金曜日夜はオペラパークスオーケストラのリハーサルでした。
大阪狭山市駅6分。

京阪牧野から淀屋橋で御堂筋線に乗り換え、終点。中百舌鳥、おっと難読漢字なかもずと読みます。
そこから南海高野線で大阪狭山市駅へ
駅に着いてググろうと思っていたら、後ろからに
サックスのTさんが声かけてくれました。
「SAYAKAホールどこかな?」
と迷っていると
またまた後ろから「どこかお探しですか?」と美しい女性が声をかけてくれました。
「SAYAKAホールに行きたくて」と言うと行き方を教えてくださいました。
狭山市民優しい!
ホールに着いたら声楽家家の皆さんがお手製のかつサンドを用意していてくださいました。

これがおいしい!絶品!
今回は吹いたこと無い2ndパートとピッコロの持ち替え。
心配で今食べたサンドが胸まであがってきそうでした。
が、お隣の1stフルートのTさんが、「大丈夫、大丈夫!」と励ましてくれて、リハ一回目。
指揮の高橋先生。ベーレンライター版にあちこち音を足されました。
ドキドキ。
1箇所フルートの入りを間違えた😱
Tさんが「大丈夫!私も一緒だから、私を見て!」と頼もしいお言葉。
ピッコロも最終部分、オケとの噛み合いが違うような気がして「私の版違います?」と聞いたら「大丈夫、大丈夫!バッチリあってるよ!」
と励ましてくれて…。
はあ〜!なんとか2回目はノーミスで乗り切りました。
帰り道は簡単…と思ったら夜道で迷いました。グーグルもあらぬ方向を指し見つけた交番でお巡りさんに聞いたら、「駅まで一緒に行きましょう。」と送ってくれました。
本当に狭山市民優しいです。
帰りは駅であったクラリネットIさん、ヴァイオリン譲、ファゴットくんに教えてもらって堺筋線北浜まで一緒に帰りました。
みんなに助けられた1日でした
ありがとうございます。
明日いよいよ本番です。
まず、迷わずに行くこと…これが第一の課題です。
リロイ・アンダーソン(1908 - 1975年)アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ、アメリカ合衆国コネチカット州ウッドベリー没

は、短く軽快なコンサート用の小品を作曲したアメリカの作曲家です。その多くはアーサー・フィードラー指揮のボストン・ポップス・オーケストラによって発表されました。
ジョン・ウィリアムズは彼を「アメリカの軽快なオーケストラ音楽の偉大な巨匠の一人」と評しました。
フィドル・ファドルは、リロイ・アンダーソンが作曲した2/2拍子の楽曲です。
軽いクラシック音楽の楽曲と考えられており、「クラシック・ポップス」音楽と呼ばれることもあります。
フィドル・ファドルは1947年1月1日に出版されました。
アーサー・フィードラー(1894-1979年)

は1947年3月30日、ボストン旧オペラハウスからのコンサートラジオ放送でこの作品を初演しました。
1951年6月29日にデッカレコードのためにフィドル・ファドルをモノラル録音しました。
アンダーソンは1959年6月11日にもデッカレコードのためにフィドル・ファドルのステレオ録音を行いました。
アンダーソンは、アーサー・フィードラー

1969年にボストン・ポップス・オーケストラを指揮するフィードラー
とボストン・ポップス・オーケストラが長年にわたって指揮した数々の作品のうちの 1 つとしてこの曲を作曲しました。
とボストン・ポップス・オーケストラが長年にわたって指揮した数々の作品のうちの 1 つとしてこの曲を作曲しました。
完成したこの曲は、すぐに聴衆とアーサー・フィードラーの両方に人気となりました。
フィードラーはポップスのコンサートでこの曲を頻繁にプログラムしたため、ポップスの聴衆はこれを「フィードラー・ファドル」と呼び始めました。
この曲は、古典的な「歌と三重奏」の形式で書かれており、子どものころの童謡「三匹の盲ネズミ」に基づいています。
この曲は、1940 年代後半から 1950 年代前半にかけて、さまざまな音楽アンサンブルによって何度も録音されました。
この曲ではバイオリンが目立ち、トリオ セクションと見られる部分では、 ピチカートで 16 分音符が繰り返されます。
この曲はコンサートや劇場のオルガン用に編曲されたほか、ピアノ連弾用としても編曲されています。
童謡「三匹の盲ネズミ」
三匹の盲目のネズミ。三匹の盲目のネズミ。
彼らがどのように走るか見てください。
彼らがどのように走るか見てください。
彼らは皆、農夫の妻を追いかけました。
彫刻刀で尻尾を切り落とした人たち。
あなたは人生でこのような光景を見たことがありますか
三匹の盲目のネズミとして?
アンダーソンのフィドル・ファドル