報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

東ティモールと石油

2006年05月26日 19時55分16秒 | ■東ティモール暴動
東ティモールという、人口たった80万人ほどの小さな島は、なぜ24年間(1975年~99年)もインドネシアに武力占領されたのだろうか。そして2002年の主権回復(独立)後もなぜ安定することがないのだろうか。

それは、石油があるからだ。
それ以外の理由はない。

東ティモールは16世紀から1975年までポルトガルの植民地だった。しかし、1974年にポルトガル本国で革命が起こったのを機に、東ティモールでも独立運動が生まれた。

1975年、ポルトガル政府は「東ティモールの非植民地化」を発布。これで東ティモールは独立をするはずだった。しかし、同年、インドネシア軍が東ティモールに侵攻し、武力支配した。

国連安保理は、再三にわたってインドネシアを非難する決議を採択するが、オーストラリアをはじめ日米欧などによって常に否決されてきた。つまり、インドネシアの不当な武力支配が、国際社会から支持され続けたのだ。

なぜならインドネシアは国土も広く、2億人という人口を抱える大国であり、地政学的な要衝でもある。周辺諸国にとっては無視できない存在なのだ。特に日本にとっては、マラッカ海峡は中東の石油を運ぶ重要なルートである。米軍の艦船にとってもこの海域は重要である。アメリカは一貫して独裁者スハルトに軍事援助を与えてきた。オーストラリアは、隣国と友好的関係を保つことが安全保障上必要である。オーストラリアは「東ティモール併合」を正式に承認さえした(1979年)。

24年間、国際社会はインドネシアによる東ティモールでの占領や虐殺に目をつぶりつづけてきた。その結果、20万ともいわれる人々の命が奪われた。(この数字には飢饉による餓死者も含まれるが、飢饉もインドネシアの占領によって間接的に引き起こされた)

この非情というべき国際社会が、1999年になって、なぜか東ティモールの「独立」を支援することになった。国際社会は突然「人道」に目覚めたのだろうか。

そんなことはあり得ない。国際社会が「人道」を声高に叫ぶとき、必ず「非人道的行為」が行われる。旧ユーゴ爆撃、アフガニスタン爆撃、イラク爆撃の前にどれだけ「人道」が叫ばれたか。

国際社会は、なぜ突然「人道」を叫び、東ティモールの「独立」を支援したのか。
それはひとえに、ティモール海に石油と天然ガスがあるからだ。
国際社会が「人道」を叫ぶとき、たいていそこに石油がある。

99年11月東ティモール 破壊と虐殺後のディリ市内をパトロールするオーストラリア軍兵士




最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (BB)
2006-05-26 22:00:25
ピークオイルで石油の枯渇が目に見えてきているといわれている今、工業化が進んだ国ほど、残り少ない石油資源の争奪に目の色を変えてきそうですね。



しかしそんなことをしてみたところで、どうせ今の石油漬けの生活が、十数年程度先に引き伸ばせかどうかというところでしょう。むしろ、わずかに残った石油は後発国に残してあげるくらいのつもりで、先進国ほど少しでも早いライフスタイルの切り替えや代替エネルギーの研究に力を注げばいいと思うのですが。



血なまぐさい事態があちこちで起きた末の人類文明の衰退など、考えるのも嫌なことです。
返信する
BBさんへ (中司)
2006-05-28 00:42:31
100年後には、もう空を飛ぶ乗物はないかもしれません。

戦闘機が飛ばないのはいいことですが。



代替エネルギーの開発というのは、それほど困難なことではないようです。しかしあまりに早く開発されると、石油メジャーは石油からの儲けを失うので、まだまだ開発されたくないようです。



代替エネルギーが開発されても、やはり、空を飛ぶ乗物はもうないように思います。



人類の歴史があとどれくらい続くのかは、わかりませんが、少なくとも、石油と人類との付き合いは、あと100年くらいで終わるということですね。



返信する