日曜日は松井山手の実家でレッスンの後、牧野に帰って、京阪で京橋までJR学研都市線に乗って尼崎から快速急行に乗り換え、住吉で六甲ライナー。
の作曲家、指揮者、バス・ヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)奏者。
などの手引きもあって、1676年にはパリのオペラ、そして1679年8月1日からはルイ14世
の宮廷のヴィオール奏者に任命されました。
海が見えると嬉しくなる。
ラ サーラ ディ オルフェオの下の階のMusicasaで安達萌さんのピアノと合わせでした。
プリジアルディの「ローエングリン幻想曲」を合わせて頂きました。
以前、榎田先生と合わせたことがあると聴いてドキドキ。
「でも昔なんですよ。」と安達さんにっこり。
でもまあ、比べ物にならないから良いか。
この曲本当にいい曲です。
持ち時間15分でテンポや、気になる入りを打合せして、あっという間でした。
今日はこれだけ。
帰ろうと思って、いつもと少し違う通路を通ったらたちまち「あれ?ここはどこ?」状態に。
外から見たら真っ直ぐの建物は中で円形になっています。
思ったところと違う…もうみなさんお気づきですよね。私、絶望的な方向音痴です。
しかし駅まで徒歩300mで迷うとは思わなった。しかも人口の建物の中で…。
でも安心してください。無事に帰れました。どうして帰れたのか?よくわかりませんが…動物的感。当たらない時もありますが、今回は大丈夫でした。
マラン マレ「迷路の園」
アルペッジョによる前奏曲
マラン・マレー(1656-1728年)は
フランス王国パリ生没
の作曲家、指揮者、バス・ヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)奏者。
パリ南の貧民街で見習い靴職人の子どもとして生まれ、幼少の頃から音楽の才能を認められて1667年にはパリ第一の音楽教育機関だったサン=ジェルマン=ロクセロワ教会の聖歌隊に入ります。
1672年までフランソワ・シャプロンなどのもとで教育を受けます。
聖歌隊を出た後、ヴィオールをサント=コロンブなどに師事して、名手として知られるようになります。
おそらくはリュリ門下の作曲家ジャン=フランソワ・ラルウェット
などの手引きもあって、1676年にはパリのオペラ、そして1679年8月1日からはルイ14世
の宮廷のヴィオール奏者に任命されました。
また作曲家としての名声も高く、1693年に最初のオペラ『アルシード』を発表してからは、パリのオペラの
作曲家、そして後には指揮者としても成功をおさめています。
晩年にはまた、ヴィオールの優れた教師として知られました。
1676年9月21日に結婚した妻のキャトリーヌ・ダミクールとの間に生まれた十数人の子供のうち、数人は音楽家として名声をなしました。
Marin Marais: Le Labyrinthe
1717 in Pièces de viole, Livre IV (No.74)
「迷路」ヴィオールのためのピース 通奏低音。Amoll
ルイ 14 世の迷路への情熱、彼を楽しませるために作曲された「マレの迷宮」、