Addicted To Who Or What?

引っ越しました~
by lotusruby

インタビュー記事 IV   [FILM 2.0]

2008-09-08 22:59:18 | Suda on J.J.Y.


映画 『神機箭』の公開初週末の興行は、先週末の先行上映込みで観客動員1位、100万突破で、かろうじて大作の面目を果たしたようです。ぶっちぎりにはならないだろうと思ってましたが、ハリウッド作品が並んでいるので、ちょっと苦戦というべきか、健闘しているというべきか(笑)。

ソウル市長さんまでが劇場に駆けつけて援護射撃いただいたようで、興行成績に反映されるのかどうかわかりませんが、とりあえず 1 ヵ月後はやっているかなぁと、私はそればかりが気になる・・・



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心を空っぽにして力を抜くと自然になったよ

       

チョン・ジェヨンが初めて史劇に出演した。 その上、刃を振り回して爆薬をさく烈させるなど、これまで演じてみたこともない多様な役割をする。 それと同時に普段と違った演技パターンも見せる。 いつもやってきたことと同じようにやることができないのではないか。

8 月14 日は光復節を控え、大規模ろうそく集会が準備中の日だったし、金曜日から続く3連休の前日でもあった。 三清洞は、ろうそく集会によって道路規制された光化門と、少し早く連休を楽しむために都市を脱出する人々であふれるオリンピック大路を突き抜けてこなければならないチョン・ジェヨンは交通渋滞にはまっていた。しかし、来る途中、ずっと自身を待つスタジオの人々を気遣っていた。到着するやいなや、夕飯も省略して、すぐに衣装を着る。 遅れたので、早く、早く。 でも申し訳ないと思いながら、ビールを買ってくるのは忘れなかった。 話は、やはりビール カンを取りながら始めた。

チョン・ジェヨンはまもなく <神機箭> の封切りを控えている。 朝鮮世宗 30 年に開発された多連発ロケット砲 「神機箭」 を素材にした映画 <神機箭> は大規模な戦争場面が含まれた時代劇だ。 明国の妨害で朝鮮は神機箭開発に窮するが、世宗は火薬製造者の息子のソルジュ (チョン・ジェヨン) と貨車開発者の娘のホンリ (ハン・ウンジョン) を通じて、秘密裏に神機箭を製造するようにする。その後、明国は朝鮮の新技術とホンリを武力で奪おうとするが、ソルジュは神機箭でこれらを鎮圧する。

映画は、時を超越した武器を素材にする時代劇らしく規模が大きい。 80 億 (ウォン) という製作費だからというだけでなく、多様なアクションと爆発など、高難易度の場面がたくさん含まれている。 119 回という最近ではめったにない多くの撮影回数だけ見てもわかるように、撮影当時俳優やスタッフらが体験した苦難はだいたい想像できる。

苦労も苦労だったが、チョン・ジェヨンにとっても変わった経験だった。 新人俳優でもない彼が <神機箭> を通じて、これまでやったことのない新しい事を経験した。

「今回の作品では、初めてやってみた事が多いです。 史劇自体もそうで、史劇のセリフ、史劇の衣装とヘアー、刃を使うアクション場面もそうだよ。 そしてこのように長く苦労して撮影したのもおそらく初めてでしょう。」

以前にもチョン・ジェヨンは、<シルミ島>、<トンマッコルへようこそ> のような大規模な映画を撮影したが、<神機箭> と同じ大規模の時代劇は初めてのうえに、昼夜を分けない強行軍のために原因不明の高熱を病むほどであった。 特に最後の戦闘の撮影現場は阿鼻地獄そのものであった。 2 ヶ月かけた撮影は編集によって短縮されたが、苦しかった事は映画の中でもそのまま現われている。 製作費がままならない状況だったので、雨が降る日にも皆撮影現場に集まって雨がやむことを待つほど切迫して撮った。

チョン・ジェヨンは <神機箭> で変身に対する強迫はなかった。 最も関心を寄せた理由は、新しいジャンルに接することができるという点だった。 史劇の演技は初めてだが難しいと考えなかった。 意図的に現代的な感じを生かすこともなかったし、真顔になって史劇トーンで演技する必要も感じなかった。

「当時の庶民の語り口を参考にするのは、普通文学資料だが、当時を伝える資料が全羅道地方ものなどが多いでしょう。 それで現代の全羅道なまりを少し混ぜて、当時の庶民の話し方を類推しましたよ。」

また史劇の典型性も避けた。 すべての事件と人物に関係がある主人公のキャラクターは立体的にならざるをえないだろうが、チョン・ジェヨンが引き受けたソルジュのキャラクターは、多様な性格を要所要所に表わして、全体的なバランスをうまく取った。

今までチャン・ジン監督を中心にしたいわゆる 「チャン・ジン師団」 と共同作業してきた彼としては、キム・ユジン監督との作業も見慣れないことだった。 ところが、むしろ自分の演技スタイルにも変化を与えることができた。

「演技者は自分の心だけではできません。 私は常に私のスタイルのとおり演技をする傾向があったが、<神機箭> を通じてそうした部分をちょっと克服したようです。」

演技が上手い俳優の謙虚な話だが、確かに彼は <神機箭> で変わった。 特に目立ったのは、早いセリフ処理能力。多くの事件が早く展開する映画の特性上、場面ごとに感情をこめるよりは、含蓄的な演技が要求された。

「多分私がやってきた映画の中で最も早く演じた映画ではないかと思います(笑)。監督の要求もそれ一つでした。 意図的な演技ではなく、自然な演技を望んでいたのでしょう。 時間をかけて思い通りにすべてすれば、誰でも演技ができるでしょう?」

チョン・ジェヨンは、映画において演出の比重を 70% だと考える。 演技者とスタッフが残りの 30 %を満たす。  演劇が俳優の芸術ならば、映画は監督の芸術だ。 そのために俳優は、映画のたびに監督が要求する繊細な要求までみな受け入れなければならない。

「短い時間の中で全てのものを見せる含蓄的な表現をしながら、自然な演技を通して緊張と弛緩を行き来するのはもちろんで、同時に発音もきちんとして、表情も余裕があるように…完ぺき主義者監督に会うと、本当に死ぬんです。」

だがチョン・ジェヨンは <神機箭> を通じて、これまで知らなかった新しい事を習得した。 クールでさっぱりとした演技、着飾らず、苦心せずに、普段の自分の姿と違った部分も自然に映画の中に溶かすことができる演技だという。

「<神機箭> の後に <カン・チョルジュン:公共の敵1-1> を撮影したが、キム・ユジン監督に習った方式でクールにぷつんと投げるように演技したら、カン・ウソク監督は違う注文をしなかったんですよ。 その方法が受け入れられたということでしょう (笑)。」

<神機箭> は娯楽性を強調した時代劇だ。 俳優の役割が小さくなったわけではないが、他の作品に比べて力を抜くことはできた。 感情を合間合間で表わすことより、事件と事件を連結することにに比重を置いたし、小さな感情を少しずつ積んで、最後まで引っ張っていく。 <神機箭> でこれまで積み重ねたチョン・ジェヨンのニュアンスが全く見られないことではないが、浮び上がることもない。 俳優が与えることができる面白味より、映画という大きい枠組みで俳優の役割を探した。 心を無にしたためだろう。

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あとは・・・民族主義的色彩の濃さをチクリとやった記事もちょっと面白いです。というよりこのブラックな挿絵↓に笑ってしまった(笑っちゃいけないけど)。映画を観てないけど、個人的には、ちょっと同感、ふむふむと思いつつ。でも、以前も書いたけど、このテーマは、比較的大作といわれる作品には付きものじゃないでしょうかね~。『神機箭』 だけをイジメないでよね~と。

コチラ、
  FILM 2.0 「神機箭とゴム鉄砲遊び」 link to)