報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

東ティモール:世界が見逃したクーデター

2006年07月18日 18時26分17秒 | ■東ティモール暴動
東ティモールでいままさに進行している事態について、真摯に伝えようとする報告が、わずかではあるが存在している。

僕が捉え切れていないものもあるに違いない。すべてを網羅できればとも思うが、それだけにエネルギーを傾注するわけにもいかない。

これまでに紹介してきた海外の記述だけでも、すでに多くの示唆を与えてくれている。

僕はここで、何かを証明したいとは思っていない。連日、東ティモールのことしか書いていないが、東ティモールのことだけに注目して欲しいわけではない。

世界の構造の縮図がここで展開されている。東ティモール独自の問題ではない。ここは、イラクであり、アフガニスタンであり、パレスチナであり、アフリカであり、ラテン・アメリカなのだ。


東ティモール:世界が見逃したクーデター
ANTIWAR.COM June 22, 2006
by John Pilger
1994年製作の私のフィルム「Death of Nation」には、北オーストラリアとティモール島の間を飛行する機内のシーンがある。
パーティが進行中だ。;二人のスーツの男がシャンペンで乾杯をしている。
「これは、歴史上、類を見ない瞬間だ」
と、ガレス・エバンス豪外務大臣(当時)は感情を露にした。
「これはまことに比類のない歴史的出来事だ」
エバンスと彼のインドネシアの相棒アリ・アタラスは、ティモール・ギャップ条約(Timor Gap Treaty)の調印を祝っていた。これによって、オーストラリアは、ティモール沖の大陸棚に眠る石油とガスの開発に着手できる。エバンスの手柄である究極の戦利品は”無尽蔵の”ドルだ。

オーストラリアの共謀について、海洋法の権威ロジャー・クラーク教授はこう書いている。
「それは、泥棒から手に入れた盗品のようなものだ。彼らは歴史的にも、法的にも、道義的にも、東ティモールにその資源を要求する権利はない、それはまぎれもない真実だ」
小さな国が彼らの支配下に置かれ、そして、20世紀でもっとも暴力的な占領を受けたのだ。
人為的な飢餓と殺戮によって、人口の四分の一である18万人もの人々が亡くなった。これは比率にすれば、ポルポト政権下のカンボジアの大虐殺よりも大きいのだ。国連真実委員会は、1000以上の公式文書を調査し、西欧政府は虐殺の責任を負っていると、一月に報告した。
オーストラリアが訓練したインドネシアのゲシュタポというべきコパスス、そして政治家、それから独裁者スハルト以前には遊びほうけていた主要なジャーナリストが、その一部を成す。これらはCIAによって大量殺戮者と記述されている。

6年前、世論はジョン・ハワード政権が国連平和維持軍を主導するよう求めた。それ以後、オーストラリアは有益で気前のよい、東ティモールの隣人として描かれたがっている。
東ティモールはいま、独立国家となった。それは住民の勇気とフレティリンの粘り強い抵抗によって導かれた解放運動によって成し遂げられた。フレティリンは2001年の最初の民主的選挙で大勝した。そして昨年行われた地方選挙でも、投票の80%を獲得した。
フレティリンは、世界銀行による民営化と干渉に抵抗する、信念を持った経済ナショナリストのマリ・アルカティリ首相に導かれた。
アルカティリは、ロマンカトリックが体勢を占める国での世俗的なイスラム教徒だ。しかし彼は、筋金入りの反帝国主義者だ。ティモール・ギャップの石油とガスを略奪するために、不当な分配を高圧的に要求するハワード政権に立ち向かってきた。

4月28日、東ティモール軍のある勢力は、表面上は、不当な扱いに対する暴動を起こした。ある目撃者─オーストラリアのラジオリポーター、マリアン・ケアディは、そこにアメリカとオーストラリアの将校たちが含まれていたことを暴露した。
5月7日、アルカティリはこの暴動はクーデターの企てであると表現した。そして、”外国人とアウトサイダー”が国を分裂させようとしていると言った。
リークされたオーストラリア国防軍の文書によって、東ティモールにおけるオーストラリアの”第一の目的”は、オーストラリア軍が”東ティモールの意志決定に対する影響力”を行使するための”通路を捜すこと”だと暴露されている。
だが、ブッシュ崇拝の”ネオコン”はそれをうまく遂行することができなかった。

しかし、5月31日、その”影響力”の機会がやってきた。つまり、アルカティリのナショナリズムに反対する東ティモールの大統領シャナナ・グスマンと外務大臣ジョゼ・ラモス・ホルタの”招待状”を、ハワード政権が受け入れ、部隊を首都ディリに送った時だ。
オーストラリアの部隊は、”救援するわれらの少年たち”というオーストラリアのプレスの報道に伴われてやってきた。同時に、アルカティリを”腐敗した独裁者”として中傷するためのキャンペーンも一緒にやってきた。
ルーパート・マードックの「オーストラリアン紙」の前編集長ポール・ケリーは書いている:「これは非常に政治的な干渉である・・・オーストラリアは安全保障と政治的成果を形成する地域権力、または、政治的覇権として作戦している」と。
翻訳すると:オーストラリアは、ワシントンのよき指導者のように、他国の政府を転覆する神権を持っている、ということだ。
前首相ポール・キーティングの演説立案者であるドン・ワトソン(最も悪名高いスハルトの擁護者)は信じられないことを書いている。:「誤った国家での生活よりも、残忍な占領下での暮らしの方が、はるかによいだろう」と。

2000名の部隊とともに到着した、あるオーストラリア軍准将は、ヘリコプターで反乱軍のリーダー、アルフレド・レイナドの本営へ直行した。しかしそれは、民主的に選出された首相を転覆しようとした罪によってレイナドを捕らえるためではなかった。彼と友好的なあいさつをするためだった。他の反乱兵と同様に、レイナドもキャンベラで訓練されたのだ。

ジョン・ハワードは、南太平洋における、ジョージ・W・ブッシュの”副保安官”という彼の称号を喜んでいると言われている。彼は、最近、ソロモン諸島の反乱に部隊を送った。パプア・ニューギニアやギネア、その他の小さな島国で、帝国への機会が彼に手招きをしている。
かの保安官殿は、それを承認することだろう。
" East Timor: The Coup the World Missed "
ANTIWAR.COM June 22, 2006
by John Pilger
http://www.antiwar.com/orig/pilger.php




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3 コメント

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Unknown (Yegy)
2006-07-19 00:51:37
「ある目撃者─オーストラリアのラジオリポーター、マリアン・ケアディは、そこにアメリカとオーストラリアの将校たちが含まれていたことを暴露した」



中司さんの主張の決定的な証拠になりそうですね。

そのような証拠は見つからないと思っていましたが。
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「目撃」情報について (ラミ犬)
2006-07-19 11:51:51
「そこにアメリカとオーストラリアの将校たちが含まれていた」の部分が気になるので典拠を探してみました。



http://www.scoop.co.nz/stories/HL0606/S00343.htm



Two Alternate Views Of East Timor\'s Crisis

By Maryann Keady & John Pilger



《I arrived in Dili just as the first riots broke out on April 28 this year- and as an eyewitness at the front of the unrest, the very young soldiers seemed to have outside help - believed to be local politicians and \'outsiders\'.》



この文章を読む限り、はっきりした証拠として書かれているわけではないように思えます。「反乱兵には国内の政治家と外部の助けがあるように思える」となっています。



こういうことは瑣末かも知れませんが、本当に動かぬ証拠が発表されることを願っています。



今朝がた、下のような記事を見つけて、あまりにも露骨だと思いました。この記事の後半は「首相、東ティモール訪問」でした。



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060719-00000001-nna-int

《ハワード首相は17日 [...] ウランや石油、石炭、天然ガスなどの輸出や新技術の開発によって、「エネルギー分野の超大国になる」とのビジョンを示した》



ぼくは中司さんのブログでニュース記事の読み方とでもいうべきものを教えていただいたと思っています。そして、「世界の構造の縮図がここで展開されている。東ティモール独自の問題ではない」というご意見にうなづきます。



個別的・具体的に調べていくことによってしか問題は明らかにならないのですが、その目的は東ティモールを「勉強」することではなくて、世界の見かたを身に付ける、ことだと考えています。
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動かぬ証拠は永遠に出ず (中司)
2006-07-19 17:11:30
今回の、東ティモールの出来事に関して、決定的な「証拠」は永遠に出ることは、まずありません。



それを承知で僕は書き続けています。それは、911の決定的証拠を追いかけるのと変わりがないです。



僕も、「そこにアメリカとオーストラリアの将校たちが含まれていた」の記述には、一瞬目を疑ったのですが、経験的に本当だろうか、と思っていました。



名前で検索するればすぐに出典は見つかるので、近いうちにと思っていたのですが、ラミ犬さんのおかげで、手間が省けました。ありがとうございます。やはり、という感じです。



だからと言って、ジャン・ピルジャー氏の表現が不適切であるということではありません。僕には彼の気持ちが非常に良くわかります。





100%確実でないからと言って、「~のように思える」とか「~のように見える」、「~のようだ」、「~かもしれない」という表現は時として、単なる自己防衛に使われます。



もし非難されたとき、「いや、私は”断定”などしていない」と逃げるつもりでそのような表現をするとしたら、そんなものは書く意味がないです。



何でもかんでも、断定すればいいというものではありません。しかし、勇気を持って断定することが必要なときもあります。



ジャン・ピルジャー氏が出典よりも強い断定表現を使ったのは、それは歴然とした事実以外の何ものでもないのだ、という彼の意志表示なのです。



また、文章というのは全体でひとつのことを伝えるものです。断定するのが妥当ではない箇所があったとしても、彼が伝えようとしているものが色褪せることはありません。



われわれのような意見は、極少数です。しかし、われわれにとっては、すべてが大根役者の猿芝居以外の何ものでもないのです。



決定的な証拠など今後も出てくることはありません。したがって、僕個人は、そんなものを探そうとは思っていません。



僕にできるのは、点と点を繋げていくだけです。

それが単なる点と線にしか見えない人もいれば、

カウボーイに見える人もいる、ということです。



そして、こうした作業は誰にでもできることなのです。



僕の提示するものが、何かの参考になり、刺激になっていただけたとしたら、これ以上の喜びはありません。

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