまた別の機会に。

いやぁ~、人類はヒト科にはちがいない形相なんですが、精神の方面からみたらサル科の人類もいるということを思い知らねばならないとでしょうか。

進化論は、サルとるのヒト科への希望だったんでしょうか?