報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

【シティ・オブ・ゴッド】

2004年12月14日 17時41分50秒 | 軽い読み物
──Rio de Janeiro──

 リオ・デ・ジャネイロとは「一月の川」という意味だ。
 街の名前になるくらいだから、どこかにりっぱな川が流れているに違いない。しかし、リオをくまなくマウンテンバイクで走り回ったつもりだったが、記憶をたぐってもどこにも川が見当たらない。行動範囲には川はなかったのだろう。
 ただ、くまなくと言ってもリオでは制限がある。へたに行動範囲を広げると、ファベーラに侵入してしまう。
 ファベーラとは、スラム街の総称だ。
 リオには、大小約600ものファベーラがあるとブラジルの雑誌に書いてあった。

──ファベーラ──

 華やかなリオの景観の中で、ファベーラだけはモノトーンの光をたたえている。しかし、そのモノトーンも意識の中で少しずつ退色し、いつしか透明になり存在すら忘れてしまう。

 ファベーラは、20~30戸の小さなものもあれば、何千戸という巨大なものもある。ブラジルの工業化とともに都市に集中した人口がファベーラを形成した。山の斜面を中心に、無秩序に伸び、長い時間をかけ、少しずつ増殖していった。ファベーラは、ひしめき合いぎっしり詰まっている。
 家屋の作りはブロックを積んだだけのようだが、案外建てつけはしっかりしているように見える。電線や水道は勝手に引いてくるようだ。勝手に引いてこられた電線やパイプから、また誰かが勝手に継ぎ足して、我が家に引く。下水はどうなっているのか下界から見た限りではわからない。衛生環境は悪いに違いない。
 どこからどこまでがひとつの家屋なのかさえ見分けられない。ひとつに見えるものが、三つの家なのかもしれないし、あるいはファベーラ全体がひとつの家なのかも知れない。入って見なければ誰にもわからない。

──ガキ軍団──

 僕が住んでいたのは、ボタフォゴという静かなエリアだった。となりのコパカバーナのような華やかさや賑わいはないが、観光名所パゥン・ジ・アスーカゥ(砂糖パン)の一枚岩の山が美しく見える場所だった。ブラブラ散歩をするには丁度いい地区だ。

 散歩をしていると、よく子供に声をかけられた。子供に限らずブラジル人は、気軽に人に声をかける。なぜか大人との会話はほとんど記憶にない。われわれ大人は想像力が貧困なのだろう。

 あるとき、ボタフォゴの街を散歩していると、黒人の少年が後ろから話しかけてきた。ほかに5人ほどいた。歩きながら話をしていると、
「前を歩いてるオバハンのバッグを盗ってみせるぜ」
 と唐突に少年が言った。
 ニコニコしているので冗談だと思ったが、少年は僕を置き去りにして、女性に近づいて行った。少年はいくつくらいだろうか。女性が小脇に抱えたバッグの位置より、少年の背丈は低かった。小脇のバッグをちょっとながめてから、後ろからあっさり抜き取った。そして仲間と笑いながらバッグをパスした。おろおろしながらも、バッグを取り返そうとする女性をからかいながら、最後にバッグを高く放り投げて、道路の反対側に走っていった。
 このときは実際に盗るのが目的ではなく、外国人の僕に、あざやかな手際で窃盗ができるところを見せたかったのだろう。腕前と度胸を示す単なるゲームだった。僕の方を見て、飛び跳ねながら駈けていった。
 このくらいのことは、いつでもどこでも簡単にできるということなのだろう。彼らが食いっぱぐれることはないのかもしれない。

──ファベーラ──

 リオのファベーラは、およそ23万世帯、約100万人。リオの人口の五分の一だ。およそ建物が建てられそうな斜面は、すべて埋め尽くされている。すでに超過密状態だ。いまは、リオ郊外で増殖しているようだ。
 山のふもとの市街地もところによってはファベーラ化している。増殖して、せまりくるファベーラの圧力に、一般住居地域の住人が押し出された。借り手がいなくなり空家になったままのアパートや住居に、ファベーラの住人が浸透していった。浸透された街は、独特の荒廃した雰囲気を持つ。しかし、明確な境界線があるわけでもなく、へたをすると迷い込むことになる。
 マフィアやギャングの大規模な抗争や警察の掃討作戦が展開されると、警察軍が道路を封鎖するので、そこがファベーラとの境界だと分かる。

 ファベーラの外観はどこも同じモノトーンだが、中身はひとくくりには語れない。一般的には、犯罪者の巣窟と思われている。
 軍隊並みの武器とメンバーを持つ麻薬マフィアもあり、そうした犯罪組織に制圧されたファベーラは、警察権もまったく及ばない。最大のマフィアは、麻薬取引で一日に百万ドルも稼ぐという記述もあるが、真偽のほどは定かではない。
 逆に、NGO団体と協力して、生活環境や教育環境の改善に取り組む、犯罪とは無縁のファベーラもある。リオ市民には、こうした取り組みはほとんど知られていない。
 600もあるファベーラを、細かく色分けすることは不可能だ。リオ市民にとって、ファベーラはあくまでモノトーンの世界なのだ。

──ガキ軍団──

 僕の住んでいたボタフォゴ・ビーチは、美しい景観とは裏腹に、水の汚染はひどかった。泳ぐときはとなりのコパカバーナかイパネマへ行った。リオの波は非常に荒い。侮って溺れかけたことがある。

 そのコパの荒波で、体ひとつで波に乗っている子供がいた。波に乗るといっても下半身は水の中だ。あまりにも楽しそうなので、子供のところまで泳いでいって、波の乗り方を教えてもらった。
 大きな波が来るのを待ち、波が大きくもり上がりはじめると、一気に泳ぎだす。そして急降下するスーパーマンのような姿勢をとる。絶壁から滑り落ちていくようだ。水中翼船の原理で、上半身が波から少し浮く。不思議な感覚だ。あとはスーパーマンも追いつけない。波打ち際まで体が運ばれると、泡の中で失速する。こりゃ楽しいぜ。これを知っていれば溺れなくてすんだのに。二人でえんえんとボディサーフィン?を繰り返した。

「おっさん、どこに住んでる」
「ボタフォゴ。お前は?」
「家はない」
「パイ、マイ(とうちゃん、かあちゃん)は?」
「いない」
「どこで寝てる?」
「ナ・フア(路上で)」
「一人でか?」
「仲間と」
 ひとしきり波乗りを楽しんだあとの会話としては、少し重かった。

──ファベーラ──

 ファベーラは過密状態で空きがないのか、海岸の護岸ブロックにビニールと板でカプセルホテルのようなスペースを作っている人たちもいる。あるいはファベーラは一元さんはお断りなのかもしれない。
 護岸ブロックに住んでいる人たちは、ムール貝を採って、レストランに売っていた。ムール貝は護岸ブロックに無尽蔵にはりついていた。
 僕も釣りのついでに、よくムール貝を採ったが、いつしかカプセルホテルの住人が、ボイルに使う石油缶を貸してくれるようになった。火を炊き石油缶で多量のムール貝を茹でて殻を剥いた。カプセルホテルの住人は、気さくな人たちだった。

 リオは海に近いほど高級アパート地帯で(護岸ブロックは除く)、逆に高度が増すほど、あるいは山の奥になるほど貧困の度合いも高くなる。
 ところによっては、山際の高層アパートの目の前の山にファベーラが広がっていたりする。アパートを建てたときは、ファベーラはなかったのだろう。朝の挨拶ができるくらい近い。
 そうしたアパートに、ファベーラから弾丸が飛び込んでくることもある。そういうニュースを一度だけ見た。三発ほど部屋に撃ち込まれていた。
 リオの日本人学校は、もっと怖い。学校の三方をファベーラに囲まれているので、毎年のように弾丸が飛来する。「昨年度は、校舎内に1発、理科準備室のベランダ側木製ドアに1発、職員用駐車場及び第2グランドに各1発着弾。授業中断による非難行動は93回」そんな具合だ。
 たいていは麻薬マフィアの抗争や、警察との銃撃戦の流れ弾だが、酔っ払いやジャンキーが面白半分で撃たないとも限らない。あるいは、誰かの浮気が原因かもしれない。

 僕が住んでいたアパートでは、四件どなりの部屋の男が、自分の部屋のドアに銃弾を撃ち込んだことがあった。
 予算のない三文アクション映画の銃声とそっくりだった。
 パァ~ン。
”まさか、いまのは銃声じゃないよね”
 しかし、あとで見ると、そのドアには新しいのぞき穴がしっかり開いていた。ちょっと変な位置だった。体が柔らかいのだろう。アパートの住人はこのくらいでは誰も驚かなかった。警察も来なかった。「奥さんの浮気だってさあ」「ふ~ん」それで終わり。本人は命がけなのにね。
 リオのアパートは、外からも内からも銃弾が飛んでくる。

──ガキ軍団──

 リオで観光客が注意すべき犯罪は、路線バス強盗だ。
 これはもっぱら「ガキ軍団」の仕事だ。
 年齢は10歳以下、人数は5~10人くらい。
 大人は路線バスはあまり狙わないようだ。小銭しか稼げないうえに、大勢に顔を見られるからだろう。ガキ軍団はそんなことは気にしない。子供はすぐ成長して顔が変わる。
 ガキ軍団は、始発の路線バスを狙う。始発なら乗客がそこそこ乗り込んだところを見計らって襲撃できる。ちびっ子には客が多すぎても困るのだ。彼らは、バスの前後の出入り口から、刃物を手に乗り込み、乗客をはさみうちにする。そして順番に金品を巻き上げ、案外余裕で逃げ去る。彼らが捕まったという話は聞いたことがない。警察も小銭などかまっていられない。他の凶悪犯罪があまりにも多すぎる。

 ちびっ子ギャング団はストリート・チルドレンだが、ストリート・チルドレンが、みな犯罪に関わるわけではない。
 おとなしい子供たちは、ゴミあさりと物乞いだけが生きる術だ。僕のアパートの近くにいた少年は、普段は明るくて屈託なかったが、時には人生の終焉がせまっているかのように憔悴しきっていた。近くの公園にたむろしているグループは、シンナーを吸いセトモノのような眼をしていた。彼らは10歳にもならないうちに未来のほとんどを剥ぎ取らている。

 観光都市リオの景観を損ねるとして、彼らを「掃除」する専門集団も存在する。たいていは警察官の秘密グループだ。商店主などから報酬を得て掃除を請け負うというが、実態が解明されたことはない。暗殺者は、路上にかたまって寝ている少年少女を、官給の拳銃で撃ち殺していく。
 リオに約2500といわれるストリート・チルドレンは、未来どころか、明日目覚めるかどうかもわからない。
 
 ストリート・チルドレンの殺害で、終身刑を受けた元警官は、
「奴らはゴミだ。もし刑務所を出ることがあったら、またやってやるさ」
 と平然としていた。
 闇の警官たちは、金のためだけに子供を撃ち殺しているのではないということだ。彼らの凄まじい憎悪はいったいどこからくるのだろうか。

──ファベーラ──

 禁断のファベーラに、一度だけ誤って踏み込んだことがある。
 マウンテンバイクで走るのも好きだったが、見知らぬ通りをあてもなく歩くのも好きだった。
 ある日、未知の通りを曲がると、上り坂になっていた。そのまま坂を上ってしまった。坂を上るまでは普通の街並みだったのだ。
”ここファベーラじゃないよねぇ~”
 と思いながら坂を上っていたら、黒人のお兄ちゃんたちが、こっちを見て、笑いながら歌った。
「クイダ~ド、クイダァ~ドォー♪」
 クイダードとは、「気をつけろ」という意味しかない。
”げっ、やっぱファベーラじゃん”
 もしここで慌てて引き返したら、迷い込んだマヌケなチキン野郎として羽をむしられるかも知れない。にっこり笑ってそのまま坂を上っていった。こういうときは、”ここはボクの街”という顔をして歩くしかない。しばらく上ると道はすぐ下りに転じ、あっけなく下界に出た。
”あ~、恐かったあ”
 あの道が、ずっと上りだったら、僕はどうしただろうか・・・
 ほんの十数分のファベーラ体験だった。

 ファベーラに住んでいる人たちが、すべて恐い人たちというわけではない。ファベーラをコントロールしているのが、ちょっと恐い人たちというだけだ。ファベーラの住人は、もともと地方の農村や漁村から都市に出てきた人たちだ。旱魃から逃れてきた人もいれば、現金収入を求めてきた人もいる。あるいは都会に夢を求めてやってくる若者も多い。

 下界で屋台を営んでいる人の多くはファベーラの住人だが、みんな普通の人たちだ。親切でさえある。
 リオも屋台が多い。おすすめはホットドッグだ。ブラジルのホットドッグはフランスパンを使う。トマトソースで炒めた野菜がたっぷり、それに長いソーセージをのせる。うまい。これ一本で昼食がわりになる。そのせいでニューヨークのホットドッグがやたら貧相に見えた。というより実際やたら貧相だ。スカスカの手の平サイズのパンに、短いソーセージしか挟まっていない。なんじゃこれ。本場のホットドッグが世界一みすぼらしい。

──ガキ軍団と旅行者──

 友人のとある日本人旅行者が、リオのガキ軍団バスジャックに遭っている。
 ある日彼は、コパカバーナへ泳ぎに行こうと、出発待ちのバスに乗り込んだ。リオの波は強烈で泳ぎには向かないので、彼はビーチでビールを飲みながら、ビキニ・デンタル(糸楊子のにように細いビキニ)のおネーチャンを眺めるつもりだった(いえ、うそです)。発車を待っているところへ、前後のドアから包丁を持ったちびっ子軍団が乗り込んできた。そして一人一人順番に金を盗っていった。
 彼の話を聞きながら、
「カネは靴ん中に入れときゃ、大丈夫だろ」と言うと、
「いや、ガキんちょは、乗客の靴の中も調べたし、観光客がマネーベルトをしていることも知っていた」
「そうか・・・」
 僕もけっこう侮っていた。そのくらいのことは、彼らも学んでいて当然だ。
 ガキ軍団は彼の海パンの中も調べ、発見してしまった。
「ガキんちょが見つけたのは、オイラのポコチンだけだった」
 ガキもとんだ災難である。

──ガキ軍団──

「ちょっと、おっさん、こっちこっち」
 ビーチを散歩中、二人の少年が近づいてきた。
 僕はビーチのゴミ箱のところに連れていかれた。リオはビーチのど真ん中にゴミ箱が点在している。おしゃれな公衆電話もある。
「おっさん、よく見ろよ」
 ひとりが、ゴミ箱の上に立ったかと思うと、反動をつけて背中から空中に飛んだ。夕暮れの光を反射しながら、ちっちゃい体が後ろ向きに回転し、砂浜に着地した。あざやかなバク宙だった。
「すごいじゃねぇか」
「見たか、おっさん」
 二人はカタカタ笑いながら、長い影を従えて砂浜を走っていった。
 小さな背中を見送りながら、
”家はあんのかなあ”とつい考えてしまう。

──City of God──

 「City of God」はブラジル映画のタイトルだ。リオには、そういう名のファベーラがあるらしい。ファベーラにはそれぞれ名前が付いている。「City of God」が実在するファベーラかどうかはわからない。でも、ファベーラに付けそうな名前ではある。
 「City of God」は、ミニシアターで公開されたらしい。
 僕はレンタルDVDで観たのだが、パソコンの小さな画面に釘付けになってしまった。モノトーンのファベーラの中には、人間の満艦飾の生がある。ひさしぶりにリオでのあれやこれやを思い出してしまった。
 

最新の画像もっと見る