桜桃を食みながらの更新です。(今日は珍しく早寝早起き)
その甘酸っぱい味覚もさることながら、キュートな造形がたまらない。
そう、うちにはさくらんぼアイテムがなにげに多い。例えばこのポスターも。
数年前、フィレンツェで衝動買いしたもの。ただしフィレンツェとは何の関係もなく、
ドイツ語のアンティークな植物図鑑がモチーフになっている。
この季節、桜桃同様によく食べるのが、枇杷。これも味はもちろん、造形が絶妙。
9年前に食べて出来心でベランダの鉢に蒔いた種は、もはや私の背丈以上に育っている。
そのすさまじい生命力には、無条件に目を奪われる。
これは数日前、駒場東大キャンパスに生い茂っていた枇杷の大木を塀越しに。
橙色の実がたわわになっている。
これは、並木橋付近で見かけた“枇杷に呑まれた家”。
うちもいつかこんな運命に?!
これは、10年ほど前、ローマの市場にて。イタリアでもこの季節には枇杷をよく食す。
イタリアの果実は太陽を浴びる量が違うのか、味が濃い。
伊語で枇杷はnespola (正確には語尾に「del Giappone=日本の」と付く)
☆☆☆
夏至の夜、マルチアーティストちねんさんのAtelier-Hauyne主催のイベントへ。
場所は前夜に続き、またキャットストリート裏。今度は和カフェにて。
キャンドルナイトに合わせ、まずは蜜蝋キャンドルを実際に制作。
↑右の蜜蝋シートは養蜂場で実際に蜜蜂の巣に敷かれているものとか。
掌で温めるだけでしんなり柔らかくなり、簡単にくるくるっと巻ける。左が完成品。
ちなみに蜜蝋とは、蜜蜂が巣作りのために、花の蜜をもとに自らの身体で作り出すロウのこと。
蝋燭は一般に石油由来のパラフィンでできているけど、
天然素材の蜜蝋の方が実際に灯すと不純物が出ないのであきらかに心地よい。
これはちねんさん手作りの蜜蝋キャンドル。紫陽花や海景色の絵が器用に貼り付けてある蝋燭も。
続いて、蜜蝋キャンドルの灯の中で、ライアーの演奏会が。
ライアーとは、ピアノからボディや鍵盤を取り去り、
木のフレームと弦だけにするという発想で1920年代に考案された楽器。
蜜蝋もライアーも、なにげにシュタイナー繋がり。
奏でているのは三野友子さん。ドイツ在住中、ご子息を通わせていたシュタイナー幼稚園で
この美しい音色の竪琴に出逢ったのだそう。
音が実に小さく繊細で、細胞にそっと染み込んでくるような響き。
自ら静けさをつくりだし、耳を澄ますという行為を促すのも シュタイナーの狙いなのだとか。
『千と千尋の神隠し』のテーマ曲でもいっとき話題になった楽器だが、間近に見聴きするのは初めて。
先日、Kanonの取材で東儀秀樹さんが笙や篳篥を奏でていたら、
イルカや水牛が大量に寄ってきたというお話を伺ったので、
彼女にも訊ねてみたら、田園での演奏会時に鶯が一斉に鳴きだしたことがあるそう。
純度の高い音楽は、細胞レベルで生きものの琴線を揺さぶるのかもしれない。
ぽつりぽつり霧雨がおちる帰り道、原宿のそこここにキャンドルが。
夜露に湿った樹木の香りを感じたくて、メトロに乗らず代々木公園を徒歩で通過して帰った。
深夜、蜜蝋キャンドルをたくさん灯して過ごした。まさに蜂蜜色の光輝と 仄かに甘い香り。
ちねんさんも云っていたけど、エコエコ声高にさわがなくても、自然の機微に敏感に感応し、
その心地よさを追求していったら、自然とそれがエコに通じるというのには同感。
それにしても、蝋燭の灯を眺めていると、いろんなことが心に浮かんでくる。
洞窟のイデア?<それ、ちがうから(笑)
その甘酸っぱい味覚もさることながら、キュートな造形がたまらない。
そう、うちにはさくらんぼアイテムがなにげに多い。例えばこのポスターも。
数年前、フィレンツェで衝動買いしたもの。ただしフィレンツェとは何の関係もなく、
ドイツ語のアンティークな植物図鑑がモチーフになっている。
この季節、桜桃同様によく食べるのが、枇杷。これも味はもちろん、造形が絶妙。
9年前に食べて出来心でベランダの鉢に蒔いた種は、もはや私の背丈以上に育っている。
そのすさまじい生命力には、無条件に目を奪われる。
これは数日前、駒場東大キャンパスに生い茂っていた枇杷の大木を塀越しに。
橙色の実がたわわになっている。
これは、並木橋付近で見かけた“枇杷に呑まれた家”。
うちもいつかこんな運命に?!
これは、10年ほど前、ローマの市場にて。イタリアでもこの季節には枇杷をよく食す。
イタリアの果実は太陽を浴びる量が違うのか、味が濃い。
伊語で枇杷はnespola (正確には語尾に「del Giappone=日本の」と付く)
☆☆☆
夏至の夜、マルチアーティストちねんさんのAtelier-Hauyne主催のイベントへ。
場所は前夜に続き、またキャットストリート裏。今度は和カフェにて。
キャンドルナイトに合わせ、まずは蜜蝋キャンドルを実際に制作。
↑右の蜜蝋シートは養蜂場で実際に蜜蜂の巣に敷かれているものとか。
掌で温めるだけでしんなり柔らかくなり、簡単にくるくるっと巻ける。左が完成品。
ちなみに蜜蝋とは、蜜蜂が巣作りのために、花の蜜をもとに自らの身体で作り出すロウのこと。
蝋燭は一般に石油由来のパラフィンでできているけど、
天然素材の蜜蝋の方が実際に灯すと不純物が出ないのであきらかに心地よい。
これはちねんさん手作りの蜜蝋キャンドル。紫陽花や海景色の絵が器用に貼り付けてある蝋燭も。
続いて、蜜蝋キャンドルの灯の中で、ライアーの演奏会が。
ライアーとは、ピアノからボディや鍵盤を取り去り、
木のフレームと弦だけにするという発想で1920年代に考案された楽器。
蜜蝋もライアーも、なにげにシュタイナー繋がり。
奏でているのは三野友子さん。ドイツ在住中、ご子息を通わせていたシュタイナー幼稚園で
この美しい音色の竪琴に出逢ったのだそう。
音が実に小さく繊細で、細胞にそっと染み込んでくるような響き。
自ら静けさをつくりだし、耳を澄ますという行為を促すのも シュタイナーの狙いなのだとか。
『千と千尋の神隠し』のテーマ曲でもいっとき話題になった楽器だが、間近に見聴きするのは初めて。
先日、Kanonの取材で東儀秀樹さんが笙や篳篥を奏でていたら、
イルカや水牛が大量に寄ってきたというお話を伺ったので、
彼女にも訊ねてみたら、田園での演奏会時に鶯が一斉に鳴きだしたことがあるそう。
純度の高い音楽は、細胞レベルで生きものの琴線を揺さぶるのかもしれない。
ぽつりぽつり霧雨がおちる帰り道、原宿のそこここにキャンドルが。
夜露に湿った樹木の香りを感じたくて、メトロに乗らず代々木公園を徒歩で通過して帰った。
深夜、蜜蝋キャンドルをたくさん灯して過ごした。まさに蜂蜜色の光輝と 仄かに甘い香り。
ちねんさんも云っていたけど、エコエコ声高にさわがなくても、自然の機微に敏感に感応し、
その心地よさを追求していったら、自然とそれがエコに通じるというのには同感。
それにしても、蝋燭の灯を眺めていると、いろんなことが心に浮かんでくる。
洞窟のイデア?<それ、ちがうから(笑)