昨夜、「心と体のワーク」でプロコフィエフの1楽章のさわりを演奏したら、毎度のことですが、ワーク前と後では、雲泥の差でした。
初めは、職場からやってきていきなり吹くのでひどいのはひどいですが…ワーク後の演奏が、自分の演奏とは思えないぐらい違う。
この演奏が出来るのになぜ?
回数を重ねてくると、だいぶ以前とは音も、身体も呼吸も、変ってきましたが、一度あんな演奏をしてしまうと、もっといい演奏ができるのにと。欲がでてきてしまいます。
ちょっとこの辺で学んだことを整理したいと思います。
ワークは身体を鍛えるためでも、何かを達成するためでもなく、ひたすら経過=プロセス。「『質』を見る練習。」
仰向けに寝て、自然な呼吸をしながら、脚や、腕をゆっくりと動かしながら、目をつぶって観るのは、肋骨、肩甲骨、鎖骨、胸骨、子宮の動き。動き方が、ぎこちないか?滑らかか?ぎこちないところはどこか?滑らかなところはどこか?ぎこちないところがあっても、分析したり、直そうとしたりしないで、ただただ問いかけ、楽しむ。
『しなければならない。』『すべきだ。』ですることは、成果が上がらない。人が一番学ぶのは、感動する時、心が動いた時です。楽しむことが一番。
『楽しむ』と言うことは、科学者のように観察し、発見したものをそれが何であれ「素晴らしい!」と喜ぶこと。
人はかつて覚えたこと、なじんだことをなかなか変えられないものです。自分が常にワンパターンにはまっていないか?と問いかけること。わき道、寄り道、細道。いつも違う道を通ることで、枠を突破したり、キャパが広がったりします。体の動きや音も同じ。
これがベストと思った途端、もう、成果は落ちています。なぜなら、安心して問いかけることをやめてしまうから。現実の世界で『ベスト』はあり得ません。だから、より良い方法や、位置、やり方、『ベター』を探し、常に動き探し続けること。
自分の心や身体を観察し、いろんな道を通ってみる。
学ぶ人はあらゆること、あらゆる人から学びます。先輩、後輩、成果を上げている人そうでない人、良いと思えるできごと、悪いと思えるできごと。大人からも、子どもからも、男からも、女からも。
うまくいかない時、上がってしまう時は人からの評価を気にしていないか問うこと。
『仲間からの受容』が、目的よりも大きくなっていないか?摩擦を恐れて、大切なことを伝えなかったりすると、結局は一緒に沈没して、仲間も失うことになるかもしれない。
小さい動きの方が脳は学ぶ。大きな動きはノイズが多くて余計にわからなくなる。早すぎる動きも同じ。ゆっくりと動かないとプロセスは見えない。
頭がすっきりしてきました。