音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

楽団コンサート

2008-11-30 21:32:18 | Weblog

今日は、生徒さんの一人が所属している楽団の発表会を聴きにいきました。
アマチュアとは言え、地元で10年以上継続している吹奏楽団で、ポップスから、ブラスオリジナル、クラッシックと幅広いレパートリーを丁寧に演奏されていました。特にプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」の「ティボルトの死」は、集中力抜群。緊張感ある演奏で、拍手を誘いました。

私もフルートは、ブラスバンドが始まりだったので、とても懐かしく、楽しかったです。
フルートを一人で楽しむのもいいですが、誰かに聴いてもらったり、仲間と一緒にサウンドを生み出すのも楽しいものです。楽団の団員同士で結婚された方もいると聴きました。夫婦で音楽をたのしめるなんていいですね。

私の生徒さんSさんも、新しい仲間を得て、生き生きと演奏されているように見えました。マイペースで着実な演奏を積み重ねてきたSさんにとっては、ブラスで指揮者のテンポにあわすのが大変なようです。

レッスンの時に「何とか付いていきたいんですが、どうやったら早く指を動かすことができるのでしょうか?」
と楽譜を渡された時から悩んでいました。みんなどうして早く演奏したがるんだろう?できる曲をできるテンポで吹くことはちっとも恥ではないのに。とは言え、悩みは解決しなければ。

「威風堂々」や「ガリバー旅行記」のフルートパートは結構難しい。
早く指を動かせるようになる一番の近道は、楽器をちゃんと持つこと。3点支持を崩さないこと。
目安は左手は小指のレバーまで全部押さえて関節が丸く卵を持つように曲がっていること。
右手は、小指のCまでしっかりと押さえられる位置で親指を決め、やはりすべての指が曲がっていること。

練習法としては、
右手はモイーズの分散和音とスケールの練習の、一番初めのスケールの低音2小節をあらゆる調性で練習すること。
左手はモイーズのソノリテの最後の課題の跳躍の練習のGISの段…中音でも、低音でもどちらでも構わない。・・・GISとGのトリルを4拍分伸ばした後、跳躍音に行く。を二回ずつ繰り返します。
どちらの練習も上の持ち方の目安を絶対に守るように、はじめはゆっくり鏡を見ながら、関節が曲がっているかどうか確認しながら行ってください。


2ヶ月、毎日10分この練習をしてから、練習をするようにすれば、指は確実に早く動くようになる事、間違いありません。ぜひお試しください。


オレンジリボン

2008-11-29 02:32:49 | 哲学

御堂筋のいちょうimagesimagesimagesもうきれいに色づいています。
午前中4時間かけて、某小学校で、CAP(子どもへの暴力防止プログラム)ワークショップ一年生2クラスをした後、梅田でレッスン。
明日は、大人向けワークショップに行きます。火曜日は6年生3クラス。さすがにぐったり。2学期は仕方ないです。

大阪市役所前を通ったら、子どもへの虐待防止キャンペーン中だそうです。オレンジリボンがかかっていました。
虐待は、暴力のはなはだしいものです。が、あらゆる社会の暴力の延長にあると思います。
力の強いものの力の使い方の誤用。大人から子どもに、先輩から後輩、上司から部下、組織と組織、政治家のトップから国民に、国と国。究極は戦争。

敵を作って結束するという連帯の方法をとる限りにおいて、暴力の連鎖はとまりません。
敵をつくる。暴力を振るう口実を相手に求める。と言う伝統は私たちの社会に染み付いています。
この伝統を改めない限り、暴力はとまりません。

力の信奉者達は、暴力が赦される領域を作りつづけます。DV、パワーハラスメント、戦争を仕掛ける力のあるもの達は、暴力の対象以外の場では所属感のために、立派な態度をとり続けます。他の良識のある人々は、自分が対象になるかもしれない恐怖のために、対象者とつながることを避け、そればかりでなく、力あるものに忠誠を示すために、傍観したり、一緒に暴力を対象者に奮ったりします。
そしてそれは、彼らにとって利益を生む場合が多く、見たり感じたりもやめてしまってしまいます。

あまりにも染み付いてしまい、強い痛みもないために、それは、笑って話される笑い話でさえあります。

16歳以上の大人は、私も含め、何度もそういう暴力の加担者になったことがあるはずです。一度も無いという人はよほど無自覚な人だろうと思います。こういう暴力を振るう人間の悲しさを認め、自覚することで、次の一歩は必ずかわるはずです。自らを罰する必要はありません。自覚すれば、また。人間は気持ちの良いほうを選ぶ能力を誰もが持っています。
暴力の連鎖ではなく、非暴力の連鎖を自分のところで選ぶ。そう決めさえすればいいのです。


消え行くもの

2008-11-27 23:29:08 | Weblog

秋と言えば、菊。ここ枚方は菊人形の開催地でした。枚方市民ならひらパーに一度や二度は菊人形を見に行ったことがあるはず…。しかし、今では入場者数が確保できず、赤字のため、数年前から取りやめに。その頃PTAをやっていたのでうすが、伝承者がいないので、小学校で、菊の技術を伝承して欲しいと、教育委員会から人が来て頼まれました。伝承者は後数名だそうです。伝統の技術も失われつつあるようです。

不景気は厳しいです。くらわんか花火大会もなくなりました。骨董品のように、残るものなら、いつでも美しい色を鑑賞できるのに。

音楽の演奏も、消え去っていく技術。録音は生演奏とは全くの別物。その時、そこで命の時間を共有したということでしか、味わえない何か。それが音楽の演奏だと思いますが。

消えていく何か、自分にしか出せない音。そして、明日にはもう自分にさえ再現できない・・・一期一会。

録音して閉じ込めて永遠にしておきたい。そう思うこともあるのですが。それではきっと音楽の何割かは死んでいるんだと思います。コンサートは怖い。怖いけど楽しい。
いつかは、演奏できなくなってしまうでしょう。その日まで、音楽とともに、人とともにありたいと思います。


外国のおみやげ

2008-11-27 00:45:27 | Weblog

台湾のおみやげといえば、「ウーロン茶」と「からすみ」。夫の会社関係の台湾の人が来日。お土産にからすみをいただきました。今まで、からすみを何度も頂きましたが、この紙袋
「鳥魚子」の字のよこに美しい仮名遣い。images
対してこちらは、2大お土産のウーロン茶のお茶缶に、images日本語でかかれたお茶の入れ方。
「1を突きました。茶具が沸き立つホットウォーターで洗い落として加熱したあと、適量な茶の葉に入れてまたボイリングウォーターで洗い落として漬けるといい、三分間通じたあと茶の葉の・・・」
「2一回の茶の葉、個人によってつづけて突いて漬けて3~4で回を誘うことが好きました。・・・」

多分ネットの無料日本語翻訳ソフトだと思います。
笑うなかれ・・・私がフランス語とか、英語をしゃべったら、こんな調子・・・たぶん。

ところが、最初のからすみは中の日本語の説明もちゃんとしたものです。

からすみの方は、たぶん、日本語を実際に使っている人や日本の文化を理解している何人かの意見などいろいろな方面から聴いて作られていると思います。しかし、お茶の方は、ネットとか、翻訳機の力を借りるだけで、満足してしまったのでしょう。

からすみには、日本の文化への敬意と愛情を感じます。お茶は、おもしろいけれど、そんなもんかいって感じ。

私達が西洋音楽を学ぶ学び方も、からすみかお茶か?考える必要があるでしょう。
一筋縄ではいかないでしょう。でも、もともと他者を理解するのは、国境を越えなくても大変なこと。
きっと、理解しあえる。その信念だけが、私を支える力です。からすみか、お茶か?


録音

2008-11-26 00:56:01 | Weblog

昨日のリハーサルの音源を、仲間に送り、またもや、何度も聴いている私…自己陶酔…いえいえ、自分がどんな音を出していたのか?どんな風に現場でひびいていたのか?知らずにはいられない。

今回はアレンジも自分達でしたので、それを知るためもありますが、それ以上に、自分の演奏が気になります。ほとんど病気
まず、自分の音を聴いてそれから、全体を聴きます。まあまあよかった。と思います。
しかし、しばらくすると、また…ひょっとすると、自分を欲目で見ていたんじゃないか?全くだめだったんじゃないか?実は、最悪だったんじゃないか?と言う気持ちがむくむくとわきあがってきて、不安になって、もう一回聴いてみます・・・世界最高ではないけれど、最悪でもない。まあまあ、良い。
一晩寝て、朝起きると・・・いやあ、あれは夢の中のできごと。自分の妄想だったんじゃないか?実は大失敗それから、また聴いてみます。自分の今の演奏のレベルがわかってくるまで、いい所と、悪いところがしっかり見れるまで繰り返して聴かずにはいられない。

それがわかると、等身大の私をやっと受け入れることになります。

音楽はその場限り消えてしまうもの、お客様のいる前で、表現できたものが全て。いくら、普段がんばっていてもだめ。その時限り、一瞬、一瞬が大切。でも、その演奏には、確実に積み上げてきたものが出てしまいます。変だけれど、足りないところ、課題を見つけられたら、次にいける。それがわかるまで、安心できなくて、聴き入ってしまいます。これは、私だけなのか?他の音楽をする人もそうなのか?よくわからないですが、次に進むために、私には絶対に必要な過程です。自分の耳はうそをつく…耳は聴いているけれど、自分の脳を通す時に、きっと希望や、期待、失望、自分観。いろいろなフィルターを通してしまうんでしょうね。これを捨てられたら、達人といえるのでしょうが、まだ私は、録音から、100の練習よりも学びます。


オータムコンサート

2008-11-24 21:52:17 | コンサート

同じ小学校校区にあるマンションの自治会のシニアクラブによんで頂きました。
集会室には、ピアノがなく、ヘルマンハープ星のパレットとフルートのコンサートになりました。

ヘルマンハープは、大音量の出る楽器ではなく、サロンコンサートにぴったり。フルートとも相性抜群。集会室も音響が良く、気持ちよく演奏。

シニアのみなさんは、包容力があって、暖かったです。うなずきながら、聴いていただき。こういう場で演奏できるなんて本当に幸せでした。

プログラムは

展覧会の絵のプロムナード
ボルンのカルメン幻想曲より、抜粋、ハバネラ、ボヘミアの踊り、闘牛士なんとフルートソロ伴奏無し。
モーツアルトの魔法の笛
ジャンニ・スキッキより、私のお父さん
アルルの女のメヌエット
カヴァレリア・ルスティカーナのアヴェマリア
映画音楽より、エデンの東
ロミオとジュリエット
メドレーでサウンドオブミュージック、ハイホー、星に願いを
そして、唱歌、埴生の宿、峠の我が家、ふるさと、あかとんぼ

ヘルマンハープは新しい楽器です。ドイツで製作されて50年。日本に入ってまだ、4年。
もちろん、フルートとのアンサンブル譜もまだなく。楽譜をひとつづつ作成することから、始めました。
本邦初演。世界初・・・たぶん。
写真はMサイズですが、Mで2オクターブ。LサイズでもGからGの3オクターブ。転調し、ベースを取り、アルペジオを入れ。フルートのオブリガードと効果的な使い方を探り探り、何とかこの日を迎えました。

ハープは残響を処理する装置がついてなく、魔法の笛や、ハイホーなど、リズミカルな曲は結構厳しい。
そうこうするうちに、星のパレットのくるみさんが、消音器をつくってくれました。ハープの下の方
にはまっているのがそう。今回は間に合わなかったけれど、次回は使えそうです。フルートの奏法も少しかえようかな。ちょっと、カリビアンな感じ。

聴きたい方はどうぞよんでください。

シニアコンサート、親子コンサート、マタニティコンサート、小学校、保育園に、出張もします。

連絡は、moto-fl-angel@nifty.com  久米まで。






 


エスペレ・ウン・ポコ本番

2008-11-24 00:37:40 | コンサート

ケーナimagesimagesimagesボンボimagesimages本番は、撮影できませんでしたが、これは、打ち上げの時の写真。本番は1歳~13歳まで、親子連れ60名ほどを向かえ、楽しいコンサートとワークショップになりました。

ペルーの踊りを交えた演奏は楽しく、子ども達も手拍子をしながら、聴いてくれました。

その後、ケーナ、サンポーニャ、ボンボ、ペルーの踊りを順番に体験。その後、それぞれにやりたい楽器のグループに分かれて「花祭り」を練習。最後に発表し、みんなでペルーの踊りを踊っておわりました。

ケーナは、木に歌口と、押さえる穴をつけただけの、シンプルな楽器です。縦笛ですが、歌口へのアプローチはフルートと同じで、切り口に半分外、半分内側に息を吹き込みます。
体験用の楽器は、エスペレさんの手作り。私は2回目!・・・それで、講師?開始前30分ほど練習して、花祭りの指使いを覚えて、大丈夫かな?大丈夫、鳴りました。

それにしても写真のMさんの演奏は、本当にすごかった。並みのフルート吹きなど目ではなかったです。

サンポーニャは、写真はないですが、パンフルートとヨーロッパでは呼ばれているもので、片方をふさいだ木管を何本もあわせたものです。これは、息もたくさんいりますが、それだけに鳴るとよく響き、気持ち良いです。これも手作りで何本も用意されていました。

ボンボは、木の胴に山羊の皮を貼った太鼓ですが、毛がついたまま。これがなんともいえず、おしゃれ。太鼓カバーも色うつくしくアンデスって感じ。
子ども達にはこれが人気でした。

踊りはペルーのお二人を向かえ、本場の踊りを習いました。
後で、聴くとお一人は日本に来てから故郷の踊りのよさに目覚め、改めて勉強したそうです。彼は、リマ生まれ・・・都会だそうです。この踊りはインディオの踊りなので、ペルーでは差別されていたそうです。それでも、結婚式、お誕生会などには常に歌と踊りがあったそうですが、意識して勉強しようと言うことはなかったそうです。他国に来て自国の文化のよさに目覚めると言うこと、わかるような気がしました。
私も、フランスに行った時、「日本の歌を歌って」と言われて、困ってしまいましたが、考えたら自分の国の文化に対して失礼なことをしているのかもしれないと思いました。それと、自分の根っこについて認識が足りないなぁと。

この踊りは、日本の盆踊りのようなもので、ペルーでは誰でも踊れるそうです、しかし正確には土地土地で民謡のように独特のリズムがあるそうです。

アンデスといっても、これはペルーと、アルゼンチンの国境付近の特徴をもった音楽で、また場所が変ればリズムが違うと言っておられました。

一つ覚えたらそれですべて、推し量りがちですが、こういう違いがあると知っておくことは、大切だと思います。打ち上げに行って、それを知ったこともよかったです。

ケーナの音を初めての人が出すのは大変。でも、音が出ないのに、小学生の女の子が、全くあきらめない、練習時間30分を、一度も休まず、息を吹き込み続け、最後の10分でEを出した時には感動。その子は花祭りのワンフレーズを演奏して帰りました。ワークショップをして楽しいのは、こういう子どもにエネルギーをもらえること。音楽の力を感じられます。

明日はフルートの本番です。このパワーでがんばろう



レインツリー製作当日

2008-11-22 22:33:47 | 音楽で遊ぼう

ふれあいフリースクエアで小学生にimagesimagesレインツリーを作成してもらいました。
地域に住むおじさんに、壁紙を巻いてあった芯を寄付していただき、そこに、4mm口径の穴を電動ドライバーであけてもらいました。

そこに、4mm口径のストローをこどもたちに刺してもらい、片方の口にふたをし、中にお米をいれます。
それからもう一方の口を閉じます。

試作品は3mm口径だったのですが、同サイズのストローがなく、4mmに、すると2点の意外な事が、起こりました。

3mmのストローは腰が強くギュウギュウ差し込んでもOKだったのに、4mmは表面積が大きくなったせいか、折れてしまいます。用務員さんから、釘を借りて、穴を広げながらの作業になりました。
もう一点の誤算は、3mmでは、穴を通らなかったお米が4mmではストローの中を通り、振ると少しづつ出てきます。こっちは予想していたので、あらかじめ買ってあった折り紙を貼ってもらうことにして、事なきを得ました。

「動かすと、不思議な音がするよ。」というと、
「おもしろい音のする楽器だね。」
「へー!これって、おもしろい。」
「つくれるの?持って帰っていいの?」

と、低学年はもちろん、高学年のこどもたちも、よろこんで作ってくれました。音楽というと、いつもは懐疑的な高学年の男の子達も、熱中。

写真は、試作品の方なので、折り紙を貼っていませんが、子ども達が製作したものは、らせん模様、水玉、森の木のモチーフ、家、動物など、さまざまで、個性豊かな作品ができあがりました。

ただ、難点は、音楽室の床が米だらけに…。ストローの切れ端は、たいしたことなかったですが、お米は、木製の床タイルの間に入り込んで、出てこない。
いつもは子ども達に片付けまでしてもらうのですが、帰ってもらい、Sさんと二人で、床掃除。
タイルの目地のお米をカッターの先と、釘でホジホジ。

思わぬ時間と労力をとられました。
それでも、色とりどりのレインツリーを持ち帰る子ども達をみると、充実感
今日は良い日でした。


2008-11-21 21:31:55 | Weblog

小学生の頃、シャーロック・ホームズにはまりました。それから、アルセーヌ・ルパン。
どちらも、図書館で借りて1週間。10回位読んでから返しました。返す時は、惜しくて仕方なかった。
うちの親は偏っていて、漫画と推理小説は買ってくれなかった。買ってくれたのは、図鑑と世界名作全集 
全24巻。これは悪くなくて、芥川、武者小路、モンゴメリ、神話、アンデルセン、スティーブンソンとあり、監修志賀直哉で、訳もよく。夢中になって読みました。「絵のない絵本」「宝島」はおもしろくて今も持っています。配本方式で、22巻までは来たけれど、後2巻で、業者がつぶれたらしく届かない。その2巻ハイジと海底万マイル、気になって、気になって。海底2万マイルは友達が貸してくれたけれど、ハイジはない。高校生になってから見つけて読みました。

中学に行くまでは本当に本を読みました。自分でも今思えば、びっくりするけれど、ドストエフスキーとかトルストイなんかも読んでいて、「カラマーゾフの兄弟」が再販され、流行っていると聞いて、幼馴染にあったようなうれしい気持ちになりました。アリョーシャ大好き!・・・なんてミーハーでした。
中学2年、勉強から、逃げているだけんじゃないか。と、父に言われて、ストップ。勉強しましたが、たいしたことは無かった。高校生になったら、読んでても一緒かと居直って、やっぱり読んでいました。その頃読んだのは、「指輪物語」「ナルニア国物語」そして、SF。アーサー・クラークや、星新一、フィリップ・K・ディック。この頃読んだものが続々と映画になって、おもしろい。同世代が力を持ったてことかな?

そして、その頃、ジャン・クリストフにはまって、音楽を目指すことになってしまいました。
ロマン・ロランの激情の筆致に、音楽の力や、音楽家ってすごい!と感動してしまったのでした。

漫画は禁止だった反動か、漫画研究会に入っていたのもこの頃。萩尾望都、竹宮恵子にはまり、宇宙戦艦ヤマトや、宮崎アニメの原点「太陽の王子ホルス」を仲間と上映したのもこの頃。一人で楽しんでいたことを、仲間と共有できると知ったのも時期でした。

本は売れなくなったと言われていますが、私は本が大好き。本の無い人生は考えられない。
頭がよくなるとか、試験に良い点を取れるからなんて考えたことも無い。本の世界はただただおもしろかった。今もそう。皆さんも読んでみませんか?


「涙」「怒り」「笑い」

2008-11-21 01:08:13 | 哲学

音楽や、演劇を演じること、あるいは、言葉で相手に伝えるということは、感情を味わい、コントロールすると言うことが必要になってきます。

人が使える感情表現は次の3つだけです。「怒り」と「涙」と、「笑い」
この3つの感情表現を誰でも使い分けています。
この3つを使いこなすのが人間。しかし私たちの伝統的な社会は、女性が「怒り」を持つことを、男性には「涙」を、社会は赦してきませんでした。

しかし、現実には、怒ったり、泣いたりする時はあるわけで、そんな時、女性は怒る代わりに、涙を流し、男は涙を流す代わりに怒ってきました。

人は自分の感情を「今、悲しい。」とか、「悔しい」と思ったなどと認識すると、悲しいけれど、今は笑っていようとか、コントロールすることができますが、本来の感情を味わい、認識することを、自分に赦していないと、とんでもない時に感情を暴発させてしまうことがあります。

たとえば、シューベルトのしぼめる花は悲しい曲ですが、泣いてしまっては演奏できない、
しかし、悲しみを胸に抱きながら、認識しながら、味わいながら、演奏することで、美が生まれ、社会の人々とその音楽を共有することができるようになります。

「怒り」の表現も「革命」のような曲をコントロールしない怒りのまま、演奏したら、胸が悪くなってみんな近づけなくなってしまいます。

「笑い」は社会とうまくやっていくには欠かせない表現ですが、それさえ、使う場面を間違えたら大変なことになってしまいます。

私たちは何かによって、感情を支配されるように考えがちですが、感情は常に自分自身で選ぶことができます。
そうでなければ、あんなに大勢の役者達がどうして、泣いたり、怒ったりできるのでしょう?
同じような境遇、同じような環境に生まれ育った人が、同じような幸福感では生きていません。
アウシュビッツにいても、「それでも人生にイエス」(ヴィクトール・フランクル)と言った人がいたのはなぜでしょう?
まず、私は自分の感情をしっかりと味わい、自分に赦すところから、はじめたいと思います。