カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『石が転がるごとく』

2008-12-11 07:07:07 | Weblog
 「THE BIG ISSUE JAPAN」(ビッグイシュー日本版)108号を京橋の交差点で、おじさんから買って


 ランチタイムにパラパラめくっていたら


 65歳のロックンローラー


 あのザ・ローリング・ストーンズのボーカリスト


 ミック・ジャガーが


 こんな風に答えていた。


 質問は、こうだ。


 「ジャンプできなくなったり、ステージを縦横無尽に動き回れなくなったり、エネルギーが枯渇する時がくる日を不安に思ったりすることはある?」





 「もちろんあるよ。

  
  だけど、まだそんなことは現実に起きていない。


  “今日の陽射してを浴びながら


   明日の曇り空を心配するな”ってことさ。」


 
 どこかで見聞きしたフレーズに似ていることに気づく。


 「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことを思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことを思いわずらうな。

  命は食物にまさり、からだは着物にまさるからである。

  空の鳥を見るがよい。まくことも刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。

  それなのに、あなたがたの天の父は、彼らを養っていてくださる。

  あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
 
  あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。

  また、なぜ、着物のことを思いわずらうのか。

  野の花がどうして育っているか、考えてみるがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

  しかし、あなた方に言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

  きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたに、それ以上によくしてくださらないはずがあろうか。

  ああ、信仰の薄い者たちよ。
 
  だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。

  あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。

  まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

  だから、明日のことを思いわずらうな。明日のことは明日自身が思いわずらうであろう。

  一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」(マタイ6.25-34)




 ローリング・ストーン、「転がる石」でもう一つ思い出した。

 田舎に住んでいる頃

 近くの河原でよく遊んだ。

 その川の上流には銅山があったので

 川の石や砂がオレンジ色というか錆色をしていた。

 そんな環境だから魚もいなかった。

 飲めるような水質ではなかった。

 表面的にはきれいな水なんだけど。

 石でダムらしきモノを造ったり

 支流らしきモノを作って、湖らしきモノをつくったり

 山から広がる扇状地を流れる川。

 上流では、鉄砲水があったりして、被害にあわれる方もいた。

 当時、いわゆる灌漑治水が万全ではなかった。



 川底の石

 山奥から

 コロコロ

 何年もかかって

 ここまで転がってきた石

 大きさも

 その形も

 変わってきたことだろう

 角が取れて

 どんどん丸くなった

 そしたら

 必然的に

 コロコロ、コロコロ

 身軽になって

 摩擦や軋轢が無くなって

 ちょっとだけ自由に

 進むことができるようになった

 もちろん

 石は石だから

 自分では動けない

 でも

 石は石だから

 大きさが変わろうが

 形が変わろうが

 元から持ってる模様や

 構成している成分は変わることがない



 なんか

 人間が

 歳をとるというプロセスに

 すごく似てるんだなと。



 明日を思い煩って

 不安でとがって生きていたら

 そりゃ

 やっぱり大変だってところに着地しました。





 神に感謝。
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