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司法書士 岡住貞宏の雑記帳

三枚橋病院の思い出2

2014-07-10 15:17:14 | できごと
開かれている病棟―三枚橋病院でのこころみ
クリエーター情報なし
星和書店


三枚橋病院の思い出2

私は太田市にある鳥山保育園に通っていた。そして保育園が終わると,おふくろか,あるいは小川さんが迎えに来て,同じ保育園の兄貴と一緒に三枚橋病院に帰るのが日常だった。私の記憶は,この時期から始まる。たぶん,3歳くらい,昭和45年頃のことだと思う。

おふくろは三枚橋病院に看護婦として働いていた。おふくろが日勤のときは仕事が終わるまで,病院で患者さんや看護婦さんや事務所の人たちに遊んでもらっていた。その当時,もちろん託児所があるわけではなく,私は病室やらナースセンターやらをウロチョロしていた。おふくろが夜勤のときは,そのまま病院に泊まった。看護婦の当直所で兄貴と寝ていた。

そういう生活が当たり前だったので,というより,物心ついたらそういう生活の中にいたので,当時はなんの疑問もなく,特別なこととも思わなかった。この生活が実はかなり特殊なものであったことに気付いたのは,高校生くらいになってからだったように思う。

よく保育園に迎えに来てくれた小川さんというのは,病院の運転手兼設備関係の仕事をしている60歳前後の男性だった。物静かで,優しく,それでいて頼りがいのある人物だったので,患者さんにも職員にもみなに好かれていた。私も本当の祖父のように慕っていて,わがままばかり言っていた。

私は昭和42年,富岡市に生まれたのだが,昭和44年頃には太田市の長手という地域に住んでいた。おふくろ,兄貴と私の母子家庭であった。このあたりの事情は本論に関係ないので省略。ともかく,そうだったのである。

おふくろは看護婦の資格を持っており,中学卒業以来,結婚するまで看護婦として働いていた。母子家庭となったとき,おふくろは再び看護婦として働こうと,いちばん近くにあった開院間もない三枚橋病院の求人に応募した。

面接の際,院長先生とおふくろとの間に,次のようなやりとりがあったとのことである。

「子どもが小さいので,保育園が終わる時間には帰らせて頂かなくてはなりません。夜勤も無理です」
「え,なんで?どうして?」
「ですから…!子どもが小さいので…」
「じゃあ子ども連れて来ればいいじゃん」
「は…?」
「夜勤のときは子どもも泊まればいいじゃん」
「……?」
「そうすればいいよ!」

この時,おふくろは知る由もなかったが,院長先生は思考も行動も常人ではないのである。

託児所もないのに,職場に子どもを連れてくればいいとは。夜勤も子連れですればいいとは。まして,ここは精神病院だ。本当に構わないのか,という疑問は抱きつつ,おふくろはありがたくその申出を受け,就職することにした。実際,母子家庭にはありがたいことだった。残業・夜勤ができるとできないとでは,収入が大きく異なる。

このようにして,私は三枚橋病院で多くの時間を過ごすことになった。

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