報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

「郵政民営化」とメディア(3)

2005年07月29日 18時55分42秒 | □郵政民営化
<日本の新聞に「革新」も「保守」もない>

 日本の新聞について、よくこんな話を耳にする。
「○○新聞は革新系だ。△△新聞は保守だ。そして□□新聞は中道」

 全国紙は朝日、産経、毎日、読売と四つある。日経を入れて五つ。
 はたして、この五つの新聞は、ほんとうに○△□に分類することが出来るのだろうか。僕には、見分けが付かない。何んらの差も見受けられない。しかし顕微鏡を使って読めば、あるいは分類も可能なのかもしれない。顕微鏡も望遠鏡も持っているので、いずれ使ってみてもいいが。少なくとも、肉眼で読む限り、そこに差は見えない。五大紙の中で、「郵政民営化」の危険性について論述した新聞はひとつもない。五大紙が、二人三脚のように見事に足並みをそろえている。

 本来、あらゆる情報を開示した上で、幅広い国民的議論が必要なはずだ。しかし、基本的な情報が隠匿されているため、議論の起こりようもない。新聞をはじめとするメディアが「郵政民営化」に潜む危険性について、何も知らないということはありえない。僕でも、知っている情報なのだから。あらゆるメディアが特定の情報を国民から隠している。

 五大紙をはじめ、あらゆるメディアは、不偏不党の独立した存在などではなく、国家に従属する機関にすぎない。ほとんど、一心同体といえる。「記者クラブ」というギルドによって特権を得る換わりに、中世的な呪縛を甘受している。この既得権益を守ることが目的となっている。そのことに何の疑問も感じていない。そこには「国民の利益」などという概念はない。そんなメディアに「革新」や「保守」、「中道」といった分類をするのは、滑稽というほかない。

 では、この分類はどこからきたものなのだろうか。
 これは、市場原理による淘汰を防ぐための「棲み分け」なのだ。
”うちは保守層の読者をいただきます””では、うちは革新層をもらいます””じゃあ、うちは中道で”
 そういう棲み分けなのだ。中身はすべて同じだ。表面を少し色づけして別物に見せているに過ぎない。

 インターネットの普及とともに、新聞購読数は減っている。恒常的に国民を欺き続けている新聞がいつまでも生きながらえるとは思えない。

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6 コメント

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悲しき新聞の行方 (墨田川)
2005-07-30 00:11:25
わたしは、マスコミ志望で当時マスコミに一番近いといわれている大学・学部を卒業しました。

でも、在学中に別の興味がわいてきて今では他のことをしています。



確かに、中司さんが言うような面があることは否定しませんが、わたしは新聞社の中には、自己の意思を行く人がいることを信じています(信じたい)。



わたしは、小泉政権が誕生したときに日本は終わったと思いました。なんでこんなバカな首相にこんな支持率があるのか?日本国民のアホさかげんに絶望しました。いま、ようやく支持率も落ちてきていますが、いまさら何を言っているの?という感じです。でもいまだに高い支持率がある方ではないでしょうか?



わたしは最近になって小泉首相もただのアホではなく、実はものすごく頭が切れる人だと感心しています。



優勢民営化はいかに日本国民に不利益をもよおすかは知るところではありませんが、わたしの個人的な意見では郵政は民営化できると思っています。でも、金融と郵便を切り離した今回の法案では厳しいかもしれません。ともあれ、いずれは郵政は民営化すべきだと思います。



政府が大きいということは、その分、民衆の税金が増えるということです。だから、民営化できるところは、どんどん、民営化すべきかと思います。郵便貯金の件しても国民が馬鹿でなければ、アメリカ資本にいく前に他の金融機関に移せばいいだけのことでしょう。



アメリカ主導の政策でもいいものは日本のものとして取り入れていけると信じています。



憲法の戦争放棄条項に関しても、経緯はどうあれ、現世界に良かれと思われるものは、自己のものとして、いいところと進めていくべきだと思います。第9条関しては、日本だけが唯一、軍縮をしてきた国(江戸時代)であるし、戦争における唯一の被爆国ということを考慮すると、もっと平和に関して日本政府には、イニシャティブを持って訴えかけてほしいと思っています。



わたしは、そういう意味をもって小泉政権は戦後最悪の政権だと言ってきましたが、最近、少し見方が変ってきました。





いまでは、あの偏屈な自民党においてよくここまでできたと感心しています。いまだに、反小泉ですが、久々に次の選挙では自民党に表を入れるかもしれません。



確かに人権は優先されるべきかもしれませんが、核被害国として拉致問題を核問題に優先させるテレビ報道にも納得できません。明日にも、われわれはこんな議論をできないくらいの被害を受ける可能性があります。仮想敵国はあくまで日本です。アメリカが核問題を最優先にしているのはむしろバランス感覚があると言えましょう。拉致問題も絶対に疎かにできないと思いますが、核問題は、人類の存亡にかかわる問題だと思っています。日本のマスコミはもっと平和維持に関してリーダーシップを持ってほしいし、核被害国である日本だけがそれを成し遂げられると信じています。





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隅田川さんへ (中司)
2005-07-30 09:14:00
コメントありがとうございます。



マスコミの中に、心ある方は大勢おられます。僕は取材の現場でそうした方々にお会いしています。しかし、組織の中で彼らの声は一切反映されることはありません。だいたいそうした方は窓際に追いやられます。マスコミが総体として日本社会でどうした役割を演じているかが問題なのです。



”郵貯の預貯金を他の金融機関に移せばいいだけ、それで何の問題もない。安全”という意見は散見します。はたして、そうでしょうか。

なぜ「郵政民営化」を政府が強引に推し進めているかといえば、郵貯のお金が郵貯から出てこないからです。出てこないなら民営化してしまえというわけです。民営化さえしてしまえば、そのお金が郵貯にあろうが、他の金融機関にあろうが同じことなのです。



仮に民営化後の郵貯の半分のお金が民間金融機関に流れたとしましょう。そうすると間違いなくお金がだぶつきます。だぶついたお金を銀行内にかかえていても利益を生みません。そうした行き場のないお金は、金利の高い「米国債(アメリカ財務省証券)」の購入にまわされます。それこそが、「郵政民営化」の狙いなのです。もちろん、郵貯・簡保が民間企業になれば外国企業による買収も可能となります。



昨年度は、約30兆円もの巨額の税金が為替市場に投入されました。これは円高を防ぎ、輸出産業を守るというのが名目です。しかし、「一日」に100兆円から200兆円が取引される為替市場において、「年間」30兆円などほとんど何の意味もないのです。では、何のためにこの30兆円は為替市場に投入されたのでしょうか。市場で買ったドルは、ほとんどが「米国債」の購入にまわされます。すでに約80兆円分の米国債があります。では、なぜ日本政府は国富30兆円を使って米国債を買う必要があるのでしょうか。これは、ひとえにアメリカの財政赤字、経常収支赤字を補填し、アメリカ経済を支えるためです。



アメリカの双子の赤字は、年間1000億ドルペースで増え続けています。それに合わせて日本のドル買いも急増しています。しかしもはや、円高を防ぐというウソでこれ以上巨額の国富を為替市場に投入する言い訳ができなくなってきています。つまり、50兆円の貿易黒字を維持するために50兆円の税金を為替市場に投入したとすると・・・プラスマイナス0。これを打開するための方策が「郵政民営化」です。



国民の富350兆円は、アメリカの浪費や戦争による双子の赤字を支えるために使われます。こうして日本が購入した米国債は、半永久的に日本に死蔵されます。つまり、日本国民の富は行ったまま返ってこないのです。日本政府は、米国債というただの紙切れを買い続けているのです。



郵貯・簡保が民営化されれば、そのお金が郵貯・簡保にあろうが、他の金融機関に移ろうが、結果は同じことなのです。



中司達也
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報道の存在 (Shioz)
2005-08-02 17:20:22
中司さん、はじめまして。

lusinさんの「つつがある日々」のリンクからやってきました。



郵政民営化については、私も連日テレビなどで言葉だけは耳にするものの、その本質がいまだつかめない、不勉強な状態です。

なので、いまは郵政民営化についてコメントはできないのですが、今回の中司さんのコメント、特に「あらゆるメディアが特定の情報を国民から隠している。」という文を読んで、「最近、同じことを聞いたような・・・」と思い当たることがあり、思いきって投稿した次第です。



さて、「同じこと」はどこで見聞きしたのかというと、Cafeglobeという女性向けサイトのBBS/Eco板(下記)で、英セラフィールドの事故が日本で報道されているのを見たことがない・・なぜ・・・?という問題提起の書込みでした。

http://www.cafeglobe.com/cafe/forum/forum.cfm?room=eco



事故について知ってもらいたい、という思いの他、なぜ日本のメディアはこの事故を取り上げないのか?という疑問を訴えるのですが、答えが見つかりません。

放射能事故についても、メディアについても、特に見識が深いとか、専門知識があるというわけではない、「普通の」女性たちです。私を含めて。

彼女達は知らないなりに、答えを見つけよう、知ろうとして、手探りで情報を出し合い、語り合っています。



私は、中司さんの新聞等のメディアに対する意見も、隅田川さんの「新聞社の中には、自己の意思を行く人がいることを信じています(信じたい)。」という気持ちも、どちらにも同感できます。

あわせて、上記のBBSに寄せられる意見を読んだ私見なのですが、新聞には掲載されない何かを伝えるために力を注ぐ人達はいつも必ずいて、また、その情報を見出そうとしている人達もまた、いつも必ずいるのだと思いました。

完全ではありませんが、BBSやブログなどは、新聞やテレビ、雑誌などを介さずに、ダイレクトに情報交換をできるという点で、可能性を感じます。

(受け手側に情報を見分ける力が要求されますが)



これまでは、メディアの情報を発信する・受け取る側にはっきり分かれていて、受け取る側の私は情報をただ信じて受け入れていましたが、そのような姿勢が批判されるメディアの在り方を作ってしまったのかもしれないとも思います。

これからは、日常の疑問を見過ごさないこと、「普通の」私達が常に問題提起をしていくことが、私達にもできるメディアへの意思表示かなぁ・・と思いました。



初めてなのに、長文でスミマセン。。。
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Shiozさんへ (中司)
2005-08-03 02:29:35
はじめまして。

貴重な情報をありがとうございます。

セラフィールドの事故、恥ずかしながら初耳でした。

我々は、いったい何を知らされていないのかさえ分からないという状況です。こうした知らされていない情報を交換し合い、共有することは、とても大切なことだと思います。

まだまだ確立されてはいませんが、今後の市民メディアの発展を期待しています。

与えられるだけの情報ではなく、互いに交換し合い、情報の質を高めていくような形態。

ひとりひとりが、「日常の疑問を見過ごさず、問題提起していくこと」は、僕が理想とする社会のあり方でもあります。



個人的には、既製のメディアには、もはや何も期待していません。個々人は、優れた能力の持ち主ばかりです。しかし、記者クラブというギルド的な機構の中では、個人の意思や志は反映されません。メディアというのは「村八分」が残っている中世的な世界です。横並び一線でなければならないのです。また、スポンサーという絶対的な呪縛もあります。自分の主張をしたい人は、みなフリーになっています。



独立した立場を貫いてきたBBCやアルジャジーラは、徹底的な攻撃に遭い、その志を叩き潰されてしまいました。これが現実です。



でも、これからは、ひとりひとりが情報を発信し、ネットワークを形成していく社会になると思います。

大いに発言してくださいね。
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ありがとうございます (Shioz)
2005-08-03 14:24:06
まだ全部ではないですが、中司さんの他のコメントを読んでます。

おそらく本業でも精神の消耗が激しいのではないかと思うのですが、ひとりひとりのコメントに丁寧にレスをつけているのを見ると、本当に頭が下がる思いです。



幸か不幸か、ここ最近、仕事がヒマなのでネットのいろんなサイトを見ています。

悲しいくらい、いままでは知らずに過ごしていた出来事があることを知り、呆然としてしまいます。



ほんとうに微力ですが、私にもできること「問題提起・情報発信」を続けたいと思います。

ひとりでも多くの「受とめてくれる人」が見つかるように・・・







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Shiozさんへ (中司)
2005-08-03 23:25:01
我々の生きているこの21世紀という時代は、次の千年後、どんな時代として歴史に記録されるのかと、考えるときがあります。



20世紀末、冷戦が終わり、世界は平和に向かって進むかと思いきや、21世紀に入ったばかりなのに、世界はとんでもない方向に突き進んでいます。「赤い脅威」がなくなった途端、間髪を入れず、次の脅威が現れました。そして、またもや世界の警察の出番です。実に、都合のよい話です。



世界が、作られた「赤い脅威」に振り回されたように、いま、あるかないかも証明されていない組織の「テロの脅威」に振り回されています。そして、罪もない人々の上に爆弾が降り注がれても、世界は何も感じなくなっています。我々は、本当に怖ろしい時代の真っ只中に生きていると感じます。



21世紀のほんのつかの間を我々は生きることになるわけですが、それでも後の世に、この時代を「テロの世紀」と記載されたくはないです。本当のテロリストとはいったい誰なのかを、世界の人々が見極めさえすれば、「テロの脅威」はなくなるでしょう。眼を見開いて見れば、誰にでも真実は明らかになると信じています。



真実を知ることは、時として、とても辛く、悲しく、また怖ろしく感じることもあります。知らなければ幸せという考え方もあります。僕自身は、真実を知らずに死んでいくことの方が怖い。我々にできることは、とても微力です。いや、無力と言った方が正確かもしれません。

でも、しっかり眼を見開いて生きていきましょうね。

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