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小説『本売る日々』

2023年05月17日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

「つまをめとらば」で直木賞を受賞した青山文平の小説。
江戸時代の地方の本屋を扱う点で、大変ユニーク。

江戸も後期の文政5年(1822年)。
ある小藩の城下町の書店の店主・松月平助が主人公。
書物好きが昴じて自分が興した紙問屋を弟に譲り、
10年前に書店「松月堂」を開いた。
一応店を構えてはいるものの、
商売の主流は行商で、
城下の店から在へ行商に出て、
20余りの村の寺や手習所、名主の家を回る。
扱う本は、読本や浮世絵などではなく、
本来の本である「物之本」(学問書)だ。
貝原益軒の「楽訓」だの「養生訓」、
本居宣長の「古事記伝」などという名前が次々と挙がる。
望まれた本を届けるため
京や大阪をかけまわり手に入れる。
ある事情で借財を負い、
返済のために行商に回る日々で、
本を売り、本を語らい、人生を見る。
「本は出会いだ。蔵書は出会いの喜びの記憶でもある」と言う。
夢は自分の名を記した本を開板(出版)する事である。

三篇の連作短編からなる。

「本売る日々」

上得意のひとり、小曾根村の名主・惣兵衛は
近ごろ孫ほどの年齢の少女を後添えにもらったという噂だ。
少女は17、惣兵衛は71。
しかも、少女は妓楼にいたのを惣兵衛が身請けしたのだという。
わざわざ江戸から呉服屋や小間物屋を呼び寄せて、
妻が欲しがるものを何でも買い与えているということで、
「今の惣兵衛さんには、本に使う財布の持ち合わせがないかもしれませんよ」
と知人に言われて、得意先を一人失うことになるのかと、
戦々恐々として訪れるが、そんな話は出ず、
猫嫌いの惣兵衛が山道で子猫を拾った話を延々と聞かされる。
妻に何か見せてやってほしいと言われたので画譜
(絵画の教本で、絵を多数収録している)
を披露するが、目を離した隙に2冊の画譜が無くなっていた。
彼女が盗み取ったに違いない。
惣兵衛に言っていいものか、
それで得意先を失うことになるか、
と迷っていると、
惣兵衛は法外な代金を払って買い取ろうとする。
そして、惣兵衛は、妻への想いを語り始める・・・。

「鬼に喰われた女(ひと)」

八百比丘尼(やおびくに)伝説にまつわる怪異譚。
八百比丘尼伝説とは、
人魚の肉を食べてしまった娘が
15, 6の姿のまま齢を取らず、
尼となって八百年を生きたという言い伝え。

藤助(とうすけ)という名主を訪ねる時、
平助は道に迷い、
霧の中でこの世のものとは思えない女性に出会う。
美しいその女性は「私は鬼を食べたかもしれない」と言う。

訪れた藤助の家で、平助は不思議な話を聞く。
和歌の塾を開いた若い女性が、齢を取らない
19で始めた塾だが、10年経って、
30近い歳になっても、17,8に見える。
10年経っても22,3に見える。
更に10年経って、49になっても、24,5にしか見えない。
ちらほらと八百比丘尼伝説の噂が登る頃、
一人の武士が入門してくる。
10年がたち、20年がたち、69になった娘は27,8に見える。
そして、その女性は、評定所にある訴えを出す。
それは、娘の50年にも及ぶ復讐劇の始まりだった・・・

書店の得意先が名主たちだというのも興味深い。
その名主たちは、皆国学をやるというのも面白い。

国学・・・それまでの「四書五経」をはじめとする
儒教の古典や仏典の研究を中心とする学問傾向を
批判することから生まれ、
日本の古典を研究し、
儒教や仏教の影響を受ける以前の
古代の日本にあった、独自の文化、思想、
精神世界(道)を明らかにしようとする学問。

名主や庄屋と呼ばれる、地方の有力者は
地場資本を形成していっただけでなく、
文化の担い手でもあったのだ。

「初めての開板」

平助の弟の佐助の娘矢重は、持病の喘息の治療のために
平助の町の医者にかかる。
西島晴順(せいじゅん)という医者は、
評判が高いが、
7、8年前に診察を受けた知人は、
おどおどして見立ても変わる自信のない医者だったという。
当時免許制でなく、
誰でも医者の看板をかかげることが出来た。
重宝記と呼ばれる雑知識の本の
医療ものを読んで、即席の医者になるも者も後を断たない。
西島晴順はその手の医者ではないようだが、
しかし、数年前の評判と、あまりにも違う。
名前だけ継いで人が入れ替わったのかと思うほどだ。
しかも誠実なのは、初診で「自分にはこの病気は治せない」とはっきり言い、
他の医者、中でも、佐野淇一という医者を勧めるという。

佐野は、近隣の村の村医者で、その評判は圧倒的だ。
平助は、その経緯から、
西島と佐野の間に何らかの関係があり、
その結果、西島の人間が変わったのではないかと推測する。

ある時、思い切って佐野を訪ねた平助は、
昔、西島が訪ねて来たことがあり、
しかし、会う前に面会室から姿を消した、という話をきく。

その真相を、やがて、平助は知ることになる・・・

という、一種のミステリー。

医師と地域の話が興味深い。

惣兵衛は言う。

「私はね、この村を日本で一番豊かな村だと思っているんですよ
その理由は、名医・佐野の存在。
村の者たちが医の不安なく暮らせるからだという。
「日本で一番豊かな村があちこちに生まれてね。
一番豊かな村だらけになって。
そうなってこそ日本という国も、
ほんとうに豊かになるんです」

高度な医療を安価に受けることが出来る国、日本。
そういう意味で、豊な国と言えるだろう。

書の「考証家」という話も興味深い。

古典のほぼすべては、写本で伝わっており、
写されるほどに、本物からかけ離れていく。
数え切れぬ写本の中から、
本物に近い一冊を探し出すのが、
考証という作業だという。

なるほど、印刷術が発明される前は、
写本が書籍拡散の全てだった。

医療にとって、書物が重要、という話も意味深い。
医術は、書物によって伝わる
始め、唐の医書の写本で、医術が広がる。
医の学派が作られたのは、
製版の技術が向上して、
医の書物がどんどん刷られるようになったからだという。
朝鮮やベトナムのように、
直に唐の名医の指導を受けられない日本では、
医書こそが教師。
医家たちは懸命になって医書を研究し、
日本独自の医療が展開されるまでになったという。

そういえば、黒澤明の映画「赤ひげ」の中で、
長崎で最新の医術を学んで来た若い医者に、
その記録を無理やり提出させて、
読んで新しい知識を吸収する場面があった。
若い医者は、自分の学んだことを横取りされたような気になる。

「口訣」(くけつ)というものがあり、
それは、医者の実地診療の記録だが、
西島は、自分の口訣を門人に公開する。
普通、医者は自分の技術を秘匿するものなのだが。
それについて、西島は「秘伝なんて、とんでもありません」と言う。
医は公のもの、というのだ。

「医は一人では前へ進めません。
みんなが技を高めて、
全体の水準が上がって、
初めて、その先へ進み出す者が出るのです。
そのためには、みんなが最新の成果を明らかにして、
みんなで試して、互いに認め合い、
互いに叩き合わなければなりません。
それを繰り返しているうちに、
気がつくと、みんなで、
遥か彼方に見えた高みに居て、
ふと、上を見上げると、
もう何人かは、それよりさらに高いところに居ることになるのです。
一人で成果を抱え込むのではなく、
俺はここまで来た、
いや、俺はそこよりもっと先に居ると、
みんなで自慢し合わなければ駄目なんです」

最後に平助は、
西島の口訣集で初めて開版(出版)することになる。

医術と書物の関係の深さを描いて、興味津々だった。

 



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