秘書にゃんこ*南町奉行所

2016-05-26 | おでかけ
 秘書にゃんこ、「有楽町(東京都 千代田区)」に行って参りました。


    
 

「有楽町」と聞いて、フランク永井さんの「有楽町で逢いましょう」を思い出す方もおいででしょう。

この曲は戦後、闇市の面影を残すこの界隈の「高級化キャンペーン」の一環として、

昭和32年(1957年)、駅前にオープンした「有楽町そごう」の CM ソングとして歌われたそうですよ

(「有楽町そごう」は平成12年に閉店し、現在は「ビックカメラ」)


 さて、今日は駅の反対側へ、そして今から300年の昔へとご案内いたします。

いつも通る方も、まだ訪れたことのない方も、そして時代劇がお好きな方も、どうぞご一緒に。
 


     
     中央口を出ると円形の庇があり、待ち合わせ場所に利用されているのですが、
     おや、何か石碑が建っていて、その横には石組みが。。


     
     近寄ってみますと、なんと「南町奉行所跡」の文字。
     この辺り一帯は平成17年に再開発された際、発掘調査が行なわれ、
     石組みは、出土した下水溝の一部を再現したものだそうです。


     
     出土した石組み材を利用したベンチがあると聞き、
     先ほどの庇の下のエスカレーターで地下広場に下りると、ありました
     

     
     空いた席を見ると 「卯」と彫られているものの、
     十二支にしては石の数が足りず、何を表すのか不明


     
     同じく今はベンチとして使われているこちらは、江戸の地下を走っていた水道管(木樋 もくひ)
     長屋のおかみさん達が、文字通り井戸端会議を行なっていた井戸の水も、実は水道水でした。
     

     
     南町奉行所跡から発見された「穴蔵(あなぐら)」を壁に立てて展示
     『板材を舟釘で留め、隠し釘となるように端材を埋め、板材の間には槇肌(木の皮)を詰めて防水処理』
     『壁板の一辺には水抜き穴があき、そこから竹管が延びて桶に水が溜まる構造』
     と、当時の技術が記されていますが、何のことやら??
     私は江戸時代に生まれても、たいして役に立たなかったと実感

     尚、この穴蔵からは、伊勢神宮の神官が大岡越前守の家臣に宛てた木札が発見されたそうです。


 大岡越前守忠相(おおおか えちぜんのかみ ただすけ)といえば、南町奉行所の御奉行様。

実際に名裁きを行なったかはともかく、8代将軍 徳川吉宗が進める「享保の改革」を町奉行として支えたため、

では、「大岡越前」の他に「暴れん坊将軍」など、吉宗が主人公のドラマにも登場します。

前述の「穴蔵」の普請は、何がどうなっているのかチンプンカンプンですが、ドラマとあらば俄然興味が

「御出座~~」で登場した御奉行様が座っていた座敷はどこなのか? お白洲は今、どうなっているのか?
    
それでは再び地上に出てみましょう。


     
     大きな円形の庇の前には、ITOCiA(イトシア)の建物。
     サミットで警戒に当たる警察官も、世が世なら与力 or 同心
     おまわりさんの後を歩いて、ITOCiA の建物を一周します。     


     
     すると、ご存知のドラッグストア
     なんと このお店の奥が、御奉行様が着座された公事場(くじば)なのですよ。
     ドラマに登場した架空の医師 榊原伊織も、300年の時を経て薬局になるとは驚いているでしょう。


     
     さらに ITOCiA の建物を左に曲がります。
     ドラッグストアとは背中合わせのお店は Bar
     この辺りが、あの「お白洲」なんです
     先ほどとは別の同心、、いえ、警察官の姿が。
     通行人のお顔をで隠しましたが、
     決して、ホシ → 犯人 → 下手人 というわけではありませんので、念のため。。
     警戒態勢のさなか、にゃんこの写真を撮ってる私の方が怪しい~


 ドラマでは建物の外にある「お白洲」ですが、実際は屋根があったり、屋内だったとのこと。

砂利の白は、裁判の公平と神聖を象徴する色だと言われています。

ここで、片肌脱いで桜吹雪を ・・・見せるのは、遠山の金さん こと「遠山金四郎景元」

大岡越前より100年ほど後の御奉行様で、南町奉行の他、北町奉行も務めたそうです。


待ち合わせ時間に早めに到着したら、この辺りをぐるっと廻ってみませんか?

「これにて一件落着」


お読みくださいまして、ありがとうございます。

コメント (4)

秘書にゃんこ*夏目漱石を訪ねて。。

2016-05-14 | おでかけ
 「石を枕にして眠り、小川の流れで口を漱ぐ(すすぐ)」 と言うべきところを、

「流れを枕にして眠り、石で口を漱ぐ」 と言い間違え、それを人から指摘されたら。。

さしずめ私なら、照れたり、相手と顔を見合わせて笑ったりすることでしょうが、

「いや、耳を洗うために流れを枕にし、歯を磨くために石で口を漱ぐのだ」

と言い張る人がいれば、負け惜しみの強い頑固者という印象を持つことでしょう。

 「漱石枕流」(そうせきちんりゅう)

夏目漱石(本名は夏目金之助)の雅号となった中国の故事です。

ちなみにこの名前、もともとは正岡子規の数多いペンネームのひとつだったそうで、

実際に漱石が変わり者だったかどうかはさておき、二人の友情が垣間見える名前です。


 今年は漱石の没後100年、来年は生誕150年という記念の年。

各地でイベントが催される中、横浜と東京に漱石を訪ねて参りました。


     
     横浜「港の見える丘公園」の一角にある 「神奈川近代文学館」 では、
     直筆の原稿や日記、愛用品や当時の新聞記事が展示されています。


 所変わって、こちらは東京。 

明治の面影を今に残す「文豪の街」 根津。


     
     日本武尊(やまとたけるのみこと)が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社


     
     かつて漱石や鴎外が腰を下ろし、想を練ったと伝わる「文豪憩いの石」
     境内の目立つ場所にありながら、立て札がないと人は気に留めないようです。


     
     石の近くにある水飲み場にも説明がないため、参拝客が通り過ぎてしまうのですが、
     こちらは森鴎外が奉納したもので、もとは日露戦争の戦利砲弾を飾るための台座。


     
     すぐ後ろの溝には水が流れているため、にゃんこ片手に撮影するのは至難の業
     「陸軍々醫監 森林太郎」(鴎外の本名)という字がお読みになれますでしょうか。


 さて、話を漱石に戻しましょう。

根津神社の裏手にある門を出て閑静な住宅街を歩けば、そこは漱石が3年の月日を過ごした町。

イギリス留学から帰国した漱石が初めて筆を執り、名作を次々と発表した漱石文学発祥の地。


     
     「夏目漱石旧居跡」の題字は川端康成の書
     旧居は愛知県 犬山市の明治村に移築保存
     塀の上を歩くネコちゃんは、「吾輩は猫である」


     
     三毛子ちゃんに恋する「吾輩」は、秘書にゃんこには目もくれず


 この年齢だからこそ味わえる読み方で、再び漱石に出会ってみたいものです。


お読みくださいまして、ありがとうございます。

コメント (6)

秘書にゃんこ*日本武道館

2016-05-07 | おでかけ
 日本武道館(にっぽんぶどうかん)は、東京オリンピックの柔道競技の会場として、

東京都千代田区の皇居に隣接する北の丸公園に、昭和39年(1964年) 完成。

その名の通り、柔道や剣道、弓道などの日本武道の競技や稽古が行なわれる一方、

大規模なコンサートホールとしての役割も備えているのはご存知の通り。

昭和41年(1966年)に ザ・ビートルズが来日公演を行なってから、今年で半世紀。

収容人数1万人の会場を埋める集客力は、アーティストにとって目標とも言えるでしょう。


     
     旧江戸城 田安門(たやすもん)のうち、外側にある高麗門(こうらいもん)は、
     寛永13年(1636年)に建てられたと考えられ、
     江戸城の完成当時に遡る現存唯一の建物(重要文化財)


     
     同じく田安門のうち、内側にある櫓門(やぐらもん)は上部が破損したため
     大正末期から昭和初期にかけて撤去され、その後オリンピックの頃に復旧整備。 


     
     法隆寺の夢殿をモデルにした八角形の建物に、
     富士山の稜線をイメージした大屋根の流線美。        
     

 さて、私がこちらを訪れたのは、ザ・タイガースの再結成コンサート以来2年半ぶり。

今回は「ギターの神様」と称えられる、御年71歳 エリック・クラプトン 21回目の来日公演。

今のように、いつでもどこでも好きな音楽が聴けるなんて、想像もできなかった時代に、

お小遣いを貯めて、ようやく買い求めたレコードに針を落として擦り切れるまで聴き、

深夜放送にリクエストはがきを送って、曲が流れるのを心待ちにして夜を明かしたあの頃。


     
     そんなギター少年たちが、悲願ともいえるチケットを手にして集う日本武道館。


     
     普段は見せることのない「少年の顔」に戻って、あの時代を旅した方も多いことでしょう。


 ザ・タイガースのコンサートの時にも思いましたが、お互い今日まで頑張ったよね、と。。

そんな一体感の中で堪能する、素晴らしい演奏と懐かしい曲。

アーティストも観客も、双方の年齢を考えると 「次」 に確証が持てないお年頃だけに、

あらゆるものに感謝する春の夕べでした。


     
     後日、皇居東御苑の天守台から眺めた武道館の遠景。
     

お読みくださいまして、ありがとうございます。

  
コメント (6)