音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

分割合唱をドイツに広めた男

2022-12-31 08:55:00 | ルネッサンス
萩原天神いつもの処の招き猫さん。
5歳児くらいの大きさです。

兄弟(姉妹?)もいます。


萩原天神のすぐそは。
鎮座地の日置荘は奈良古墳時代の窯跡が多く残る荘園だったそうです。
古代太陽信仰の日置部が置かれていたそう。

今年最後、なんだか縁起のよい吹き納めでした。

ジョバンニ カブリエーリ(1554?-1612年)ヴェネツィア共和国ヴェネツィア生没

作曲家、オルガニスト。
海洋国家で覇権を誇ったヴェネツィアの衰退期。

オスマン帝国と闘い、100年の間に徐々に破れて行った頃の作曲家です。

5人兄弟の一人でおじアンドレーアに音楽を学びました。
バイエルン公アルブレヒト5世の宮廷で後期ルネッサンスフランドル楽派の作曲家、オルランド ディ ラッソ(1532-1594年)に学びます。

1584年ヴェネツィアに帰国。
1585年ヴェネツィア 聖マルコ大寺院

の主席オルガニストに就任します。

翌年おじアンドレーアの死でその地位主席作曲家の地位も手に入れます。

ガブリーリはこのおじの作品を編集、校正整理して出版しています。
そのせいでアンドレーアの作品は散逸せずにすみました。

サン ロッコ大同信組合のオルガニストに就任し、ここは


聖マルコ大寺院に継ぐ大きな組織で、ガブリエーリは終生作曲に務め、多くの作品を書くことができました。


また、ヨーロッパで最も有名な、作曲家と成りました。
1597年宗教曲集「サクレ シンフォニエ」を出版するとヨーロッパ中でヴェネツィアに留学することが流行りました。
特にドイツ出身の音楽家が、熱心でした。
ガブリエーリは弟子たちにマドリガーレを研究させ、ヴェネツィア楽派の複合唱、マドリガーレ様式を母国に持ち帰らせました。

1606年頃から体調が悪くなり、1612年腎結石で亡くなりました。

ガブリエーリの功績は分割唱、空間的に離れた場所にいる2つ以上の合唱隊が交互に歌い継ぐという様式を広めました。
それはおそらく聖マルコ大寺院の建築様式バシリカと言って細長い教会堂で向かい合わせに分割された合唱隊の配置によって得られました。









母への想い

2022-12-30 08:55:00 | ロマン派
しまい弘法で買ったNarumiのボーンチャイナ、ブルーキャセイ。
母が「ちっちゃなコーヒーカッブで美味しいコーヒーを飲みたい。」って、ずっと言っていたのを思い出して買ってきました。


いいものかとうか?わかりませんが、これなら気に入って貰えそう。

今日誕生日なのでプレゼントしました。
「ふーん。」だって。
「洗ってからつかうわ。」
古い硫酸紙に、新聞紙にくるんであるので、怪しく見えたのかも。

その後は恒例
年末の買物に振り回されました。

ヨハネス ブラームス(1833-1897年)自由ハンザ都市ハンブルク生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン没

のホルン ヴァイオリン ピアノのためのホルン三重奏変ホ長調op40

1865年バーデン=バーデンで作曲が始められました。

ナチュラルトランペット

バルブのないホルンでベルの中に右手を入れて調整することにより、半音を出すストップ奏法で演奏されることを想定して書いています。

バルブ付きのホルンはもう発明されていて、ブラームスは懐古的な意味を込めて演奏するようにこの曲を書いています。

1865年2月母が73歳で亡くなり、3楽章は追悼の意味がこめられています。

ドイツの古いコラール「愛する神の導きにまかすもの」が用いられ、重厚な対位法になっていて母への思いを感じます。


先日パガニーニで出会ったホルン奏者さん一押しの、ホルン奏者セバスチャン ヴァイグレでブラームスのホルントリオ。




奏しあい会

2022-12-29 09:15:00 | バロック
今日は「いつもの処」奏しあい会でした。
フルート四重奏でエルガーの「愛の挨拶」を演奏してオープン!
後はバロックからロマン派まで持ち寄りの楽譜で演奏会でした。

私は廣坂さんとクーラウのフルートグランデュオ一楽章。
今川さんのフルートと久米フルート、桶谷さんのギターで「泥棒かささぎ」
宮内さんのピアノ、今川さんのフルートと久米でドップラーの「夢遊病の女」をやりました。

今川さんと金重さんがルネッサンスフルートと木管頭部管フルートでテレマンを演奏されました。

忘年会も兼ねていて、終演後いろいろ美味しいものも食べました。
みなさん「良いお歳をお迎えください。」と別れました。

ゲオルグ フィリップ テレマン(1681-1767年)神聖ローマ帝国ブランデンブルク選帝侯領マクデブルク生まれ、神聖ローマ帝国自由ハンザ都市ハンブルク没

ヴァイオリン、オルガン、ハープシコード、リコーダー、リュートが弾け、特にヴァイオリンとリコーダーについては名手てした。

フランス、イタリア、ポーランドの民俗音楽を取り入れ、舞曲を書き、ドイツ様式、ロココ様式を取り入れています。

父ハインリヒはマルチンルター派のプロテスタントの伝道師でした。

他の教科もよかったが、音楽は長足の進歩で、12歳になるまでに作曲をはじめました。
13歳で母が音楽から引き離そうとツェラーハルトに連れられました。
しかし、テレマンはそこで病気の教師に変わって作曲、指揮を行い、成功します。
20歳でライプツィヒ大学で法学を収め、22歳卒業するとポーランドのゾーラウでプロムニッツ伯爵の宮廷楽長になります。

そこでフランス風を好む伯爵に曲を提供するためにフランス音楽を独学で学び200曲をかいています。

大北方戦争(1700-1721年)で職を辞し、

アイゼナハに移りバッハと知り合い、終生友情を結びました。

1709年結婚しますが、一年で相手が亡くなります。
31歳フランクフルトなど教会と契約します。
カテリーナ教会

パウロ教会

41歳ハンブルクの音楽監督に就任します。

1730年ハンブルク

その後46年間ここで務めます。
1714年マリア カテリーナと結婚しますが、彼女は他の人と付き合っているという噂が絶えず、ギャンブルに熱中して、テレマンに莫大な負債を負わせました。

ハンブルクの商人たちがテレマンを破産から救いました。

商品取引所 1735年ハンブルク

マリアは1736年テレマンの家を出てフランクフルトの修道院でテレマンの死後亡くなりました。

テレマンの息子アンドレアスは1755年に亡くなり、その息子ゲオルグ ミヒャエルを引き取り育てます。
彼は神学者で音楽家になります。

テレマンは1762年頃から目の疾患で視力が低下し、健康も悪化しましたが、1767年呼吸器疾患で亡くなるまで作曲し続けました。

とにかく多作の作曲家です。
フルート協奏曲DdurTWV51 D1





オールドヘインズ

2022-12-28 08:48:00 | 楽器
月曜はフルートアンサンブルレッスンでした。
榎田先生がオールドヘインズを3本持ってきてくださいました。

チェンバロの上にディスプレイ。
C管1本とH管2本

1888年ヘインズ兄弟により創められたフルート製作。

1950年代前半-1960年代前半に作られたヘインズの黄金期のものです。
ロット番号25000-30000番代の楽器で、明るく遠鳴りのする音で知られています。

スケールが今と違って音程のコントロールがむずかしく、使いこなせば素晴らしい楽器です。
私が吹いた感想は、C管は軽く扱いやすい感じ、H管の左がら一本目は音が飛んていく感じがしました。
2本目も響きがよかったです。


管体自体は軽く扱いやすそうですが、マウスピースの穴が大き目なので音を集めて吹くポイントを探して吹けばもっと良く鳴りそうでした。

ヘインズフルート吹き比べ動画を尾崎勇太さん、立花雅和さんが出しているのでぜひ見てみてください。
流石にオールドではなく、新作のヘインズフルートですが…。

榎田先生は有名なフルートコレクターでもあるので、古い楽器を持ってきて下さるので楽しみです。

曲はヨハン セバスチャン バッハ(1685-1750年)神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領アイゼナハ生まれ、神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領ライプツィヒ没

無伴奏チェロ組曲はバッハがケーテンにいた1717-1723年に書かれたと言われています。
はっきりとはわからないのです。
第一番 写譜はアンナ マクダレーナ バッハによるもの

ケーテンの宮廷楽団は12人で構成されていてメンバーのヴィオラ ダ ガンバ

奏者クリスチァン フェルディナント アーデルのために書かれたと言われています。

アンハルト ケーテン侯レオポルド
の統治下にあり、バッハは前任者の倍額400ターラー、バッハに理解のある君主に恵まれてたくさんの名曲を生み出していた頃の作品です。


全部で6曲あり、
第1番 ト長調 BWV1007
第2番 ニ短調 BWV1008
第3番 ハ長調 BWV1009
第4番 変ホ長調 BWV1010
第5番 ハ短調 BWV1011
第6番 ニ長調 BWV1012

前奏曲 アルマンド クーラント サラバンド メヌエット(3、4番はブーレ、5、6番はガヴォット) ジーグの順で構成されています。

音域の高いこともあり、第6番は
肩で支えた小型のチェロのヴィオロンチェロ ダ スパッラ (ヴィオラ ダ スパッラとも呼びます。 Gregory Barnett (2001). “Viola da spalla”. The New Grove Dictionary of Music and Musicians. 26 (2nd ed.). p. 700. ISBN 0333608003)

のために作曲されたのではないかとも言われています。
フルートに編曲されてよく演奏されています。

第2番BWV1008サラバンド
滝沢昌之さんが、オールドヘインズ32000番代、1963年
総銀製、14金リッププレートの動画を出されていました。



木管五重奏曲

2022-12-27 08:01:00 | 古典
昨日は二条城パガニーニで温故知新コンサートでした。

なんと!サロンの窓から二条城が見えます。
二条城は1603年徳川家康によって築城されました。
1806年慶喜が大政奉還を決めたのはここの二の丸御殿

だとか…。

昨日は予約投稿とか言って、いつもの21:00、阪急河原町四条駅でボタンを押すだけってやってみて、うまくいったと家に帰ってからみたら、「あれ?!」
よく見たら前日の記事のボタンでした~。

年賀状といい、本当にあきません😭

コンサートはベルガマスク組曲からプレリュード、メヌエット、月の光をフルート久米、ヴィオラ金重さん、ピアノ坂田さんで演奏しました。

他にもアンサンブル多数。
声楽やベートーヴェンの五重奏や七重奏、モーツァルトのクラリネット五重奏などなど楽しかった!

木管多めでした。

フランツ イグナーツ ダンツィ(1763-1826年)シュヴァルツ選帝侯領バーデン ヴュルゲンブルク シュヴェツィンゲン生まれ、カールスルーエ没
モーツァルトにも称賛されたイグナーツ ダンツィの息子、姉のフランツェスカ ルブランは有名な声楽家でした。
モーツァルトには敬意をベートーヴェンには賛否相反する感情を寄せていました。
ウェーバーの指導者で世の中に広めました。

シュヴェツィンゲンに生まれ、マンハイムに育ちました。
父の指導でチェロを学び、
1778年プファルツ選帝侯カール4世フィリップ テオドール


の宮廷楽団のチェリストとして迎えられます。

選帝侯が、バイエルン選帝侯位を継ぎ、ミュンヘンに宮廷を移したあともダンツィはマンハイムにとどまっていました。

1784年父親の後任としてミュンヘンの宮廷楽団に再入団します。
1780年木管楽器のための初めの作品がマンハイムで出版されています。

1790年マリア マルガレーテ マルシャンと結婚。
オペラの巡業をヨーロッパ各地で行います。

1798年ミュンヘンに戻り宮廷楽団の第二楽長に昇進します。
1807年待遇の不満や、昇進が見込まれないことに失望し職を辞し、シュトゥットガルトでより小さなヴュルテンベルクのフリードリヒ1世

の宮廷楽団長に就任します。

1812年にはカールスルーエに戻り、王立音楽院で教育に身を捧げました。

歌劇、交響楽や、協奏曲を書いています。チェロ協奏曲も書いています。
特筆すべきは木管五重奏の作曲です。
ダンツィの曲の中では現在最も演奏されています。




キリストの幼時

2022-12-26 09:01:00 | ロマン派
昨日のクリスマスイブは、家族で焼き肉とケーキ。
冷凍のケーキにいちごをのせただけ。

ツリーの代わりにディスプレイを手作り。
長男に頼まれた職場に飾るためのものです。1ヵ月交替で順番にするそう。
本当は自分で、作らないといけないのに毎回頼まれます。
3回目。

小学生の時、宿題さえ手伝わなかったのに、大人の今になってこんなことをする羽目になるなんて…まあ、離れて住んでいて他に何もできることもないし。
少しうれしい…やっぱり親ばかかな。

25日は昼からピアノの坂田さん、ヴィオラ金重さんとフルート久米のセンメルトリオで京都パガニーニでコンサートに出ます。

ドビュッシーのベルガマスク組曲からプレリュード、メヌエット、月の光を演奏します。

朝からリハ、昼本番、夜打上げなので、ブログ書けるかどうかわからないので予約投稿します。

エクトル・ベルリオーズ(1803-1869年)フランス共和国ラ コート サン タンドレ生まれ、フランス帝国パリ没

1850年ベルリオーズは「羊飼いたちの別れ」を「パリの宮廷礼拝堂の楽長ピエール デュクレが1685年に作曲した古風なオラトリオの断章」としてフィルハーモニー協会のコンサートで発表します。

これは好評で批評家たちも高評価を与えます。

後に、ベルリオーズは「この曲ば実は
自分の作品である。」と告白しますが、評価は変わりませんでした。

これに気をよくしたベルリオーズは、拡大させて、1850年第2部を1854年に第1部と第3部を作曲します。

宗教的3部作と名前をつけています。
第1部はヘロデ王の夢
レスタチーヴォ
キリスト誕生直後のパレスチナ、ヘロデ王が今日生まれた子どもが王位を脅かすという夢を見て、恐ろしい虐殺を思いついた。と、レスタチーヴォで告げます。

第1曲夜の行進
人気の無いエルサレムの通りを兵士たちが行進し、ヘロデの悪夢について語ります。


第2曲ヘロデ王のアリア
ヘロデ王が不安を口にします。

第3曲ポリドールスと、ヘロデ王
ポリドールスがヘロデ王に占い師が集まっていると告げます。

第4曲預言者たちとヘロデ王
預言者たちが占いをし、今日生まれた子どもが王位を脅かすと告げます。

第5曲聖マリアと聖ヨゼフ、見えざる天使
天使が、マリアとヨゼフに危険が迫っていることを知らせます。

第2部エジプトへの逃避
第1曲序曲
羊飼いたちは聖家族を見送るために馬小屋に集まっています。

第2曲羊飼いたちの聖家族への別れ
羊飼いたちが聖家族との別れを惜しみながら、幸福を祈ります。

第3曲聖家族の憩い
旅の途中砂漠の中のオアシスで聖家族が休みます。

第3部サイスへの到着
アレグロ ノン トロッポ
語り手が聖家族がどのようにサイスにたどりついたかを語ります。

第1曲サイスの街の中、聖マリアと聖ヨゼフの二重唱
サイスで何軒かの家の扉を叩きますが、冷たく追い払われます。
最後にイシュマエル人の家族によって温かく迎え入られます。

第2曲イシュマエル人の家の中
家父「入り給え、哀れなべブライ人よ」
ヨゼフと同じ大工だった家父はとどまって一緒に暮らすように言います。

若いイシュマエル人による2本のフルートとハープのためのトリオ
聖家族をもてなすためにイシュマエル人の子どもたちが演奏します。

家父「涙されるのか、若い母よ」
家父は聖家族にゆっくり眠るように言い、聖マリアと聖ヨゼフの感謝の歌にイシュマエル人の合唱が加わります。

第3曲エピローグ
語り手が物語全体を語り、無伴奏で合唱も加わり、アーメンで終わります。

2本のフルートとハープによるトリオ
イシュマエル人の子どもたちが聖家族をもてなすために演奏します。





ハレルヤ!

2022-12-25 20:50:00 | バロック
昨日の朝は紙本さんのRadiotalkの収録でした。
クリスマス前にヘンデルのフルートソナタをピアノの坂田さんと演奏したものをかけてもらいました。
スマホ録音で音は良くないですが、zoomの後付けマイクAM7でちょっとはマシかも…。
放送時間12分の中でかけるので2分以内の曲をということで毎回これ用に撮っています。

今回はクリスマスっぽい空気のする曲にしています。

放送はクリスマス後になるかも…。

クリスマスの空気だから、まあいいかも。

午後はハーピストの鈴木健さんが来てくれました。
来年1月のハープの発表会で合奏するグルックの「精霊の踊り」の合わせ練習です。

ピアノ譜をハープに読み替えて弾いてくれました。
いつかハープと合奏できるかも。とハープを初めて3年。
ようやく夢がかないました。
素敵なハープで最高です!
鈴木さんはドビュッシー好きと言うことで、念願のフルート、ヴィオラ、ハープのためのトリオソナタを演奏する夢にも一歩近づいたかも。
1月、楽しみです。

夜2年ぶりに年賀状を書いたら、郵便局の年賀状アプリは使えなくなっているし、印刷したら、裏表逆で大量に印刷してしまい、足らなくなりました。
その上、残ったものは歪んでしまい…ハガキもないので歪んだまま出すことに…受け取った人ごめんなさい。

2年作らないとこんなにも劣化するなんて、はあ〜。

クリスマスには七面鳥は、一部だそうで、肉、乳製品を避け、魚を食べるところも多いそう。

チャールズ ディケンズ(1812-1870年)イングランド ハンプシャー州ランドポート生まれ、イングランド ケント州ギャッズヒル没


の1843年作「クリスマスキャロル」


ではケチで非情なスクルージが、クリスマスイブの夜、自分の過去、現在、未来の幽霊に


出会い、人が変わり、急に気前よく、優しい人間になるという物語。



ディケンズの父親は中流家庭の出でしたが、金銭感覚に乏しく濫費し、彼が12歳の時に破産。父は債権者に投獄されます。

そのため彼は教育機関には4年しか通えず、靴墨工場に働きに出されます。
数ヶ月後に救い出され、事務員、法定速記記者を経て、雑誌社の記者をしながら書いた小説が人気になります。

結婚もして落ち着いてきた頃書いたのが「クリスマスキャロル」です。

生まれかえったスクルージは従業員を助け、その子どもを助け、彼の第二の父親と呼ばれるようになりました。

そして「ロンドンで1番クリスマスの楽しみ方を知っている人」と呼ばれるようになります。

ゲオルク フリードリヒ ヘンデル(1685-1759年)神聖ローマ帝国ブランデンブルク選帝侯領ハレ生まれ、グレートブリテン王国イングランド ロンドン没

クリスマスといえば「メサイア」が演奏されますが、実は受難週(復活祭の前一週間、キリストの受難を忘れないための週)に演奏される曲として作曲されました。

しかし、「ハレルヤ」コーラスがすっかりクリスマスの曲ということになっています。

1番のクリスマスの楽しみ方。って何でしょうか?




シュールレアリズムと音楽

2022-12-24 08:56:00 | 古典
京都駅であおによしが停まっていました。


アーティスティックな模様です。

京都駅から京都タワーが見えます。
階段を、降りていると途中でみんなが振り返ってスマホを向けていたので「なんだろう?」階段の中腹で見てみると…

階段のアニメーションでした。知らないキャラで楽しそうですが

なかなか、こちらの方がシュールな眺めだと思うのですが…。

シュールレアリズムの発祥は、フランスの詩人トリスタン ツァラ

が言い出したダダイズムから始まりました。

第一次世界大戦でスイスに逃げてきた芸術家が「秩序の破戒」運動。

「秩序の破戒」に「夢」を入れて、「夢と現実の入り混じった状態」を表現するようになったのがシュールレアリズムと言われています。

世界大戦で精神病院に入院してトラウマを抱えたジョン ブルトンがジークムント フロイトに治療を受け、
意識していることだけてはなく抑圧しているものが無意識に現れる。
巨大な暴力によって心も傷つき、失われる。
現実はそういう「意識と無意識の混ざりあった状態」だととらえるようになりました。

サルヴァトーレ ダリ(1904-1989年)スペイン王国ジローナ県フィゲーラス生まれ、スペイン カタルーニャ州フィゲーラス没


1931年記憶の固執で有名な画家です。
映画「アンダルシアの犬」を作リました。ただ残念ながらサイレントで、音楽との関係はわかりません。

シュールレアリズムの音楽と言うものはありません。シュールリアリズム的な音楽と後から言われているのは、ストラヴィンスキーや、ヒンデミット、ジョン ケージなどなどあるのですが。

秩序の破戒は調性の破戒。
リズムの破戒と考えると、独自の音階律を作ったボザや、12調音階をかいたシェーンベルクなどがそうとも言えるかもしれません。
リズムの破戒、変拍子7拍子などをあげると第二次世界大戦後に起きた変化はそうかもしれません。

パウル クレー(1879-1940年)スイス ミュンヘンブーフゼー生まれ、スイス ムラルト没

は、両親が音楽教師でヴァイオリンを弾き、11歳でベルンのオーケストラに所属していました。
1906年結婚相手リリー シュトンブフも音楽家でした。

彼は音楽からインスピレーションを受けた作品を多く書いています。

特にモーツァルトとバッハへの理解は深く、
モーツァルトについては
「心理的に、あまりに多くのコントラストをつけてはいけない。どのフレーズでも安定性と一貫性を保つこと。神経質になってはいけない。悲しみはほんの稀に訪れるだけだ。息苦しさとか闘争はモーツァルトにあっては滅多に現れない。明るく終わるフィナーレは、バッカス的な目まぐるしさに達する前に閉じられる。様式についての私の考えを述べると、モーツァルトの音楽を“Korrektheit”(正確なもの、文句のつけようのないもの)という概念で特徴づけることができる。穏やかなテンポや、強弱の動きの部分でさえ、心理的安定性と一貫性が支配している」
などと書いています。
具体的な作品も多くありますが、今回はこれ!

モーツァルトのバルトロ「復讐だ、おお!復讐だ!」1921年作

音楽はこちら!
さて、こんな感じがしますか?







真夜中のミサ

2022-12-23 09:17:00 | バロック
昨日行った東寺の中庭のアオサギ。

寒そうですが、琵琶湖疎水から引いている水は魚がいるようで、時々水の中の魚をさらって行きます。

今日は冬至。
今夜はゆず湯に入られる方も多いはず。
寒くはなりますが、今晩から徐々に日が長くなって行きます。

マルカントルヌ シャルパンティエ(1643-1704)

宮廷音楽家にはならなかったせいで、詳しいことはわからない作曲家です。

画家になりたくて、若い頃イタリアに留学して、ローマでジヤコモ カッリシミのオラトリオを聞いて、音楽家を目指し、弟子入りしたことがわかっています。

パリのサン=ルイ教会

と1698年からサント シャペル教会



で、500以上の宗教曲を作曲しました。

当時宮廷ではリュリが人気でシャルパンティエは宮廷とは関係を持ちませんでした。

宗教曲に民衆の歌を取り入れています。

「真夜中のミサ」はクリスマスキャロル、民衆が口ずさんできた歌が盛り込まれています。

第1曲キリエ
ノエルから取られたメロディで神よ憐れみ給え キリエ エレイソンと歌います。
使われている〈ノエル〉
ヨゼフは良き妻をめといぬ
マリアは私たちに語った
若き乙女は

第2曲クリステ
テノールの先導で主よ憐れみ給えを歌い第一曲を展開した歌が歌われます。
〈ノエル〉
館の人は
楽しげな羊飼いたちはどこに行くのか

第3曲グロリア
コーラスで始まり、男性独唱とコーラスの掛け合い、後半は女性コーラスが神の栄光をたたえ、アーメンで終わります。
〈ノエル〉
限りもなく望まれる汝
厳かなこう降誕の日は来たれり
クリスマスはやってきて

第4曲クレド
信仰宣言 跳ねるようなリズムのノエルを使っています
処女マリアの登場
冒頭キリエの回帰
キリストの受難、そして復活
〈ノエル〉
管弦楽のみによる演奏「家畜に草を与えよ」

第5曲サンクトゥス ベネディクトゥス
その頃よく知られたノエルを使っています。
〈ノエル〉
おお神よ 我が生命そのもの

第6曲アニュス デイ
平和の讃歌
聖夜の奇跡とクリスマスの到来を祝う曲です。
〈ノエル〉
真夜中に起きて


アルハンブラ宮殿の思い出

2022-12-22 09:12:00 | 近代
東寺の弘法市、今日は1年の最後の市なので「しまい弘法」でした。


人いっぱい。

欄間

招き猫


東寺の中には室町時代の曼荼羅図が奉納されています。
羯磨曼荼羅(作用するマンダラ)の1種で
金剛界曼荼羅 「金剛」は
論理的側面で
胎蔵界曼荼羅
真理そのもの、「胎蔵」は、子どもを守り育てる母の胎内の世界のこと。

らしいです。

インドから伝わったサンスクリット語でマンダラは丸いと言う意味があります。

繰り返す模様に宗教的な意味を感じる世界観はインドのタージマハル、イスラムのアラベスク模様。
唐草模様。

アルハンブラ宮殿は8世紀には城塞が築かれていたそうです。
13世紀ナスル朝が成立するとグラナダを首都とし、建築が始まりました。

11世紀から始まったレコンキスタというキリスト教文化圏の国土回復運動で
イスラム圏の国土を減らしつつあった頃と、宮殿建設、拡大は同時期に重なっています。

ユースフ1世(1318-1354年)その子どものムハンマド5世が失った国土に比して、イスラム文化の黄金期とされています。

1492年スペインによりグラナダが陥落すると、アルハンブラ宮殿はキリスト教圏となり、カール5世が住み、改築、増築を重ねました。

フランシスコ タレガ(1852-1909年)スペイン王国カスティリョン県ヴィラ=レアル生まれ、スペイン王国バルセロナ県バルセロナ没

幼い頃、用水路に落ちて失明しかけました。
父がこのことで、失明してもギターなら生活できるだろうとギターを習わせます。
神童と認められ10歳でバルセロナの音楽教師フリアン アルカスにつきますが、彼は海外ツアーに出てしまい。

タレガは酒場などでギターを弾いてお金を稼いでいました。

父に見つかり、連れかえられますが、13歳で家出して、ロマの一団に加わります。

父に見つかり連れ帰られますが、そこからは稼いで家計にお金を入れることにして赦されます。

1874年にマドリッド音楽院に入学。
ギター教師となり、コンサートを開くなどして生活しだします。

「アルハンブラの思い出」(アルハンブラ宮殿の思い出とも言われます。)は1896年ギターのための性格的小品として作曲されました。

1つの弦を連続して弾くトレモロ奏法の名作として現代でもよく演奏される一曲となっています。
ギターの名手セゴビアがタレガを偲んで演奏したものが残っています。