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クラシックのよさは、マンガで伝わってしまった

2007-07-01 19:50:19 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月


作業は佳境を迎えつつあるが、とりあえず今日はお休み。
ひさぁしぶりに上野へ繰り出し、ロールフィルムを2本消費する。ただ、ストリートフォトとまじめに取り組むなら、最低でも2倍のフィルムを消費しなければならないだろうし、撮影者の調子や条件がよければ5~6本かそれ以上は軽く使ってしまう。
その意味では、非常にお遊び的な撮影だったが、またしてもロケハンとしては成果があったので、それはそれでよかろうかとも思う。



作業は来週から追い込みにかかるのだが、進捗状況は本当にぎりぎりのところだから、ぶっちゃけかなり不安はある。
とはいえ、もはや作業者を信頼するしかないところへ来ているから、あとは腹をくくって待ち続けるほか無かろうなぁ~



前回のエントリーで触れたデスメタル大好き君は、仕事もネタも相変わらず快調に飛ばしているが、中でも出色だったのがこれ。



「クラシックの連中は音楽のよさをマンガに伝えてもらったくせに、そのことが恥ずかしくないらしい」



言葉だけでも、自分はものすごいつぼにはまったんだけど、ほとんどの人にとってはナニが恥ずかしいのか全く分からなかったというのにもまた、激しくツボを刺激されてしまいました。



まぁもともとマンガというのは非常に総合的な表現媒体であるし、マンガ愛好者や作家たちも媒体を横断することに鷹揚なので、たとえマンガのよさが実写映像や文章で伝わったとしても、それに対して特別な感情は抱かないだろう。例えば、藤子不二雄Aの「まんが道」が実写ドラマ化された際、ある意味では当然のように藤子不二雄自身はもとより、トキワ荘に出入りした作家のマンガが再評価されたそうだ。
いわば、埋もれかかったりごく一面的な評価しかされていなかった作家や作品に対して、実写ドラマが光を当てたという格好になっているが、そのことに対してマンガ愛好者や作家が忸怩たる思いを抱いた形跡は微塵も無い。恐らく、これがSFやミステリ、アニメ、ゲームなどの媒体であったとしても、やはり愛好者や作家が忸怩たる思いを抱くことは無いだろう。



では、どうしてクラシック音楽ではファンや関係者が忸怩たる思いを抱かないとならないかのように思われたのかというと、それはクラシック音楽の世界に「本物の演奏」というひとつの神話があって、多くの演奏家や愛好者が録音音源はもちろん、生の演奏であってもアンプやスピーカによる電気的増幅手段を用いたものは「偽物」として退ける傾向が根強く残っているためである。例えば、武生国際音楽祭2004のコンセプトには「本物の感動は生のステージからの協同体験としてしか得られないことを実感していただけるものと自信を持ち、これまで一地方都市にあっても常に本物の演奏を提供してきた~」なる文言があり、またサントリーホールの「サントリーホールで音楽しよう」という教育プログラムにも「本物の演奏と響きを体感していただき、コンサートを楽しむ心を育てます」なる文言がある。



ぶっちゃけ、クラシックホールの解説なり宣伝には「本物の演奏」なる文言がこれでもかというほど使われており、いっちゃなんだが「本物の大安売り」となっている。つまり、クラシックの「本物のよさ」を知るためには、レコードだのCDだのをいくら聴いていてもだめなのはもちろん、アンプとスピーカを経由したフェスティバル演奏などですら失格となり、音響の優れたホールで生演奏を聴きこまねばならないということなのだ。
こういった傾向はジャズ愛好者にも見受けられるが、電気的の増幅された音を「偽物」として、アンプやスピーカの使用さえも忌避するというのは、クラシック愛好者に特有といってもよいのではなかろうか?



となると、のだめカンタービレは音すら出ないたかがマンガに過ぎないので(演奏の一部を電波に乗せて送信するだけのドラマ版も大同小異だね)、クラシックの「本物のよさ」はかけらも伝わらない全くの偽音楽であり、まがい物にすらなりえない存在となってしかるべきなのだが、よく知られているようにクラシック関係者にものだめファンは大勢いて、むしろ「クラシック音楽のすばらしさを伝えてくれた」と評価しているぐらいだから、現実ってほんとに面白いよな。



まぁ、関係者の中にはマンガをきっかけにクラシックへ興味を持った新しいファンを「のだめ軍団」と呼んで警戒したり、古参のファンにははっきりと不快感や嫌悪感をあらわにする人すら少なくないと伝えられる。だが、それまで「クラシック音楽に触れようとすらしなかった人々」に対して、マンガが極めて強い訴求力を持ったことそのものについては、特になにか感じている様子は見受けられない。



結局、きっかけが偽物でもマンガでも、クラシックに興味を示してくれればそれでいいというわけだし、事実としてそういった流れになっている。自分は、それじゃぁこれまでの態度は何だったのよといいたくなるデスメタル大好き君の気持ちはよく分かるし、またクラシック愛好者が「ポピュラー音楽を軽音楽として、文字通り軽く見てきた歴史」から考えても、いささかご都合主義に過ぎる態度ではなかろうかとも思う。



まぁ、根っこにあるのはデスメタル大好き君のルサンチマンに他ならないのだけど、デスメタルはルサンチマンに曲と詩が付いたようなもんだからって…



え、全然違う?!
今から「本物の音楽」を聞かせてやるって!?



いやぁ、マジ勘弁してくださいよぉ~


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