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ライアー(竪琴)奏者の三野友子です。ライア-や日常生活のこと、あれこれを気ままに綴ってます♪

ライアーはどんなふうに日本に広まっていったのか その2

2020年04月28日 | ライア-日記
ライアーがどんなふうに日本に広まっていったか・・・の続きです。

私が弾いている「ライアー」という楽器は、ルドルフ・シュタイナーの「人智学」に関わる人たちの中で製作され、そして発展していったので、必然的に文章の中に「シュタイナー」「人智学」「アントロポゾフィー(人智学の意味)」という言葉が多発することになります。

これらの言葉に普段あまりなじみのない方は「???ちょっとあやしい?」
という印象を持たれるかもしれません。

私自身は、特にシュタイナーの「人智学」に傾倒しているわけではありません。
見えない世界のことを取り扱っているので、非常にデリケートで、深淵で理解するのに困難を極めます。ただ、「ライアー」がこのシュタイナーの「人智学」から誕生したという経緯がある以上、ライアーという楽器のルーツを調べ、理解していく上で、「人智学」の基本的なことを理解することは大いに助けになると、この6,7年くらい前から思い始めて少しずつ勉強を始めています。

ライアーが日本にやってきたのは、1980年、1981年のあたりです。

高橋巌さん、高橋弘子さんが「シュタイナー教育」の講座を開催したり、ドイツ人講師を招いての夏の講座を開催していました。

1981年夏にドイツの治療教育家、音楽家のフィント・アイゼン氏が来日した際になんと、
アイゼン氏は80台ものザーレムライアーを日本に持ち込み、音楽教育実習を行ったとのことです。

すごくないですか? 80台ものライアーが一気に上陸したなんて!
その80台のライアーはそのまま日本に居残り、数年かけて売ったとか・・・(前出の島崎篤子さんの論文より)
その後、1982年、1983年とライアーを使ってベルリンで音楽療法を行っている、アルバート・ベーゼさんが日本に招かれています。

1980年代前半にライアーが日本に出現したわけです!

その頃はライアーの先生もいないわけですから、
どうやってライアーを弾いていらしたのか・・・? 

その頃からライアーに関わっている方々に直接伺ったわけではないので、これは、ちゃんと直接お伺いする必要がありそうですね♪
 
まだまだ話は続きます・・・
コメント
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