報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

─フリーランスになるには─

2004年12月15日 18時37分01秒 | 報道写真家から
 フリーランスなら、誰でも初めがあるものだ。
 新聞社や通信社、雑誌社を経てフリーランスになる人たちもいるが、そうでない人は、どこを境にフリーランスのカメラマンやジャーナリスト、ライターになるのだろうか。

 べつに資格審査があるわけでもないし、試験があるわけでもない。もちろん免許もない。
 いったいいつから「フリーのカメラマンです」と名乗ればいいのだろうか。
 取材をこなしたときからだろうか。
 しかし、取材をするためには、「フリーのカメラマンです」と名乗らなければならないときもある。特にインタビューをするには、身分を示さなければならない。
 これは、困った。まだひとつも仕事をこなしていないのに、取材をするためには、すでにフリーランスのカメラマンでなければならない。
 卵が先なのか、鶏が先なのか。

 資格審査も、試験も、免許もない以上、客観的な判断基準はどこにもない。
 つまり、自分で決めればいいのだ。
 あなたが「今日からフリーランスのカメラマンだ」と思った瞬間から、あなたはそうなのである。その瞬間を自覚しなかった人もいるだろうし、僕のようにはっきり意識した人もいるだろう。自分の内に、湧き上がるものがあれば、意識しようがしまいが、自然に道を進むものなのだ。

 自分の内にあるものを自覚すれば、あとは、あなたが取材したい対象へまっすぐ進めばよい。ただし、それにともなう、様々な困難や障壁は、自分の知力をフルに使って解決し、自分で乗り越えなくてはならない。誰も教えてはくれない。親切な人もいるかもしれないが、他人や運に頼ってはいけない。その程度では、この氷河期の中で氷付けになってしまう。
 あなたの中に、こころの底から伝えたいというものがあれば、あなたの前に立ちはだかる困難など、たかが知れたものだ。

 世界の大手メディアは、世界で起こっている真実を伝えようとはしていない。われわれが普段接している報道は、事実ではあるが、すべてが真実というわけではない。いまのメディアの様は、不偏不党や公正中立とは程遠い。実質的に、権力構造の一部を形成している。メディアは営利団体であり、国家の法的規制を受ける対象である。いかようにも国家がコントロールできる。メディアを通して、われわれが接しているのは、事実の断片にすぎない。それは、真実とは似ても似つかないものに加工されている。

 911テロの後、CNNの記者は、「自国が攻撃されているときに、客観的な報道などできない」とさえ言い切った。そうした報道の前に、アメリカ全土が、報復は当たり前だという論調一色になった。反対の声は完全に圧殺された。メディアとは、いざとなればこの程度のものなのだ。いまイラクで、どれだけ多くの命が奪われているか。メディアが真実を伝えることはない。

 われわれの眼に触れない、多くの真実がある。営利団体のメディアに報道を任せている限り、真実はわれわれから遠いところに隔離されてしまう。
 より多くの人に、この氷河期の中に飛び込んできて欲しいと思っている。ただし、とても寒い。だからといって、身を寄せ合っているわけにはいかない。動き回っていれば、多少は体の内から発熱するものだ。

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