Addicted To Who Or What?

引っ越しました~
by lotusruby

『TOKYO!』

2008-09-03 23:47:58 | Cinema な時間


噂の『TOKYO!』を観てきました。個性豊かなフランス、韓国の監督3人の競演。

ある意味予想どおりでもあり、これが TOKYO?と思うこともあり。ポイントは 「東京」 でなく「TOKYO」 かなぁと。


<Interior Design>
監督:ミシェル・ゴンドリー
出演:藤谷文子、加瀬亮、 伊藤歩、大森南朋、妻夫木聡

『恋愛睡眠のすすめ』で、すっかり監督の催眠術にかかり、気が付いたらエンドロール、感想も書けないほど熟睡(笑)だったという経験から、シュールなんだろうなぁと思ったら、やはりシュールでした。

都会に居場所を見つけるというストーリーは、都会に住む人々の不安な心理をよく表していたと思うし、シュールだけど、浮いてなかったところが良かったなぁと思いました。原作はコミックなのですね。3 作の中ではこれが一番スキかな~。キャスティングも良かったのではないでしょうかね~。



<MERDE>
監督:レオス・カラックス
出演:ドゥニ・ラヴァン、ジャン=フランソワ・バルメール、石橋蓮司

『ポンヌフの恋人』 でボロ布を纏っていたルンペン(ドゥニ・ラヴァン)が、なぜかスーツを着た怪人になってる~と、この時点で大笑い  してしまいました。

意味不明なメルド語→フランス語→日本語への通訳で、かなり時間かせぎをしていたかも(笑)。メッセージ性が強いというのはわかるけど、やはり奇抜。怪人はなぜ素っ裸で寝るの?とか、メルド語を理解する人は何者?とか次から次へと疑問が出てきますが、ドン引きと笑いが紙一重でした。

片目がつぶれた怪人メルド、『ポンヌフ~』 でもジュリエット・ビノシュが目 の奇病を患っていたかと。「目」 にこだわりがあるのでしょうか。



<Shaking Tokyo>
監督:ポン・ジュノ
出演:香川照之、蒼井優、竹中直人

ディテール(細部)にこだわるポン・ジュノ監督の緻密なディレクションは、ポン・テールと言われているそうですが、それは香川照之の一挙手一投足によく表れていたと思います。ストーリーもよく練られていて、香川照之の演技力に大きく依存しているものの、彼の持つキャラとよくかみ合っているように思えました。

でも、蒼井優ちゃんの住む代沢 3 丁目(?)にあんな坂はありません。東京ではない、ウチの近所で撮影されたようですが。ディテールにこだわっているのか、いないのか(笑)。

「ひきこもり」 は今やグローバルイシューだし、「地震」 で Shaking しているのは日本全国だし、はたしてこの 2 つのエレメントが 「東京」 の代名詞なのか、ちと疑問でしたが・・・

 


3 人に共通しているのは、頭の中にある観念的な TOKYO を吐き出したという感じでしょうか。ガイジンの目を通してみた TOKYO ですから、そこはいたし方ないというか、「これぞ東京」 だと合点がいくものは見当たらなかったかな~。視点や素材は面白いと思いましたが。

『パリところどころ』 とか 『パリ、ジュテーム』 のように、人間が街の中に溶け込んだ風景が乏しくて、そうした印象も薄く、こうしたパリものとは明らかに違う都市オムニバスでした。

3 作の中で 「何じゃ、これ?」 と言わしめたのはやっぱり <MERDE> でしょうけれど、怪人のスーツの色が鮮やかな緑で、あの色彩感覚が面白いとか、菊の花がちりばめられた地下で素っ裸で寝ている構図の美的感覚がアジアにはないとか、友人がツッコミまくり、今日の昼休みはメルド談義で盛り上がりました(爆)。

カラックスは、どうして俺の作品が最後じゃないんだ とご不満だったらしいですが、「次はニューヨークで、メルド in USA」 との字幕を見たとたんに 「もう出てこなくていいよーーー」 とツッコミたくなるので、そこで終わったら、観客の後味が悪いことこのうえなく、ポン・ジュノ作品が最後でよかったです(笑)。

 

 


インタビュー記事 II

2008-09-03 03:38:24 | Suda on J.J.Y.


『神機箭』 は週末すでに有料試写会という名の先行上映が始まっていて、多数の観客を動員したようで、もう実質公開されたも同然のような気もしないでもありませんが。

Newsen のインタビュー記事 3 本 (翻訳機+私流訳です、あしからず) 

「映画市場が難しくて俳優がドラマ出演? 90%誤報」
(インタビュー①)
( link to [Newsen 2008/09/01])

        

危機に陥った大韓民国を本当に助けてくれそうな、頼もしく凛々しい男がいる。その場で馬に乗って刀を振り回さずとも、彼のするどい目つきと、一言二言の言葉だけでも十分に相手を制圧して、敵将をひざまずかせるようだ。

前作で見せてくれた、鋭くて冷徹だったり、あるいはどこか不足しているように見せる彼ではない。 性格、笑い声、戦い、女にかける作業まで豪快で、 何ひとつぬかりのない映画 <神機箭> の本物の男ソルジュで、映画俳優チョン・ジェヨンが観客の前に出た。

「映画 <神機箭> のシナリオを読み演技をしながら感じたのは、私がこれまでやってきた配役の中で、最も多くのものが入っている包括的な人物だと紹介できます。 男らしくてリーダーシップもあって、悪い面があるとすれば酒と女が好きな面でしょう。性格は気さくだが、冷徹で優れた判断力を持っています。 反面、融通がきかない部分もあります。すべての部分が完ぺきではない普通の人々の中にひとりでしょう。 もちろん平凡な人がソルジュのように、戦いに長けてることはないでしょう。(笑)。一言でソルジュは、豪傑のようなスタイルの人物ということができます」

9月4日公開予定の映画 <神機箭> のマスコミ試写会の際、出演俳優ホ・ジュノが民族主義と関連した発言で、世間の関心を受けたことがある。 映画の中心に立った俳優立場で見た神機箭と民族主義はどんな関数関係があるということだろうか。

「ホ・ジュノ兄が試写会の時に述べたことは、私たちの映画が「民族主義」というタイトルを付けて、けなされなければ良いのにという話だったでしょう。もちろん映画 <神機箭> では、民族主義の部分に触れていますが、主題は違います。映画の内容の初めてと終わりは、時代的な状況のためにそうして外に出て行くことができなかったドラマであるにすぎず、国民がみんな固く結束して悪をはねのけるような話ではありません。重ねて言いますが、戦争を起こして残るものを奪おうというのでなく、私たちのものを守ろうという内容でした」

映画に関する話が始まるや、彼の目つきが再びするどくなった。

「率直に申し上げて、こういうことを強要してはいけないが、<神機箭> のような映画がたくさん作られたらいいですね。 オリンピックに出場して金メダル取るのと同じ論理と考えます。 国家の代表選手たちがなぜオリンピックに参加するのでしょうか? 国家の地位をより高めるために体系的に用意されたシステムでないですか? 選手たちがオリンピックに出場して、それを見る国民がみな幸せに感じて、またそれを自然に受け入れています。 結局オリンピックも「民族主義」を土台に作られたように、私たちの映画 <神機箭> も同じ筋道と考えればいいと思います」

ややもすると、民族主義を前に出して愛国心を鼓吹させる他の映画とさして違わないという話ももれ聞こえているが。

「どんな映画でも見てつまらない時は、何を真似たかとか二番煎じだとかいう話を聞くはずです。けれど、二番煎じのように見えても実際にそれがおもしろければ、それはまた二番煎じではないでしょう。 これまでの映画の中に <神機箭> が、同じように真似るほどの映画がなかったんですよ。 率直に我が国で作るのが難しい映画です。 民族主義を褒め称えることができる映画が悪いことではないでしょう。 米国では作ってもかまわなくて、韓国では作ってはならないというのは、おかしいでしょ。」

2006 年に、文化財盗掘問題を扱った映画 <マイキャプテン キム・デチュル> に出演したチョン・ジェヨン。文化財に続き、今回はほとんど知られていない大韓民国の武器の歴史を取り出した映画 <神機箭> を全面に立てた映画に出演した。

「率直に言うと、文化財や歴史に関心があって出演したのではありません。でも、独特な雰囲気のある映画でしたよ。あえてそのような映画の中に登場する職業のために作品を選んだわけではなかったです。 映画の中に込められた話が良かったです。 映画 <マイキャプテン キム・デチュル> の場合は、本当に優しくて暖かいシナリオと気に入りました。 シナリオに比べて、思ったより映画がうまく行かず残念だったんですよ」

映画俳優が映画だけに固執せずにドラマに移って出演する理由が、映画市場が難しいためという記事が多いけれど。

「しきりに関連をさせてそんなふうに見られるんです。 映画俳優がドラマに出ているようだが、自然な移動にすぎないでしょう。 あえて映画市場が難しいから出て行くということではありません。 色々な媒体であふれ出る記事のうち 90% が間違っているでしょ。 米国でも、映画、TV ドラマ、演劇といった形で限定されて活動するのです。 我が国は市場が小さくて、自由に移動しつつ、活動しなければならないですね。 またいくら映画がうまくいくといっても、皆色々な方向で行ったり来たりすることができなければなりません。」

これからスクリーンでないブラウン管でも俳優チョン・ジェヨンの姿を見る日を期待してもかまわないだろうか。

「映画に固執するのは特別な理由はないです。 ずっと映画をしているから時間的に余裕がないのです。その間、やってみたかった TV ドラマがあったわけでもありません。 もちろんどうせなら映画を継続したいという欲もあります。やってみたことのない領域に挑戦するのは恐ろしくて、馴染めずに恐ろしいです(笑)。」

 

 「芸能番組出演のキム・スロにもなれなくて、やはり専門家はそれぞれ」
(インタビュー②)
( link to [Newsen 2008/09/01])

           

知っている人はすでに知っているだろうがチョン・ジェヨンは演劇舞台を通じてデビューした。 だが大衆にとっては、演劇より映画の方がもっと強い印象を残しているということは事実だ。 来る 9 月 4 日に公開予定の映画 <神機箭> の作家 (脚本家) は戯曲作家として大きな名声をとどろかしているイ・マニ (이만희) 作家だ。 心をひきつける独特のセリフで定評のあるイ・マニ作家と、そうしたセリフを誰より上手くこなす俳優チョン・ジェヨンとの出会いはまた他のシナジー効果を出すことができないだろうか。

「イ・マニ作家については、以前うわさだけ聞いていたが <神機箭> を通じて初めて会いました。 率直に初めてシナリオをいただいた時は、幼稚なセリフを読みながら 「これをどのようにするだろう?」 と考えたこともあります。 だが読めば読むほど、詩のように感じられる本当に素敵なセリフも多くて、話に品位が感じられて本当に良かったのですよ。この頃はなんでも縮約語にしてしまって、何か一つでも作り出すと喜んで好んで。 もちろん長短所はあるけれど、私たちの映画 <神機箭> から出るセリフでは、味と粋を感じることができると思います。 史劇だが、現代的に解きほぐして、似合うようにお聞きになることができますね」

<神機箭> を契機に俳優チョン・ジェヨンとイ・マニ作家と演劇舞台を通じて遭遇できる日を期待してみてもかまわないだろうか。

「イ・マニ作家とともに戯曲をするならば光栄でしょう。イ・マニ作家は戯曲作品をしないから仕方ないです。 作家は文を書かれることを継続されるだろうが学生たち教えることもあって。私は 2004 年に演じた作品を最後に、これまで演劇をできませんでしたね。はやく機会がきて、また演劇舞台に上がりたいです。」

コミック演技をたくさん見せているのには、特別な理由や本人だけの哲学があるのか。

「私は、自分が演技をしながら常にコメディーをしているとは考えません。 またキャラクター自体が笑わせようと笑わせているのではありません。 ただ人物の形態が笑わせているのでしょう。 コメディー演技にも、笑いの差があります。 普遍的な笑いではないものの差とでもいうのだろうか?」

記者が個人的に面白く見た映画 <知り合いの女> と関連して、質問を投げるやチョン・ジェヨンの目つきはより一層輝いた。

「事実、映画 <知り合いの女> のシナリオを初めて読みながら、トン・チソン(劇中の名前)が電信柱を触れば電気スパークが起きる場面を見た時、これが果たして映画と合うのだろうかと思いました。でも画面で見るから、なかなかすてきでしたよ。 かなり幼稚に見せていましたが、結果的には成功でした。」

これまでずっと映画にだけ没頭してきたチョン・ジェヨン。俳優たちは、映画広報のために必ず芸能番組ではないとしても TV 出演を拒む理由が別にあるのはでないか。

「好みであるようです。芸能番組に出る一番の目的は映画の広報です。それでも TV に出ても観客が映画をさらに多く見るようでもありません。 二番目は個人的に私自身チョン・ジェヨンを知らせることは、もちろんイシューになります。 だが単発で終わってしまうのです。 俳優は演技で知らせるべきでゴシップ性で知らせるのではないと考えます。 考えてみれば、確実に知らせることもないようです。(笑)」

この頃、映画俳優キム・スロがある芸能番組に常に出演して、毎週視聴者たちの目の保養になっている。 ひょっとしてチョン・ジェヨンもそのような夢を見ているのではないか。

「私が出て行くことはないと思います。またその一方で、バラエティー番組を見ると、一人でくすくす笑いながら見ます。私がその場に出て行くと、ぎこちないようです。 この頃、キム・スロがいつも出てくるでしょう。ところがやはり専門家にはならないようです。 ちょっとした話をすることもできず、それほど笑わせることもせず(笑)。そういうのを見ると、やはり自分が上手くできることは別にあるようです。 いたずらに出ると 「お前はコメディアンか」 と言われるし、また、出なければ 「それならなぜ出て行ったか」 と言われるからです。」



「私は俳優にすぎず、無条件に映画を見てくれと哀願する商売人にならないつもり」
(インタビュー③)
( link to [Newsen 2008/09/01])

        


真剣で礼儀正しく見えて、時には相手を緊張させる重いイメージの彼から予想できない軽い冗談と一座を驚かせる程大きく響く磊落な笑い声が飛び出してきた。

「映画 <神機箭> が史劇だと初めて台本を見た時、正直、なじみがありませんでした。「これは、うまくやらなければならないだろう」と漠然とした考えでしたね。 だが実際に映画を撮影しながら、そのような考えがなくなりました。「やはり私たちの監督が映画を本当によく撮るのだな」という気がしましたよ。(笑)」

映画俳優チョン・ジェヨンと映画監督チャン・ジンは切っても切れない間柄と多く認識している。だが映画 <神機箭> で彼はチャン・ジン監督から素早く浮気したのではないかというよく耳にする。

「浮気ではありません。 確かめてみると、チャン・ジン監督と一緒にしなかった作品の方が多いです。 チャン・ジン監督が演出をした映画で主演級で出演したのは 2 つだけでしょう。あとはみなチャン・ジン監督が脚本、製作者で参加した作品だから、あえて一緒にしたということができません。 そのように見ると今回の映画製作会社もKnJ(カン・ウソク監督とチャン・ジン監督が共に設立した会社)だから共同作業したことになります。 でもシナリオにチャン・ジン監督の色が出てこない共に呼吸を合わせたとは言えません・」

俳優チョン・ジェヨンは、チャン・ジン監督との長い縁で「チャン・ジン師団」という別称まで勝ち取った。

「チャン・ジン監督とチョン・ジェヨンという俳優の笑いのコードが合うことのようです。 シナリオの中に出てくる笑いのポイントが、二人ともよく合います。 またチャン・ジン監督の映画の中には悪人がいません。 誰でもみな優しく出てきます。 劇中人物が、どこかとぼけていて若干足りなく見えるそのような色のコメディーがおもしろいです。考え直してみれば若干ファンタジー映画だと言えます。 チャン・ジン監督のそうした部分、そうした指向が私とよく合って共に作品をするのが良いのです。」

チョン・ジェヨンが見たチャン・ジン監督はどんな姿であろうか。

「チャン・ジン監督をそばで見ていると、常に才覚があります。 いつも何かを考えて作り出して勤勉な人でしょう。逆に私はかなり怠けものです(笑)。私は気持ちに従って、大いに変わる性格です。 楽しくなる時もあって憂鬱な時もあって、相手方が私に良い話をすれば、本能的に動いたり。(笑)」

9 月 4 日に公開される映画 <神機箭> をはじめとして秋夕連休を基点に 9 月の韓国映画はもちろんさまざまな映画があふれる。

「映画 <神機箭> の興行に自信があるかと多く質問を受けますが、本当に自信があったらいいですね。9 月に韓国映画がたくさん封切られるのに、私たちの映画をやめても、封切られる韓国映画がどれも自信があったらいいですね。 本当にみなうまくいったらと思うのが私の希望です。 韓国映画、君も私もみなうまくいけば良いでしょう。」

さらに多くの人々が映画に関心を持てるように、もう少し具体的に映画に対する広報をしなければならなくないだろうか。

「本能的に私が嫌いなものがあっても、優れているようなふりをしますよ。もちろん誰かが私に嫌いだとののしっても、それも嫌だけど、優れているふりをするのが本当に嫌いです。インタビューをすると、どうしても俳優は自信にあふれて、私たちの映画はおもしろいからたくさん見ろと自慢するべきだが、私はそれがなぜか偉そうな顔をすることのようできまり悪いです。」

俳優チョン・ジェヨンは自分だけの演技論はもちろん、映画は観客から冷静な評価を受けてこそ映画ということができるという確固たる信念があった。

「映画の広報をする時も、観客らがそのように感じるかもしれないと、話をすることがはばかられます。 映画は観客が判断することであって、広報を通じて見るのではありません。 判断を観客らに任せようと作るんです。 評価を受けてこそ映画であり、そうでなければ所蔵品でしょう。 私たちの映画を見てくれと、無条件に広報するのはバラエティー番組で面白味を追求するためにするのに、時々はどうすることも出来なくて残念な時があります。 映画は個人的な好みです。 俳優の立場では映画を撮る時、 「無条件にこの映画は観客数何千万人が観るに値する映画だ」 と考えるのは俳優の中にだけとどめておくべきで強要できるのではないです」

 最後にチョン・ジェヨンは映画俳優として持たなければならない所信に対しても強くアピールした。

「映画俳優は俳優にすぎず商売人ではありません。「韓国映画をたくさん見なくては、あなた方は賢くなれません」 と話すのは 「本をたくさん読まなければ賢くなれません」 とは違った話でしょう。 本をたくさん読むからと言って死んだ出版社が生き返るのではないでしょう。 本を書いた作家は金を儲けたくて本を出すわけでもないでしょう。 だが映画をたくさん見てくれということも、ややもすると映画関係者らがお金をさらに儲けられるようにしてくれと哀願するように見えることもできますね。 映画は監督によって作られ、私は俳優として最善を尽くしたから冷静な判断を待っています。 どうせなら良い評価をいただけたら良いという風を伝えたいです。これは絶対格好つけているのでもなく、お金をたくさん儲けるようにしてくれと哀願することでもなくて、皆そのように受け入れなければならないでしょうに。(笑)」

チョン・ジェヨン、彼の話法には相手をひきつけるそれだけの力があった。 だが、上品な語り口と時々もれる笑い声だけで彼の魅力をすべて表現するには足りなかった。自分自身に対する信頼と演技に対する情熱でぎっしり埋まった彼が信頼感で近づいた。 明らかに観客やはりスクリーンを通じて、チョン・ジェヨンの気勢を受け取ることができることには十分に確信が持てる。