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空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

『看取られる神社』

2025年06月18日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

衝撃的な題名。
廃寺同様、神社も廃されることがあるのか。
著者の嶋田奈穂子さんは、
滋賀大学非常勤講師。
人間文化学、地域研究の専門家。

インドで調査旅行をしている時、
同行していた恩師が亡くなり、
その死を看取った経験が
神社の看取りに重なっている。

「なぜあそこに神社があるのか」という設問に対して、
日本中の神社を訪問して、その意味を探る。

衝撃的な事実を知った。
日本に神社は7万8千602あり、
コンビニの数より多い、
とはよく言われるが、
その78602の数字は、
神社本庁が把握している、法人格を持つ神社の総数であって、
法人格を持たない、
地域に根ざした神社の数は入っていないということだ。
それらの神社を数に入れたら、
その総数は驚異的なものになるに違いない。

本書の中で、滋賀県守山市の野洲川流域の神社を調べる下りがある。
ある神社を調べようとして、
滋賀県神社庁の発行した「滋賀県神社誌」を見ると、
掲載されていない。
つまり、法人格を持っていないのだ。
恩師の「ゼンリンに載っているだろう」という助言に従って、
「ゼンリン住宅地図」に当たってみる。
これは、調査員が実際に町を歩いて作った地図だ。
その結果、野洲川流域の神社数は380社。
神社誌の掲載数は110社なので、
その3倍の数の神社が存在する。
更にその現場に行ってみると、
更地になった神社や、地図に載っていないものもあり、
結局、野洲川流域では378の神社が存在した。
地図の調査員も、その場所が何か分からなかったらしい。
著者はそれらの場所を「聖地」と呼ぶ。
本書の副題に「変わりゆく聖地のゆくえ」とあるのがそれだ。
その「聖地」が何らかの理由で消えていく過程を追う。

「看取られる神社」とは、
それらの名もない社の終末を描いたものだ。
その原因は主に人口減少過疎化だ。
神社は古代から集落の中心にあった。
しかし、人口減少社会に入り、
集落が消滅すると神社はどうなるのか? 
住民がその土地を離れる時、
神社も終末を迎える。
誰が、どうやって神社を閉ざすのか。
そのプロセスを追う。

村落で最後の住民になった人が村を離れる時、
それが行われる。
ご神体の像を近くの寺に移したり、
地元の博物館に遺贈したりして、
最後は神社の建物を解体、焼却する。
それが、集落の最後の一人となった住民の仕事なのだ。

「毎日少しずつ壊してね、
最後の柱を倒した時、
主人は泣き崩れて、しばらく立てなかった」

まさに、人を看取るのと同じである。
神社を廃する行為は、
誰かを看取ることと重なっていく。
始末を終えた村人は「これで安心して死ねる」とつぶやく。

そして、跡地は更地になり、
そこに神社があった痕跡も残らない。
神社としてあった土地を自然に還すことで
初めて神社を閉じることになる。

明治末期、神社整理が行われた時、
日本各地には、
大小さまざまな神社、寺、社、祠が数多くあり、
それぞれ住民の信仰を集めていた。
明治政府は、西洋化の過程で
一つの村には一つの神社を置く措置が取られ、
多くの神社が合祀(ごうし)された。

明治41年~42年の頃の話だ。
政府は、小さな神社や祠(ほこら)を、
強引に合祀することで消滅させた。
それに対して、住民は密かにそれらの「聖地」を守り続けた。
外的圧力は、聖地の目に見える部分を廃止することはできたが、
住民の精神までを変えることはできなかったのだ。

神社について調べてみると、
それが日本人の精神的根幹をなしていることが分かる。
よく日本人は無宗教だというが、
日本人の心の中には神社がある。
キリスト教やイスラム教のように、
開祖や教義がなくとも、
日本人は宗教的民族だ。
まさに日本は「神の国」なのだ。

 


『いまの日本が心配だ』

2025年06月18日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

筆者の李相哲氏は、
中国出身のメディア史学者。
龍谷大学社会学部教授。
現在65歳。
1987年、27歳の時来日、
上智大学大学院で博士(新聞学)学位取得。
そのまま日本に住みつき、
1998年に日本国籍を取得
日本名は竹山相哲。
中国出身だが、日本愛は半端ではない。
本の表紙の日本の和服がよく似合う。
その立場から
日本の現状を憂い、心配して著したのが本書。

「はじめに」で、こう書く。

37年前に私が日本にやってきたとき、
日本は世界ナンバーワンの国でした。
日本の一人あたりGDPはアメリカを抜いて世界一でしたし、
日本の株式時価総額は、アメリカの1. 5倍、
世界全体の株式時価総額の実に45%を占めていました。
その時、中国は、経済規模では日本の約8分の1、
一人頭の収入は日本の82分の1でした。
その日本はいまどこに行ってしまったのでしょうか。

私も個人的には、
いまでも日本は世界最高の国だと考えていますし、
信じています。
食べ物もおいしいし、安いし、人々も親切だし、町もきれい。
生活の便利さも世界最高ですし、空気もおいしい。
「何が問題か」と反問する方もいるでしょう。
しかし、いま、確実に日本は世界から取り残されているような気がします。
いま、目に見えるものはともかく、
日本の内部で起きているさまざまな変化は、
良い変化ではなく、悪い方向へ向かっているような気がして仕方ありません。
この本は、私がこよなく愛する、美しき良き日本を、
これ以降も持続できるように、
現実に目を向けてほしいと、
日頃悩んでいたことを整理したものです。

目次は次のとおり。

はじめに
夢を追って日本へ

第一章 日本は夢の国ではなくなった

日本は夢の国だった
私は何をしに日本に来たのか
日本の現実は甘くなかった
あの夢の国はどこへ行ったのか

第二章 アナログからデジタル化失敗のつけ

いまの生活に満足、なのに何が心配か
NTTはどこに消えたのか
シャープは台湾の子会社に
日本は何を間違えたのか
デジタル化の失敗で何が起きているか
日本の失敗は挽回できるレベルか
チャンスはあったのに
完璧なアナログ社会がいまは重荷
日本の沈下は進行中
日本企業に人材が集まらない
日本をダメにする教育システム

第三章 甘っちょろい「善人政治」が問題

専門性を問わない日本の大臣
台湾や韓国と何が違うのか
日本の足を引っ張るのはデジタル化か
日本問題の根源は選挙制度にある
甘っちょろい政治家で大丈夫か
「善人政治家」で日本は大丈夫か
様変わりした日本の官僚
劣化が進む日本的システム

第四章 ジャングルの中の日本が危ない

日本が危ない
日本の自立、自存の道
「非核5原則」を見直せ
むしろ「核保有3原則」が必要
日本を繁栄に導いた3つの軸
日本も汗をかかないと
アメリカに頼って本当によいのか
トランプ政権に頼ってよいか
トランプ政権とどう付き合うか
日本と韓国が抱える共通の課題
安保上、日韓は「運命共同体」
韓国とはどう付き合うべきか
北朝鮮に振り回されないために
交渉に必要なのは圧倒的力
北朝鮮とはどのように交渉すべきか

第五章 「明治維新級」の改革が必要

まずは、政治システムを変えよう
選挙制度を変えよう
教育にも競争原理を導入する
大学教育を企業につなげよう
日本の英語教育を見直す
若者の国家への奉仕を義務化する
メディア業界に新しい風を

あとがき

かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた日本が
この30年の間に、なぜ衰退したと言われるようになったか。
主に、次の点をあげる。

・アナログからデジタル化への失敗
・日本企業に人材が集まらない
・日本をダメにする教育システム
・優秀な人ほど、議員や官僚にならない
・政治システムが問題
・諸悪の根源は選挙制度
・中国、ロシア、北朝鮮に囲まれているのに、安全保障体制が問題
・他国の善意に頼るという外交は通用しない

特に、政治システムでは、
議員内閣制で国会議員が順番で大臣になり、
専門家が大臣にならないのを問題にする。
デジタル化を進めるには、
専門性を持った人物が大臣になるべきだという。
大臣の半数までは民間人を登用できるはずなのに、
結局国会議員のたらいまわし。
その結果、パソコンの知識のない人物がデジタル担当大臣になったりする。

二世議員が多い原因は、
祖父、父、息子へと継承される「家業」としての政治で、
金がかかり、普通の人が立候補できないシステムにある。
それには、得票率に基づいて、
選挙活動で使った費用を国が補填する制度を勧める。
たとえば5%の得票者に対しては、
選挙費用の半分を補填、
10%以上の得票者に対しては全額を補填する。

そして、究極的には、
総理大臣の公選制を勧める。
今のような国会議員の中の力関係で首相に選ばれる制度では、
思い切ったリーダーシップを発揮できないからだ。
公選制で選ばれれば、
政党の派閥に忖度する必要がなく、
多くを民間から閣僚に充てることが出来る。                                       

最後に、今の日本の凋落から抜け出すには、
明治維新級の大改造が必要だという。

しかし、あの安倍晋三さんでも出来なかった改革だ。
それ以上にリーダーシップを発揮できる人材を待つしかないのか。

李氏は帰化したとはいえ、元は外国人。
その善意の外国人に、
これほど心配かけるとは。
私が生きている間に、
日本は変わることができるのだろうか。

 


映画『国宝』

2025年06月17日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

原作は、吉田修一作家生活20周年の節目を飾る芸道小説の金字塔。
上巻・青春篇、下巻・花道篇。
2018年度芸術選奨芸術選奨文部科学大臣賞、中央公論文芸賞を受賞。

歌舞伎役者を描くが、モデルはいない。
一気に読んで堪能した。
その映画化、大丈夫かと危惧したが、
「悪人」「怒り」に続いて吉田修一の小説を映画化する李相日監督の手腕と、
吉沢亮横浜流星という
当代きっての旬の俳優の共演で、素晴らしい映画に仕上がった。

長崎の任侠の一家に生まれた喜久雄は
15歳の時に抗争で父を亡くし、
天涯孤独となってしまう。
たまたま一家の新年会の座興で歌舞伎を演じた喜久雄を観て、
天性の才能を見抜いた上方歌舞伎名門の当主・花井半二郎は彼を引き取り、
喜久雄は歌舞伎の世界へ飛び込むことに。
喜久雄は半二郎の跡取り息子・俊介と兄弟のように育てられ、
親友として、ライバルとして互いに高めあい、芸に青春を捧げていく。

二人は若手として研鑽し、
「二人道成寺」では、若手の女形スタアが誕生と褒めそやされる。
ある日、「曽根崎心中」に出演中の半二郎が
交通事故で休演する時、
自身のお初役の代役に指名したのは、実子の俊介ではなく、
喜久雄の方だった。
喜久雄の舞台を観た俊介は喜久雄の恋人である春江と一緒に出奔し、
10年間行方不明になってしまう・・・

歌舞伎は世襲の世界。
継承されたDNAを
日夜の家での稽古で磨き、伝承していく「家の芸」
喜久雄はそれを才能で乗り越えようとする。
一方、俊介は伝達された「血」を守ろうとする。
それぞれ不遇の時代があり、
それを乗り越えて、二人で歌舞伎の新時代を作り上げる。
しかし、いつも、「才能」と「血筋」という問題が背景にある。

それは映画化の際にも同じ問題として存在する。
吉沢亮も横浜流星も歌舞伎界の人間ではない。
血だけを重要視すれば、無理な配役だ。
しかし、俳優としての血の騒ぎがそれを乗り越えようとする。
1年半の稽古期間で、それを克服したのだから、すごい。
歌舞伎の口跡をどうやって習得したのだろう。
どんなにやっても地声の適正は隠せないのに、
見事にやりとおした。
そして、「二人道成寺」や「藤娘」の舞台。
鮮やかな豪華絢爛の舞台を作り上げる。
その美しさに陶酔した。

実は、映画の冒頭、東宝のマークが出て、
「あっ、松竹じゃないんだ」と驚いた。
エンドクレジットを見ても松竹の協力はうかがえなかった。
歌舞伎の所作等を指導した中村鴈治郎の名前しか出て来ない。

コメディアンの弁天、
大陸に渡って財をなす部屋住みの徳次など、
長大な原作のいつくかの要素を削って
3時間近い脚本にまとめあげ、
原作のテイストを残した
奥寺佐渡子の脚色は褒めていいが、
潜伏した俊介が再発見されるくだりや
喜久雄が不遇時代から再起するまでの経緯など、
重要な部分の省略はやや不満。
なにより、俊介を失った後の
喜久雄の舞台が人間国宝(正式名称は「重要無形文化財保持者」) に
認定されるまでの業績が省略されているのは、やや不満。
後半の2度目の「曽根崎心中」は、ややくどい。
カメラマンのくだりも唐突。

青春の成長物語としての一面、
老いと死と別れの物語としてのもう一つの面も
強調してほしかった。
老境の喜久雄のメイクは不十分。
それも減点の一つ。

ラストはファンタジーだが、
原作もファンタジーだから、仕方ないか。

歌舞伎役者・半二郎を渡辺謙
半二郎の妻・幸子を寺島しのぶが演じて、さすが。


半二郎の名跡を喜久雄に継がせようとする時、
「それでは俊介の戻る所がなくなってしまう」
と言うセリフが胸に残る。
寺島しのぶは七代目尾上菊五郎の娘。
母親は富司純子。
女に生まれたがゆえに家の芸を継げず、
歌舞伎俳優になれなかった背景が感じられる。

喜久雄の恋人・春江を高畑充希
先輩役者万菊を田中泯が演ずる。
世襲と血の問題を提起する興行師の部下、
竹野を三浦貴大が演ずるが、
中途半端な扱いで気の毒だ。
竹野の口を借りて、
血筋と才能の問題に決着をつけることも出来たのではないか。
撮影のソフィアン・エル・ファニ
美術の種田陽平の腕は確か。

5段階評価の「4. 5」

拡大上映中。

 

なお、私は日本には世界に誇れる文化が少なくとも3つあると思っている。
一つは、コミックとアニメ。(同根なので、一つに数える。)
一つは、和食
そして、もう一つは、歌舞伎

いずれも、日本人の美意識のなせるわざだ。

 


1週間遅れのトニー賞授賞式

2025年06月16日 23時00分00秒 | ミュージカル関係

トニー賞の授賞式は6月8日(日本時間6月9日)。
何で今頃、と言われそうですが、
WOWOWの生中継は、
現地コマーシャル時の
日本のスタジオのおしゃべりが
うざったいので、
観る気が起こらず、
字幕入りの昨日の放送を観てのブログ掲載となった次第。

何年か前から、トニー賞は2部構成になっており、
プレショーというのが
現地では放送されており、
昨日の放送はプレショーを含んでだったので、
完全版と言えるでしょう。

なぜ2部構成にしたかというと、
美術賞や衣裳、振り付け、サウンド設計などの
技術部門や名誉賞、演劇教育活動賞を
プレショーでやってしまい、
第2部では演技賞、作品賞を中心に
派手な部分を放送する、という趣旨。
技術部門を軽視するわけではなく、
要するにテレビ受けする俳優たちの部分とは
別扱いにしているわけです。

会場は3年ぶりにラジオシティ・ミュージックホール

司会は、3年続いたアリアナ・デボースに代わり、
ごの方、シンシア・エリヴォ

鼻輪はどうしてもなじめません。

受賞者のスピーチが長かったら、
「マイウェイ」の歌で警告、と。

「終わりが近づいている。ついに幕を降ろす時が来た・・・」

脅しただけかと思ったら、
2回ほど本当にやりました。

受賞結果は、次のとおり。

【ミュージカル部門】

「メイビー、ハッピーエンディング」が、
作品賞、演出賞、主演男優賞(ダレン・クリス)

脚本賞、装置デザイン賞、オリジナル楽曲賞
6部門で受賞。
ダレン・クリスは、
プレショーの司会に起用されています。(2回目)

「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」が、
助演女優賞(ナタリー・ベネチア・ベルコン)

音響デザイン賞、振付賞、オーケストラ編曲賞
4部門で受賞。

「サンセット大通り」が、
リバイバル作品賞、主演女優賞(ニコール・シャージンガー)

照明デザイン賞
3部門で受賞。
この作品は2度目のリバイバル。
全体をモノクロ映画のような印象で作ったのがミソ。

「オペレーション・ミンスミート」が、助演男優賞(ジャク・マローン)

「永遠に美しく…」が、衣装デザイン賞で各1部門で受賞。

【演劇部門】

「パーパス」が、
作品賞、助演女優賞(カラ・ヤング)
2部門で受賞。

「オー、メアリー!」が、
演出賞、主演男優賞(コール・エスコーラ)
2部門で受賞。

「ストレンジャー・シングス:始まりの影」が、
装置デザイン賞、照明デザイン賞、音響デザイン賞
3部門で受賞。

「ドリアン・グレイの肖像」が、
主演女優賞(サラ・スヌーク)、衣装デザイン賞
2部門で受賞。

「ユーレカ・デイ」が、
リバイバル作品賞、
「イエロー・フェイス」が、                           助演男優賞(フランシス・ジュー)の各1部門で受賞。

「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」と
「ストレンジャー・シングス:始まりの影」は、
特別賞も受賞しています。

トニー賞のハイライトは
やはり、ミュージカル作品のパフォーマンスで、

「永遠に美しく」「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」
「パイレーツ:ザ・ペンザンス・ミュージカル」

「メイビー・ハッピー・エンディング」

「デッド・アウトロー」「オペレーション・ミンスミート」

「リアル・ウィメン・ハヴ・カーヴス:ザ・ミュージカル」
などがステージで展開。

やはり超一流の舞台は素晴らしい。

「ハミルトン」の10周年記念パフォーマンスもありました。

「ジプシー」のオーロラ・マクドナルド
「サンセット大通り」のニコール・シャージンガーは、
それぞれ絶唱部分を披露。

私からすると、二人ともイマイチ。

特に、オーロラは、がなるばかり。
終わってみれば、
「ジプシー」は一つも受賞しませんでした。

「ジプシー」は私には思い入れのある作品で、
↓を参照。
https://blog.goo.ne.jp/lukeforce/e/aebcf43769f53fc9efdfae299ab3c146 

今年の対象作品は42作品で史上最多。
だけでなく、ブロードウェイ全体で
史上最高の売り上げを記録したそうです。

私は長いこと、
6月にトニー賞の授賞式を観て、
夏にューヨークに出かけて、
受賞作の何本かを観る、
ということをやっていましたが、
今から思うと、
すごい贅沢をさせてもらっていたんだな、
と思います。
もう行けませんけどね。

ところで、
プレショーで、
社会的貢献者に贈られるイザベル・スティーヴンソン賞を受賞した
シーリア・キーナン=ボルジャーのスピーチが素晴らしかったです。

「この賞が持つメッセージは、
“継続された小さな努力は評価に値する”ということ。
私たちが生きているのは、大きな試練の時代。
こんな時代には、いかなる抵抗も親切も取り組みも
不十分に感じられます。
私を称えることで、
コミュニティ・ケアは大切だと伝わるはず。
作家のピンコラ・エステスは言いました。
“我々の仕事は、一度に全世界を改善することではない。
手の届く範囲で、世界の一部を変えていくことだ”と。
会場のあなたも、家で観ているあなたも
世界を変えられます。
コミュニティ内で
必要な行動を考え、仲間を見つけて
少しでも周囲を改善する努力をしてください」
「この賞は、まるで天からの励ましのようです。
最も弱い立場にある人々を
助け続ける力になります。
そうすれば強い慈悲の光が輝いて
世界は変わります」

こんなスピーチが出来る俳優が
アメリカにはいる。
何だか励まされます。

「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は観たいですね。

 

 


小説『アマテラスの暗号』

2025年06月14日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

日本人の成り立ち、
神道とはなにか、
天皇家の正統性とは、
神社に隠された秘密、
など古代史の謎に挑むミステリー

元ゴールドマン・サックスの
デリバティブ・トレーダー、賢司は、
ニューヨークでの
日本人父との四十数年ぶりの再会の日、
父がホテルで殺害されたとの連絡を受ける。
父は日本で最も長い歴史を誇る神社の一つ、
丹後・籠神社の宗家出身、
第八十二代目宮司であった。
ホテルではもう一人殺された人がおり、
それはユダヤ教のラビ(宗教の教師)だった。
二人共心臓に銃弾を受けて即死、
プロの仕事だった。
賢司の母は、こう言う。
「あなたのお父さんは、
 日本のタブーのために殺されたのよ」

父の死の謎を探るため、
賢司は友人たちと日本へ乗り込む。
チームは伊勢神宮、下鴨神社、
出雲大社などを歴訪し、
封印された秘密を次々とあばいていく。
それは、日本古代史に秘められた謎を解明する旅だった。

古代史の謎とは、
日ユ同祖論
日本人の祖先にユダヤ人の血が混じっているという見解。
これは、ユダヤの歴史に関わった話で、
モーゼに率いられてエジプトを脱出したヘブライ人たちは、
約束の地カナンで王国を建設、
やがて10支族の北イスラエルと
2支族の南ユダに分裂。
北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、
北イスラエルの10支族は
歴史の舞台から消えてしまう
実は、北イスラエルの人々は東に移動し、
最終的に日本に落ち着き、
神道を作り、
天皇家の血筋を作ったという話。

この説は昔から言われているもので、
ユダヤの風習と日本の風習に似たものがあり、
共通の言葉も多く、
「偶然の一致」とはいえないほど沢山ある。

本書では、その理論を更に進める。
たとえば旧約聖書の有名な預言者イザヤは、
モーゼの十戒の石板の入ったアークと共に日本に渡ったと。
秦氏の日本来訪がそれだと。
古事記の国作りの神話が
なぜ淡路島から始まって、四国、九州と進み、
あとで本州に至るか、
それは、黒潮に乗ってやってきた
ヘブライ人が淡路島に最初に到着したからだ、と。
そして、彼らの子孫は最終的に平安京、
つまりエルサレムを建てた。
東の海の島々に。
つまり日本に。

広隆寺に伝わる「十善戒」というのが、
モーセの「十戒」とそっくりだというのは、
初めて知った。
日本の神社や神職の家系で
最も多い家紋↓が

ユダヤの典礼具の一つである
メノラー↓を隠した家紋だというのも


初めて知った。
また、ある神社には、神事として、
こどもを神に捧げる神事があるという。
アブラハムのイサク献祭だ。


祇園祭はシオン祭だともいう。

本書の中で神道についての記述が多い。
神道が日本人の精神を作ったと。
たとえば、

日本人の屈強な精神や連帯感は、
公を旨とする神道の価値観から来ている。
                                        日本人が日々の生活のなかで、
なんとなく心のどこかで感じている
“清く”“正しく”“美しく”といった美学は、
神道からきている感性です。

日本人の“公”に対する価値観は、
この豊かな自然の中で人々が誠実で、
協力しあって生きるという、
神道と米作文化のなかで
醸成されてきた
社会に対する信頼をベースにした価値観なんです。

神道は本来、自然の恵みに感謝し、
五穀豊穣と人々の平穏な生活を祈り、
世の中の安寧を祈願する宗教です。
また人間の良心への信頼に基づいているため、
戒律や聖典がない宗教でもあります。

そして、はっきりとこう言う。

神武天皇は、
失われた10支族が
北イスラエルを継承し、
日本に新たに創設したことを象徴する天皇だった。

そこから万世一系の王家の家系が始まる・・・

ダビデ王朝は「王の子が王になる」家系。
そんな王朝は、世界にたった一つしかありません。
紀元前660年に神武天皇の即位によって始まった
日本の天皇家の王朝です。

だから、中国の工作員は、
神道をなきものとするプロジェクトを進めた。
男女平等を掲げて女系天皇を認めさせることにより、
万世一系の皇統に内部矛盾を生じさせ、
皇室を崩壊に導くための
教育界やメディア、そしてオピニオンリーダーや
芸能人への工作を進めているのだと。

それは、マッカーサーのGHQの政策が始まりだ。
マッカーサーは日本を去る時、
時の首相、吉田茂に言ったという。
「悪いけど、日本人の魂は抜かしてもらうよ」

トインビーは「文明の衝突」の中で、
世界に存在する9つの文明のうち、
東アジアで唯一、中華文明に属さず、
一カ国だけにしか属さない単一文明、
“日本文明”を明らかにしている。

そして、イエスの磔刑の後、
原始キリスト教の中に
忽然と歴史の中に消えてしまったグループがあった。

最後に賢司は、
伊勢神宮の内宮で、
あるものを目撃する。

そして、こう結論づける。
北イスラエルの10支族の来訪、
イザヤが連れて来た南ユダ王家の来訪、
原始キリスト教の来訪、
その3つの出来事は、
神武、崇神、応神天皇という、
126代の天皇のうち3人だけ
「神」の名のつく天皇の時起こった出来事だったと。
そして渡来した人々は、
恵み豊かな日本の自然に帰依し、
日本人になっていった。

神道とは日本民族の完全なオリジナルではなく、
ユダヤ教や原始キリスト教の影響を受け、
それらと融合しながら出来上がった宗教である、
という結論。

日ユ同祖論、
都市伝説のようだが、
これだけの豊富な証拠があるのだから、
一度学術的検証をしたらどうかと思うが、
それはタブーらしい。

戦後、日本の神話は教科書から消えた。
「これまで世界の歴史のなかで、
 十二歳までに自民族の神話を教えることを止めた民族は、
 すべて百年以内に消滅した」
という歴史学者トインビーの言葉を警鐘として書き残す。

著者の伊勢谷武氏は、
スウィンバーン大学(メルボルン)卒業後、
ゴールドマン・サックスのデリバティブ・トレーダーを経て、
1996年に投資家情報関連の会社を設立。
現在、代表取締役。

こういう経歴の人が、
日本の成り立ち、古代史に興味を持って
本書を書いたことに驚く。
文庫本で上下合わせて600ページの大著。
ただ、やはりプロの作家ではないので、
物語部分が面白くなく、
プロの作家が書いたら、
もっと面白かっただろうと思われる。

なお、冒頭で
「この小説における神名、神社、祭祀、宝物、文献、伝承、遺物、遺跡に関する記述は、すべて事実にもとづいています。」とあり、
神社名等は実名のまま。
しかし、「登場人物はすべて架空の人物であり、
たとえ名が似ていても実在の人物とは関係ありません」とも書いてある。