変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー



ジヨンちゃんのTATOOの話。

「1分1秒」のプロモーションで、
背中にTATOOがあった。

あれが本物なのか、シールなのか、
本当のところは知らない。

でも、何故だか
シールなんだろう
と勝手に思っていた気がする。

そして、「What's My Name」活動で、
ジヨンちゃんの腰回りに見え隠れするTATOO。

場所が場所だけに、一部しか見えない。
胸の下からも図柄が見えている。

どちらも、ファンに見せる場所ではない。
特別な人だけが全貌を拝めるということだ。

その意味するところは、曲のプロモ―シンの
一部として施された刺青ではないということ。

即ち、シール等のイミテーションでは
ないと思われる。

いや、別にいいんですよ。
ボクは、極端なメイクも整形も全く気にしない。
特にT-ARAの場合は、普通にスッピンも公開して
いるし、通常と舞台、過去と現在、そんな間に
ギャップがあっても構わないと思っている。

だから、ボクの理性と信条は、TATOO程度で
何ら動揺するものではない。

はずだった。

なのに、何だろう、この感覚は!?

言葉にするなら、
とっても残念な気持ちが芽生えている。
 
確かに、ボクは刺青が好きではないと思う。
そんなに強く意識したことは無いけど、
自ら入れる気は全くないし、
美しいともかっこいいとも思わない。

だからと言って、個人の価値観でいいじゃない、
程度と思っていたのに。

これは嫌悪感なのだろうか。
そんなばかな。
ちょっと冷静になる必要があるようだ。


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