2001年頃には、数多くのマーシャルアーツ・グループが東ティモール全土に存在した。人口80万の島にしては、異様に格闘グループが多いのが少し不思議だった。でも、格闘好きなんだろうぐらいにしか思っていなかった。
その構成員は、どこの世界にもいるチンピラ然とした若者だ。力を誇示するグループ間の抗争は頻繁に行われていた。グループの暴力に対抗して、住民がグループのメンバーを襲撃することもあった。
国連文民警察やPKFは、抗争があれば出動するが、それだけだ。見えるところに居ても、深追いすることはなかった。
どんな田舎の村にも、マーシャルアーツ・グループは存在し、暴力と抗争を担っていた。ほんの些細なもめごとでも、自動小銃と手榴弾まで持ち出された。抗争相手の家は焼き払われ、死者が出る事もあった。
インドネシアの支配と暴力が終わったばかりだというのに、それはあまりにも理解しがたい現象だった。
[写真は、すべて2001年撮影]
今回の、東ティモールで、暴動や放火の主力を担ったのは、これらマーシャルアーツ・グループだと推測できる。15万人の避難民が即座に生まれたのも、常日頃から地域や地区で暴力を働いていた惨忍なグループに急き立てられたからだ。
グループは、暴動中も抗争をする有様だったが、外国部隊や外国メディアにはいっさい手出しをしていない。外国部隊も、グループの武器を取上げるだけで、それ以上のことはしていない。キャッチ・アンド・リリースなのだ。これでは、どうぞ暴動を続けてくださいと言うようなものだ。まるで暗黙の合意でもあるかのようだ。しかし、特にそうした合意があるわけではないだろう。
グループを養成しコントロールしている勢力と、治安維持部隊を派遣した勢力とは、同一というだけだ。
その構成員は、どこの世界にもいるチンピラ然とした若者だ。力を誇示するグループ間の抗争は頻繁に行われていた。グループの暴力に対抗して、住民がグループのメンバーを襲撃することもあった。
国連文民警察やPKFは、抗争があれば出動するが、それだけだ。見えるところに居ても、深追いすることはなかった。
どんな田舎の村にも、マーシャルアーツ・グループは存在し、暴力と抗争を担っていた。ほんの些細なもめごとでも、自動小銃と手榴弾まで持ち出された。抗争相手の家は焼き払われ、死者が出る事もあった。
インドネシアの支配と暴力が終わったばかりだというのに、それはあまりにも理解しがたい現象だった。
[写真は、すべて2001年撮影]
今回の、東ティモールで、暴動や放火の主力を担ったのは、これらマーシャルアーツ・グループだと推測できる。15万人の避難民が即座に生まれたのも、常日頃から地域や地区で暴力を働いていた惨忍なグループに急き立てられたからだ。
グループは、暴動中も抗争をする有様だったが、外国部隊や外国メディアにはいっさい手出しをしていない。外国部隊も、グループの武器を取上げるだけで、それ以上のことはしていない。キャッチ・アンド・リリースなのだ。これでは、どうぞ暴動を続けてくださいと言うようなものだ。まるで暗黙の合意でもあるかのようだ。しかし、特にそうした合意があるわけではないだろう。
グループを養成しコントロールしている勢力と、治安維持部隊を派遣した勢力とは、同一というだけだ。