カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『ある朝、目覚めたら』

2008-12-05 05:05:05 | Weblog
 何の話しからこうなったのか


 まったく覚えていないが


 ヘンだったけど


 家族で盛り上がる話題としては


 まんざらでも?なかったので


 記しておこう。





 「ねえねえ、ある朝、目覚めたらさぁ・・・」とその会話は、はじまった。





 ある朝、目覚めて、どんなシチュエーションだったらすごく嫌か。




 午後11時過ぎに


 妻と娘と三人で、結構真剣に話している


 やっぱりヘンだ。



 ぼくは、たぶんいつも同じことを言い続けてきたと思う。



 「太平洋か大西洋かわかんないんだけど

  

  朝、目覚めたら



  ちょっと大きい流木につかまっている状況。



  なんとも絶望的じゃないかなぁ。」


 娘が間髪を入れずつっこんでくる。


 「そうだよねぇ、嵐とか来ちゃったらいっかんの終わりだよね。」


 まぁ、嵐が来なくてもね、と思いながらも


 乗りツッコミ大歓迎です。


 興味が無さそうに


 聞いてたのか、聞いてなかったのかわからない妻がポツリ




 「人間がギリギリ動けるくらいの


  水道管みたいなところ。


  ずっと先に出口があるらしいのだけれど


  くねくね曲がっていて


  すっごい圧迫感。」



 ぼくと娘は、着ているシャツの首元をひっぱりながら


 「息苦しい~!」


 その後も幾つかシチュエーションは出てきたが


 これ以上のモノは無かった。


 破滅的な話しではあるが


 よくよく考えると


 人間がこの世に生まれ出てくるプロセスを象徴している。


 赤ちゃんは、おかあさんの産道をくぐり抜けてくるときは


 無呼吸状態だったはずだ。


 だから


 この世での第一声でもある「おぎゃ~」は


 大切な意味があるのだ。




 今朝、目覚めたら外はまだまだ薄暗かった。


 冬の朝


 ふとんのぬくもりが愛おしい。


 良かった。


 また新しい朝をむかえられた。


 大海原のど真ん中でもなく


 せまいせまい筒の中でもなかった。


 希望の朝


 今日を生きよう。


 いまを生きよう。


 さあ。






 神に感謝。
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