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西条八十と新宿夜曲

2007-12-11 17:06:12 | Tokyo 闊歩・彷徨・建築探偵
歳末締め切りフェア(笑)のただ中でございます。ひいふう。
昨日は、例によって朝一入稿を果たして仮眠後、所用で新宿へ。
西口でPC関連の急ぎ買い物を済ませた後、東口へ。

新宿東口広場の前は、渋谷ハチ公前と同じく、人だかりがすごくて
いろんな人と人の思念がうずうず渦巻いていているのに中てられてしまうので
なんとなくとっとこ素通りしてしまうのが常なのだが、今日は、ふと足が止まった。

師走のさなかに咲き誇った花壇の電飾↑。
たぶん、どこかの温室から移植されたのだとは思うが、可憐なデイジーの間を縫う光が
年中、ネオンがびかびか点滅しているこの一角で、妙に楚々と美しかった。

この花壇のすぐ側には、西条八十のモニュメントがひっそりと佇んでいる。
「むさし野なりしこの里の 昔のすがた偲ばせて 小畦の花のむれと咲く ビルのネオンの赤き花」

「蘇州夜曲」「青い山脈」など流行歌の詩でも知られる西条八十。
ランボー研究でも有名な仏文学者でもある。私が西条八十の名を最初に知ったのは、
ランボーに傾倒するもっと以前の小学生の頃。「読んでから観るか、観てから読むか」の
キャッチコピーで当時大ヒットした『人間の証明』の角川メディアプロパガンダがきっかけだった。
あの数奇な物語の肝になったのが西条八十の童謡詩『ぼくの帽子』の引用だった。

「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね
ええ、夏、碓氷峠から霧積へ行くみちで 渓谷へ落としたあの麦藁帽ですよ」
この詩を、松田優作があのぼそぼそした声で云う響きがたまらなかった。
ちなみに、おませ小学生だった私は、読んでから、観た(笑)。
でもまあ、当時はアメラジア問題なんて知るよしもないから、実際のことろはよく解んなかった。
ただ、西条八十の引用詩から喚起されるイメージが、妙に印象深かった。

それから遡ること、およそ半世紀。新宿駅に小田急が乗り入れて盛り場として栄え出した
1920年代末に流行った溝口健二の無声映画『東京行進曲』の主題歌も西条八十の作詞。
「♪シネマ見ましょか お茶のみましょか いっそおだきゅ(小田急)で逃げましょか
変る新宿 あの武蔵野の 月もデパートの上に出る♪」

この歌詞から「おだきゅる」という言葉が当時流行ったそう(笑)
当時のモボ&モガには“おだきゅ”って 駆け落ちするのが「ナウ」だったのでせうか。
西条八十は、後に小田急電鉄から永久全線無料パスを授与されたそう。
現物支給とはいえ、随分うれしいキャッチコピー代である。
(まあ、そもそも本人は宣伝のつもりで書いたわけじゃなかったのでしょうけど)
小田急沿線住民の私も機会があったら、ぜひそんなキャッチコピー代をいただきたいもの(笑)。
オフの度、ロマンスカーで箱根に行ってしっぽりしますから。

ちなみに、昨夜は東口でも幾つか所用を済ませ、以前居た会社の後輩で同業ライターやおちゃんの
ジャズライブを観に行くつもりだったが、地図通りに来たのにどうしてもそのお店が発見できず
電話番号も忘れてきていたため途方に暮れ、とりあえずすぐ目の前に見えた
名曲喫茶「らんぶる」へ一時避難。

重厚なオペラがかかるクラシカルな地下店内で、味気ないコーヒーと水で喉を潤した後、
再び気を取り直して探すと、呼び込みの外国人の立つすぐ後ろに店があった!…が、時既に遅く、
家にそろそろ届いているはずの校正を早々に戻さなければならず、やおちゃんに一瞬挨拶して帰宅。

あいにく、新月で月も見えないなか、新宿から一路 “おだきゅ”って。

★おまけ
新宿伊勢丹のショーウィンドウで、またもやベアを目撃。

先日観た日本橋高島屋のアルチンボルド風ベアとは異なり
こちらはメルヒェンチックな影絵風舞台に、熊等身大のスタンディングベア。
新宿はもともとが綺羅綺羅ぎらぎらなので、クリスマスイルミネーションがいまいち映えないためか
逆手にとったアナログ系のクリスマス装飾が多いように思う。
それにしても。ツリーやリースやベアの装飾はよく見るが、サンタクロースって最近減った?
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