平将門の首塚は大手町1丁目1番1号にある。(現在の三井物産本社ビルの隣)
徳川家康は江戸城の正面玄関である大手門を首塚に移し江戸の開発を始めました。
江戸の都市は平将門の首塚のある大手門から江戸城を中心として時計廻りに堀をらせん状に
掘り進めて開発をすすめていきました。この「の」の字型の堀に幕府は、江戸城から放射線状に
延びる五街道(東海道、甲州道、中山道、奥州道、日光街道)を整備していったのです。
この五街道と江戸城の堀と交差するところに、平将門の身体の一部を祀った神社を配置したのである。
首塚・・・大手門
胴体・・・神田神社 その先は日光道につながる。
手 ・・・鳥越神社は、浅草門橋にあり奥州道につながる。
首桶・・・世継稲荷神社は、田安門にあり中山道につながる。
足 ・・・築土八幡神社は牛込門にあり中山道につながる。
兜 ・・・兜神社は、虎ノ門から東海道につながる。
鎧 ・・・鎧神社は四谷門にあり甲州街道につながる。
このように平将門の胴体を祀る神田神社を首塚のある大手町から分離して江戸城の鬼門(東北)に
移して江戸の総鎮守とし、身体を祀る神社を五街道の起点に設置を構想したのは、幕府の宗教担当
ブレーンである南光坊天海でした。
なぜ、江戸幕府は、平将門を祀る神田神社を江戸の総鎮守としたのか?それは、朝敵であった平将門を
祀ることで江戸っ子が尊王思想を持たないようにしたのであった。
江戸の町づくりは呪術都市として設計されて出発したのでした。
我が、MAトラストの所在地はその神田にあります。