世界のクオリティ・マガジンと思われているNewsweek誌。
日本版の最新号の表紙は『ニッポンを変えた男』。
「・・・日本人を本当の改革に目覚めさせた男。・・・歴史は小泉首相をそう評価するはずです。」
この段階で、そんなことが言い切れるのか。単なる媚びへつらいにしか思えないのだが。アメリカの意向を忠実に実行しようとしている小泉首相を、闇雲に持ち上げているだけの、米国系マガジンとしか言いようがない。クオリティとはあまりにも程遠い。
新聞をはじめ、権威を振りかざしてきたマスメディアはふたを開けてみれば、信念もなく、ただ権威にへつらうだけの存在であることを露呈した。それに比べ、大衆紙と言われるものの方が、よほど気概も根性もあるように思える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/78/f8a4e324dbb52b77f7885fad213ec789.jpg)
週間ポスト
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/90/8c56e5e2f128e62003522518c91ccfa0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/78/7017960b16ed923780e3b166eabe4515.jpg)
日本版の最新号の表紙は『ニッポンを変えた男』。
「・・・日本人を本当の改革に目覚めさせた男。・・・歴史は小泉首相をそう評価するはずです。」
この段階で、そんなことが言い切れるのか。単なる媚びへつらいにしか思えないのだが。アメリカの意向を忠実に実行しようとしている小泉首相を、闇雲に持ち上げているだけの、米国系マガジンとしか言いようがない。クオリティとはあまりにも程遠い。
新聞をはじめ、権威を振りかざしてきたマスメディアはふたを開けてみれば、信念もなく、ただ権威にへつらうだけの存在であることを露呈した。それに比べ、大衆紙と言われるものの方が、よほど気概も根性もあるように思える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/78/f8a4e324dbb52b77f7885fad213ec789.jpg)
週間ポスト
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/90/8c56e5e2f128e62003522518c91ccfa0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/78/7017960b16ed923780e3b166eabe4515.jpg)
(内容読まれました?)
海外の記者のコメントは、むしろ批判的なものも多く、対米偏重外交路線について警鐘を鳴らしたり、小泉改革の欺瞞を指摘したりするものがほとんど。カトリーナ復旧活動に関する、ブッシュ政権への批判や災害で苦しむ人々の状況レポートなども目立ちました。
Newsweek内の小泉関連の題目を抜き出してみました:
1. 官僚だけが得する小泉改革の欺瞞(真の勝者は庶民の生活向上に興味のない役人たちだ)
ピーター・タスカ
2. ニッポン政治の夜が明ける
衆議院選挙取材班
3. 小泉と小平 名宰相の条件
ジョージ・ウェアフリッツ、横田孝
4. 選挙とハリケーンが残した教訓を学べ
James Wagner
「編集部より」のコメントは、日本版編集長の竹田圭吾という方のようです。また、特集として組まれていた小泉改革、選挙での自民勝利を評価する記事(上記2.,3.)は、日本人の記者が絡んでいるようです。小泉サポーターを狙った売り上げアップ作戦なのでしょうか…
最近の新聞コラムなどを読んでも、米国含め海外のジャーナリストは結構冷静に核心を把握しているとようにも思います。特に外交問題を全く争点にしなかった今回の選挙に対して、????という感じなのでしょうね。
ニューズ・ウィークは、ネットで一週遅れを読みますので、本号はまだ読んでいません。
「編集部より」の記載は、確かに個人の署名入りですが、こうした記載はチェックなしで勝手に書けるものではありません。この「編集部より」は、ニューズウィーク日本語版編集部の基本姿勢を表していると考えています。
ニューズウィーク・ジャパン・オンラインにアクセルすると、まっさきにこの画面が出てくるのですから。編集部の一個人の見解を、フロントページに持ってくるようなことは普通はいたしません。
ピーター・タスカ氏は、常に日本を冷静に分析し提言をしている希少な書き手だと思います。それゆえに、いつも狭いスペースしか与えられていません。タスカ氏の起用は、記載内容にバランスを持たせるというよりは、編集部が逃げを打つための「アリバイ」と考えています。
”内容が偏っているのではないか”という批判がきたときのために、常に対極の意見を少し混ぜておきます。そうすると批判をかわせます。
僕は「編集部より」の中の表現にニューズウィークの本質を見ます。
情報化社会においては、メディアを取り込み、刻一刻、如何に相手の反応に対応出来るか否かが、勝敗を決めることになります。
しかし、問題は、このメディアとジャーナリストの質である。これにより政治は善くも悪くもなるのです。昨今、ジャーナリズム・ジャーナリストの堕落と退廃は、目を覆うものがあります。
事実の無視や意図的な歪曲から始まり、戦時中の「大本営発表」の時代を想起するまでもなく、
事実が知らされず、事実が歪曲されて、どうして正確な判断が下されようか。判断の前に、その材料として、先ず可能なかぎり正確な事実を提示するのが、ジャーナリズム・ジャーナリストの使命であろう。またそれが基本であります。だが、この初歩的原則すら守れれていない。ジャーナリストに限らず、一流大学の教授や学者の中にも平気で事実を捏造して憚らない。
これは真に恐るべきことと云わねばならない。
ジャーナリストの命とは何か?
それは、一にも二にも正義観である。
不正、邪悪、虚偽、偽善、歪曲、ニセモノを心から憎み、それらと仮借のない闘いを挑まなければならない。
そのためには。
・「立場を明確にする」客観的に書く。
・「徹底した事実主義」事実の無視、意図的歪曲 から堕落と退廃が生まれる。
・「論理の追求」悪の根源は侵略にあるのであ
って、戦争が悪いのではない。
・「ジャーナリストとしての生き方」自らが属し
ている世界について、常に厳しく凝視し、忌憚 のない批判を展開する姿勢を貫く。
事実に目を瞑って、為政者の偽の情報に惑わされて、過去の数々の誤った轍を踏んではならない。
みな、能力も志も高く、人物的にもりっぱな方がほとんどです。個人的には、口では言い表せないほどのお世話になった方も何人もおられます。
ただ、傍から見ている限りでは、やはり組織の中で働いている限り、ある一定の矛盾とジレンマを誰もが感じておられるように思います。通信社や新聞社、放送局を辞めてフリーになった知人などからも、そういったメディア内部の様子を聞く機会があります。
現在のメディアでは、個人の志や目的意識というものは、決して反映されることはないようです。どちらかというと、志の高い方ほど窓際へいく確立が高いとも聞きます。
メディアというのは、民間企業であり、どうしても政府からの規制や指導の手が伸びます。あるいは「記者クラブ」のような前時代的な制度で自らを守りかつ縛ってもいます。
やはり、国民がもっと厳しい眼でメディアを監視・批判していかなければならないと思います。メディア内部には、志の高い人がいくらでもいます。そうした方が出てこれるようにするには、国民がいまのメディアのあり方を厳しい眼で見るしかないと考えています。
みなまで云うな。判っています。
そう云う立場の人に、
「そんな処に、何故何時までも留まっている」のか?
と云う疑問の声が自然に出て来ます。
その答えは、
・元々使命感など度返ししてジャーナリストになった。
・今の商業紙は体制のもので、制約はは当たり前だ。
・独立してミニコミ紙を作っても影響力はない。
・フリーになっても、書く場は体制内のもので、サラリーマンより弱い。
・自分で意義を認めない場に、何時までも惰性的に身を置くつもりはないけれど、現時点では比較的やりやすい「場」に満足している。
そこまで云われたら、それ以上は云えません。
ミーイズムの追求は、個人の範疇です。
要は、そこまで厳しく見なければ、この国の再生は出来ないほど重症であると云うことでしょうか?
メディアについて、思うのですが、分かりやすさを追求しすぎてしまうと、省略しすぎて誤解させてしまいますよね。一方で、活字離れが進んだり、物事をじっくりと自分で考えようとしない人が増えているように思います。そういう背景の下で今回の選挙結果に表れたのかな、とも思います。各局競って変な分かりやすさを追求しているし。
ブログが急に広まってきています。
何かの記事にトラックバックされた他人の考えを、自分なりに考えた上で読むのは良いと思うのですが、「この記事から何を感じればよいのか」というガイドラインのようにしてしまうと、思考パターンがコントロールされてしまうな、と思います。
ニュースの終わりにさらっとコメントするタレントキャスターみたいな。
トラックバックのトラックバック…というように何重にもフィルターが掛かっていきますよね。
少なくとも事実は何なのか、それは本当に確かなのかというところは押さえておきたい、と感じます。
でも、まだまだこれからだと思います。このブログが我々市民にとってどのような道具となるのかというのは、これから我々が利用していく中で、作られていくものだと思います。
ブログの歴史はまだまだ浅いです。ブログユーザーが急増しているということは、熟成期はもっと先だと思います。ブログを生かすも殺すも、我々ひとりひとりにかかっていると思います。