変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




高層階で会議中@東京都品川区、
机の下に潜り込んで、
揺れがどんどん酷くなっていって、
しゃがんでいることもままならなく、
ただ揺れに翻弄され続けた。
もう2度と経験したくない。

怖かった。

本当に怖かった。

一旦は外部に階段を降りて避難し、
スタッフを点呼し、
地震に酔って全て吐き尽くし、
その後に再び階段で職場に戻った。
ジョークを飛ばしながらも、
手の震えが停まらず、膝もガクガク。

地震が苦手なのか、単に臆病なのか。

そうは言っても、
仕事的にも大変な事態だ。
放置は許されない。

だが。

とやかく言ってもしょうがない。
行動規範は、


人道と信念

に基づいた判断。
たとえ謝ることはあっても、
決して恥ずことがない行動をとった

つもり。。。



1日以上が経過した現在、
未だ所在が確認できない方、
連絡のつかない人、

ご健在をお祈りしているところだ。


この記事に題名を付けようとしてふと思った。

日頃、とある若い人に

”ロジカルシンキング”

の重要さを説いている。

なかなか伝わらないのだが、

この記事はロジカルだろうか?

と問うと、何と応えるかな。

聡明な彼女のこと、一刀両断に応えることだろう。

”No!”

勿論、正解である。

何もかもがロジックで処理できる訳ではない。

当たり前だ。

ただ、それでは話が進められないし、
会話が成り立たないので、

論理の世界との境界線を定義することこそが
ロジカルシンキングの始まりなのだ。

これが伝わらない。

やはり、デジタル世代だからなのか。

OnとOff、0と1、白と黒、

2進数的にモノを考えるというか、全てが極端だ。

などと生意気を考えつつ、

おいらの若い頃に思いを馳せてみる。

・・・・・

優秀ですよ、最近の若い人わ。


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