ごミサに与った方々は、その存在をご存知だと思うが
「聖書と典礼」(オリエンス宗教研究所編纂)という小冊子が配布され、その日の主日(昨日なら待降節第四主日 B年)のごミサの案内書のように使われている。
ぼくも洗礼を受ける前からずっとお世話になっています。
朗読箇所やアレルヤ唱、共同祈願など
文言がわからない部分や目で追いながら味わいたいところもあるので
いつもありがたく使わせていただいています。
ただし
最近は、主に福音朗読については
耳で読むようにしています。
目を閉じて聞くこともあれば
頭(こうべ)を垂れているときもあります。
もちろん
人それぞれで
マイクの具合で聞き取りづらい方もいらっしゃいますから
それこそ自由で良いと思うのですが
「み言葉の典礼」という本質に立ち帰れば
やはり
神さまの声を聞くことに集中したいと思うのは
それほど間違っていないのかなと思います。
ペラペラ、シャカシャカと
ページをめくる音が聖堂に響くたびに
少しだけ
こんなことを思い浮かべています。
神に感謝。
Copyright© 2008 Luke8488
「聖書と典礼」(オリエンス宗教研究所編纂)という小冊子が配布され、その日の主日(昨日なら待降節第四主日 B年)のごミサの案内書のように使われている。
ぼくも洗礼を受ける前からずっとお世話になっています。
朗読箇所やアレルヤ唱、共同祈願など
文言がわからない部分や目で追いながら味わいたいところもあるので
いつもありがたく使わせていただいています。
ただし
最近は、主に福音朗読については
耳で読むようにしています。
目を閉じて聞くこともあれば
頭(こうべ)を垂れているときもあります。
もちろん
人それぞれで
マイクの具合で聞き取りづらい方もいらっしゃいますから
それこそ自由で良いと思うのですが
「み言葉の典礼」という本質に立ち帰れば
やはり
神さまの声を聞くことに集中したいと思うのは
それほど間違っていないのかなと思います。
ペラペラ、シャカシャカと
ページをめくる音が聖堂に響くたびに
少しだけ
こんなことを思い浮かべています。
神に感謝。
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