変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




塩野七生さんが執筆していた「ローマ人の物語」が、第15巻にして
いよいよ結末を迎えた。そして、ローマ帝国が滅亡した。
非常に長いシリーズだった。申し訳ないけど、「詰め」は甘い作品だ
と思う部分もある。細部まで煮詰め切ったモノが醸す迫力は欠ける。
でも、テーマに興味がある者からすると、充分に面白かったんだ。

歴史に『もし』は無い、とよく耳にする。過ぎたことは変わらない、と
いうことを言っている。それは事実だ。でも、歴史に限った話じゃない
けど、探求する者の好奇心は、『もし』に牽引されているに違いない。

そして、『事実』とされている事象の多くは、『解釈』によって占められ
ているんだ。
見る人の立場、価値観、文化、宗教、等によって、同じ事象に対する
評価は全く異なることがあるし、もともとからして「勝者の記録」を集約
することで成り立った歴史は、公正に欠いている。敗者という情報源が
不足している。
それもこれも含めて、歴史の面白さなんだろうけどさ。

ここに連載しているおいらの愚作物語を弁護する訳じゃないけど、「もし、
ユリウス・カエサルが暗殺されなかったら」という、多くの人が仮定した
ことがあるだろう『もし』を発端としている。
我々はカエサルの2千年後に生きているが、この物語もカエサルの2千
年後の話である。両者の違いは、カエサルが死んだ理由と時期である。
ブルータスの魔の手を生き延びた後のローマの情勢は、おいらの少ない
知識で構築しました。そして、2千年が経過したら、、、幾つもの歴史的
分岐を想定し、創作物語にする為にファンタジーの要素も要れ、物語の
舞台を創り上げた訳さ。

・・・薄っぺらいんだけども。

塩野七生さんが描く『史実』としてのローマは、「ローマ人の物語」の中
で滅亡していった。消えていった、と言った方がいいのかもしれない帝国
は、おいらのアタマの中で存続し、現在に至った訳だ。そこが、連載中の
「王家の帰還」の舞台だけども、現代に至るまでのどこもが創作物語の
舞台に成り得るという寸法だ。いくらでも続編が作れるし、次の舞台は更
に未来にする予定だった。中世編の構想もあった。

でも。
現在知られている歴史をちょっと紐解くだけで、事実として知られる歴史
に圧倒さえる。おいらの想像力や創造力では、敵わない気もする。

さて、どうしたものか。

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