報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

PTSD

2005年03月15日 16時15分48秒 | 報道写真家から
 虐殺と焦土作戦が開始される寸前の東ティモールから、僕は逃げた。
 すでに民間機は恐れをなして運行を中止していた。日本の新聞社がチャーター便を呼び、日本のプレスはほぼ全員それに乗った。僕も便乗した。
 前日BBCがチャーター便を呼び、一足先に離脱していた。BBCが真っ先に逃げたことで、すべてのプレスが浮き足立っていた。
 日本の新聞社のチャーター機は、午後4時離陸の予定だったが、機長は午後2時ごろ、あと30分で離陸すると告げた。それ以上とどまるのは危険すぎると。離陸の10分前にNHKが到着したが、山のような機材の半分を捨てていくよう機長から命じられた。あわてて機材を選り分ける怒号が搭乗室に響いた。

 機は離陸した。空の上はなにごともない静かな世界だったが、自分の足のしたでは、これから多くの血が流される。ジャカルタに着いたものの、助かったという安堵感など微塵もなく、嫌悪感の方がすさまじかった。結局、見捨てて逃げてきたのだ。

 ジャカルタで数日を過ごしたが、その間に襲撃事件のフラッシュバックが起こった。フラッシュというよりムービーバックと言ったほうが適切かもしれない。あれほど完璧な記憶は通常では起こりえない。襲撃の映像や銃撃の音響だけでなく、煙の臭気、ベッドの下の床の感触、そして刻一刻と増していく恐怖までもが、一秒単位で記憶されていた。襲撃の記憶が、一時間分まるまるフラッシュバックされる。その気になれば、銃声の数まで正確に数えることができたかもしれない。
 これは「記憶」と言うよりも「体験」そのものだった。襲撃をもう一度実際に体験する。省略はいっさいない。この再体験がはじまると、途中で止めることはできなかった。終わるまでじっと待つしかなかった。燃える家の中から脱出して、ようやく終わる。これが一日に、三回か四回は起こっていた。
 最初は、ひどく驚いた。しかし、このフラッシュバックによる再体験は、疎ましい忌避すべき現象とは思わなかった。

 これは、PTSD( Post-traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)にいたる典型的な現象だった。
『(PTSDとは)死に直面するかまたは重傷を負うような出来事や、自分や他人の身体の存在にかかわる危険な出来事によって引き起こされる。
 思い出したくないのにそのトラウマを何回も思い出してしまったり、それどころか白昼夢のようにまた同じ体験をしているように感じたりする。逆にトラウマの一部をどうしても思い出せないということもある。不眠やイライラもよく見られる。』

 同じ場所で同じ体験をしても、PTSDになる人もいれば、ならない人もいる。それは、勇気や根性、体力、生育環境、職業などとは一切関係がない。ならなかったからといって、強い人間の証明にはならない。あまり知られていないが、大事故や大災害の救助にたずさわった軍人、警官、レスキュー、医師、看護士がPTSDになることさえある。

 僕は、PTSDにはならなかった。本人がフラッシュバックなどの現象を「苦痛」と感じなければ何の問題もない。「苦痛」を感じてはじめてこころに障害を負う。厳密には、恐怖を何度も再体験して、苦痛でなかったとは言えない。しかし、苦痛でかまわなかった。

 なぜなら、人が人を殺すことのその恐怖をこそ伝えたかったからだ。それがどれだけ凄まじい恐怖であるかを。
 日本に帰るまで、その恐怖を自分の中に維持しておきたかった。フラッシュバックによる再体験は、恐怖の保存だった。毎日、何度もやってくるフラッシュバックの度に、自分の中の恐怖が劣化していないことを確認して、安心さえした。
 普通は、こうした現象から逃げようとするのだが、逃げればかえって追いかけてくるのだと思う。僕はかなり特殊な受け入れ方をしたのだろう。

 フラッシュバックは、三ヶ月ほど続いただろうか。一日に数回だったものが、一日に一回になり、数日に一回になり、一週間に一回になり・・・間隔がだんだん広がっていき、やがてなくなった。ただ意識的に思い出そうと思えば、簡単に再現することができた。自動から手動になっただけだ。しかし、それも時とともに、徐々に回らなくなっていった。いまでは、ごく断片的な静止画しか残っていない。音も臭いも恐怖もない。

 日本に帰って、すぐに一本だけ短いルポを書いた。はたして、その中にあの恐怖を閉じ込めることができたのかどうかはわからない。いつかはまた書かなければならないと思っている。しかし、5年経っても、いまだにそれ以上のものを書く自信がない。


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2 コメント

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Unknown (ももちぃ)
2006-04-10 16:58:57
少し時間があったので久しぶりに中司さんの過去ブログを徘徊してました。



人間の記憶というものをうまく操作することがこの世界を操作させていくのかも・・。

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ももちぃさんへ (中司)
2006-04-10 17:50:41
古いものもお読みいただいてありがとうございます。



記憶の操作は難しいかもしれませんが、認識の操作はメディアを通じて容易に行うことができると思います。そして、実際毎日行われていると考えています。情報には慎重に接するようにしています。

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