ございません*5 なにげない・さりげない

2016-01-28 | 言葉遣い
 「なにげない」 と 「さりげない」 は音も意味も似ていて、違いが分かりにくいですよね。

私は、意識しているかどうかで使い分けています。

 「なにげない」 は、無意識とか、ほぼ何も考えていない様子。

「つい」「うっかり」 言ってしまった 「なにげない ひと言」 で相手を傷つけてしまったり、

その反対に、狙ったわけでもないのに、「なにげない ひと言」 が仲間に大うけすることも。


 「さりげない」 は、意識している事を、わざとらしくなく自然に行なう様子。

配慮のある 「さりげない ひと言」 は、優しい心遣いとして、相手の心に届くことでしょう。


 では次の場面では、どちらの言葉が合うとお思いになりますか?


1 「ふと立ち止まって、〇〇げなく空を見上げたら、 がキレイだった」

2 「泣いてしまった私に、友人が〇〇げなくハンカチを差し出してくれた」

3 「〇〇げなく を置いたら、コーヒーがこぼれて を汚してしまった」

4 「デートのときに、彼が〇〇げなくエスコートしてくれました


1と3が 「なにげなく」、2と4が 「さりげなく」 というイメージでしょうか。

「なにげなく」 は自分で感じ、「さりげなく」 は他人が感じてくれるようですね。


 さて、いつの頃からか頻繁に耳にするようになった 「なにげに」 という言葉。

「なにげない」 から派生したのであろうと想像はつきますが、

「なにげに美味しい」 は、「なんとなく美味しい」 のか 「意外と美味しい」 のか、

はたまた 「可もなく不可もなく」 という程度なのか、いまひとつピンと来ないのです。

さらに私を悩ませるのが、「さりげに」

「さりげに見送った」 というのは、涙も心の動揺も隠して、淡々と見送ったのか、

万歳三唱(いつの時代でしょ ) など大騒ぎをせず、静かに見送ったのか、

柱の陰から、明子お姉さんのように見つめていたのか?(お分かりの方は同世代です


 言葉は生きていますから、時代と共に変化も進化も退化もします。

「なにげございません」 「さりげございません」 という方向に進まなかったのは結構ですが、

仲間内ならともかく、オフィシャルな場面で使うのには、「さりげない配慮」 が必要かと。

「なにげなく言った言葉」 が、相手に伝わらないどころか、誤解されては困りますものね。


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秘書にゃんこ*川崎大師

2016-01-23 | おでかけ
 昨年の出雲大社に続き、今年の初詣は川崎大師(神奈川県 川崎市) に参りました。

「大師(だいし)」 とは弘法大師のことで、平安時代初期の僧である空海です。

 いまを遡ること880年余り。

無実の罪で尾張を追われた武士 平間兼乗(ひらま かねのり) は、

諸国を流浪したのち川崎に住み着き、漁をしながら貧しい暮らしを立てていました。

不運に見舞われた兼乗は、そのとき折しも42歳の厄年だったそうで、

日夜、厄除けの祈願を続けていたそうです。

ある日 海に出たところ、光り輝く場所に投じた網によって引き揚げられたのは大師の木像。

尊いお像を大切に供養した兼乗は 1182年、川崎の地にお寺を建立します。

姓の平間から 「平間寺(へいけんじ)」 とし、ご本尊を厄除弘法大師と称して奉りました。

いまでは 「川崎大師」 という通称の方が、広く知られているようです。

     
     
     雲ひとつない冬晴れに、各地から善男善女が詣でます。


     
     
     広い境内にはご朱印を頂く場所が4ヶ所もあり、迷子になりかけた秘書にゃんこ



     
     ホッと一息 タイム。 甘酸っぱいケーキの美味しさといったら

甘酸っぱいといえば、昨年の暮れ、たくさんの 「柚子」 を使ってセミナーを行ないました


     
     その中のひとつを持って Bar に行き、作っていただいた即興カクテル



     
     年明けに再訪しましたら、なんと 新メニューとして柚子ちゃんデビュー
     外の寒さを忘れさせてくれるホットカクテルは、冬の限定メニューです。



     
     見えにくいでしょうが・・・居ます。



 お寺や神社を参拝しますと、清々しい気分になるものですね。

今年もがんばって働き、健康に過ごしたいものです。

     
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ございません*4 みっともない・はしたない

2016-01-18 | 言葉遣い
 先日、電車で東京方面に向かったときの事です。

人目を引く洋服のわりに、素朴な顔立ちの母娘が乗り込んできたと思いましたら、

娘さん、座るなり から葉書サイズの鏡を取り出して、メイクスタート

いまの時代、決して珍しい光景ではありませんが、つい目が行ってしまいます

お読みくださっている皆様は、「お母さんは娘さんに注意しないのかしら?」

と、母娘の顔立ち同様(しつこい ) 素朴な疑問をお持ちになるでしょうが、

実は、娘さんと先を争うかのように、お母さんもお化粧を始めていたのです。

必要性から言いますと、お母さんの方が切実ですから、それはもう必死

揺れる車内でアイラインを引くのにはハラハラしましたが、慣れているのでしょう。

素朴なお顔はどこへやら、、ひと駅ごとに洋服に似合うメイクに仕上がってゆく様子を、

半ば呆れ、半ば感心しつつ、持参した を読むふりをしながら見入っておりました。

さらに気になったのは、娘さんの短いスカート

いえ、キレイな脚を強調したいのは若さの特権ですから、それは構わないのですが、

お顔を整えることに集中するあまり、膝を揃えることを忘れてしまったようです

女の私ですら目のやり場に困ったくらいですから、向かい側に座っていた男性はお気の毒でした。

母娘にとって他の乗客は、車窓に流れる風景の一部だったのでしょうけれど


 「みっともない」 とか 「はしたない」 というお小言を耳にする機会が少なくなりましたね。

良い意味で使われることはなくても、日本人の恥じ入る文化と共に、残しておきたい言葉です。

 
 ところで、「みっともございません」 という人はいないでしょうが、

「みっともいい物ではない」 という言い方を聞いたことはありませんか?

「見たくもない」 ⇒ 「見とうもない」 ⇒ 「みっともない」 と変化したものですので、

「みっともいい」 とはならないでしょうから、いわゆる俗語のようなものなのか、

それとも、「みっともない」 と 「見た目がいいものではない」 の合成語なのでしょうか。

そんなところにも、日本語の面白さを感じます。


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ございません*3 とんでもない

2016-01-12 | 言葉遣い
 「とんでも8分」 と聞いて、すぐに 「歩いて10分」 と頭に浮かぶ方、お仲間です

もしや、お若い方は何のことかお分かりにならないかも知れませんね。

念のために申しますが、決して駅前の不動産屋さんの広告ではないのですよ  

「とんでもない」 と言う場面で、言葉遊びとして続く 「とんでも8分、歩いて10分」

他にも、「その手は食わない」 が 「その手は桑名の焼き蛤(はまぐり)」 になったり、

1960年代には、「あたりまえだ」 転じて 「あたり前田のクラッカー」 という CM もありましたっけ。


 冒頭から昭和モード全開ですが、今日はこの 「とんでもない」 についてお話しいたします。

称賛されたり、過分と思われる評価を受けたりした時に、相手の言葉を軽く打ち消す際に使いますが、

この相手というのが立場が上の方である時に、「ない」 が 「ございません」 になるようです。

また、「とんでもない」 は謙遜の意味の他に、「とんでもない奴だ」 のように悪い意味でも使われますので、

お客様や上司からの褒め言葉に対して、「とんでもない事」 と言っては失礼だと考える方もおいでのようです。

「申し訳ない」 を 「申し訳ありません」 や 「申し訳ございません」 と言うように、

「とんでもありません」 「とんでもございません」 もまた、時代の流れと共に定着したため、

私たちが敬語を使う上での目安となる文化庁の答申 「敬語の指針」 でも、許容されている言い方です。

似たようなニュアンスの言葉に 「めっそうもない」 という言い方も耳にしますが、

こちらも本来の言い方で 「めっそうもないことでございます」 とすると仰々しく聞こえるためか、

「めっそうもありません」 「めっそうもございません」 と、謙遜の意を込めて軽く打ち消しています。


 さて、昨日は鏡開き

武家社会の行事であったことから、忌み言葉である 「切る」 を避け、

刃物ではなく木槌で 「割る」 ようになったものの、「割る」 もまた縁起が悪いため、

「開く」 と言うようになったのだとか。

最近は文字通りパックを 「開く」 と、中から小さなお餅がたくさん出てきますね


     
     秘書にゃんこサイズのお餅を前に、あどけない表情。
     「あどけない」 も、幼さや無邪気な様子を表す形容詞です。


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ございません*2 申し訳ない

2016-01-07 | 言葉遣い
 前回 「やりきれない」 と書いた後で、そういえば 「やるせない」 も似た心持ちと考えるうちに、

この二つの言葉が歌詞として登場する 「悲しくてやりきれない」 という曲を思い出しました。

1968年(昭和43)年に、ザ・フォーク・クルセダーズが歌ってヒットした曲ですが、

作曲家の加藤和彦さんが出来立ての曲を持ち込んだ先は、作詞家のサトウハチローさん宅。

あの 「ちいさい秋みつけた」 の歌詞を書いた方です


 それでは、今日は 「申し訳ない」 についてお話しいたしましょう。

こちらも 「やりきれない」 と同様、もともと 「申し訳ない」 でひとつの言葉であり、

「申し訳ない事をいたしました」 「申し訳ない気持ちでいっぱいです」 というように、

「事」 や 「気持ち」 に掛かる形容詞です。

ところが、謝罪の言葉といえば 「申し訳ありません」 「申し訳ございません」 が一般的であり、

ビジネスの場面では誰しも、詫びる側、そして言われる立場になった経験がおありでしょう。


 この言い方が一般的になった理由として、私は二つの事が考えられると思います。

ひとつは、「申し訳」 という名詞がある ため。

「申し訳程度の雨」 「それでは申し訳が立ちません」 のように、後ろに 「ない」 が付かなくても、

「申し訳」 だけで存在できるところが、「やりきれない」 「やるせない」 などと異なります。

そしてもうひとつは、謝罪の場面で使われる言葉である ため。

「ない」 だけを見てみますと、「ありません」 や 「ございません」 に比べて丁寧さに欠け、

謝罪の意を表すのに、「ない」 では相手に対する敬意が感じられないという思いからか、

「ありません」 「ございません」 へと、より丁寧と思われる言い方に変化したのでしょう。


 「申し訳ありません」 や 「申し訳ございません」 がここまで一般的になりますと、

言葉はいきものであり、時代の流れと共に変化しているのだと、つくづく思うしだいです。


 さて、お次の 「ございません」 は、何が登場しますやら?


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