秘書にゃんこ*小江戸 川越 蔵の町

2016-04-30 | おでかけ
 首都圏に長く住んでいながら、これまで行く機会がほとんど無かった埼玉。

その昔、友人を訪ねた折に池袋から乗った電車は、車体が黄色で屋根が茶色。

あとでニックネームを聞くまでもなく、「あ、、カステラ。。」

あれから40年ほど経ち、東京都心や神奈川への直通電車も走りすっかり便利に。

そんな中、いま注目の川越に出かけました。


     
     こんなに発展してしまうと、あのカステラが懐かしい。。


     
     レトロな町並みには、レトロなポスト


     
     ちょうど春まつり  秘書にゃんこの好物 が空を泳いでいます


     
     歴史を感じさせる商家の店先に並ぶ 素朴な花々


     
     外国人観光客にとっても、魅力あふれる町並みなのでしょう 


     
     川越のシンボルとも言える「時の鐘」は耐震化工事中   


     
     道路を挟んで建物全体を眺めながら、江戸情緒に浸ります
     

     
     町のはずれまで歩けば、観光客の姿もまばらです


 「小江戸」とはいえ、「明治の面影」も「大正ロマン」も「昭和の残り香」も感じさせる川越。

カステラ電車の記憶と共に、またひとつ、埼玉県での思い出づくりが叶いました。


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お箸*10 置き方

2016-04-24 | お箸の世界
 家で食事をするときも外食するときも、お箸は横向きにして手前に置く。

子供の頃から見慣れている形ですが、実はこれ、日本だけの特殊な置き方なんです。

ご存知の通り中国や韓国を始めとするアジア諸国では、お箸を縦にして右側に置きます。

日本で横向きに置く理由はいくつかあると思いますが、まずはお箸の取り方。

たとえば中国や韓国ではお箸を片手で取りますが、日本では両方の手を順に使うため、

右側に置いていては、左の手や腕がお料理越しに伸び、和服だと粗相してしまいます。

次に、お箸の用途。

自分のお箸で他人の分までお料理を取るお国と、自分のためにだけ使う日本との違い。

以上ふたつの理由は、実際に食事をする上での利便性や効率の良さでしょうが、

他の理由として、日本人の精神性が挙げられると思います。

一つ目は、尖った箸先を人に向けない心遣い。

日本のお箸は、中国などと比べて先端が細いですものね。

二つ目は、自分が汚した物を人に見られることへの羞恥心。

それはお箸にも言えることで、どんなにお行儀よくいただいても箸先は汚れます。

私など、 をレストに置くときでも少し気にする小心者です

その点、横向きにして手前に置けば、汚れを人目に晒さずにすみますし、

さらに良いことに、お茶碗やお椀は高さがありますから、人からは箸先が見えにくいはず。

三つ目として、これは、さらに精神性を高めた考え方かも知れませんが、

茶道で客が自分の膝前に扇子を置いて、亭主との間に結界を作るように、

食べ物と自分の間にお箸を置くことで、聖域と俗域を隔てるという意味があるかも。。

食べられる日常に感謝し、人にも物にも敬意を払っていただきたいものです。


     
     レトロなレジスターの横で手料理を振る舞ってくれた色白の彼
     ところがこの後お店は閉店し、いま何処


     
     彼との思い出に浸りながら、朝食を作る秘書にゃんこ
     な~んて。。実は箸置きです   


お読みくださいまして、ありがとうございます

  
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メロンといちご

2016-04-16 | 日々の暮らし
     

     熊本のメロンと、博多のあまおう

     この子たちの故郷で、今まさに大変な状況にある方々に思いを馳せています。

     
     お見舞いをした側が、次には見舞われる・・・それが、私たちが暮らす日本です。

     出来るものなら、訪れる寒さも暗さも、夜の闇が連れてくる風雨も引き受けたいのに。。
     

お取り込みの方もおいででしょうに、ご覧くださいましてありがとうございます。



     
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秘書にゃんこ*桜坂

2016-04-10 | おでかけ
 満開の桜の美しさは言うまでもありませんが、散り際もまた何とも言えない風情があり、

この曲の雰囲気からしますと、むしろ花びらが風に舞う様が似合うような気がします。

 福山雅治さんが2000年に発表した曲 「桜坂」 の舞台のひとつとなったこの坂道は、

東急多摩川線 沼部駅から程近い、大田区 田園調布本町の旧中原街道にあります。


     
     「さくら坂」 と書かれた交差点の の下にある木の標識
     旧中原街道の切通し(きりどおし)で、昔は沼部大坂と言われていたことや、
     勾配がきつくて荷車などの通行が大変であったということが記されています。
     


     
     交差点から坂道を少し上った所。
     左上に建ち並ぶ家の高さから、ここが切通しであることが分かります。
     画面中央に見える赤い歩道橋に向かって、道路左側の坂を上ります。



     
     立札には、この旧中原街道が、徳川家康が江戸に入国した際や、
     江戸時代初期の参勤交代にも利用されたと書かれています。


     
     桜の花びらが敷き詰められた坂道を、家が在る高さまで上りました。


     
     赤い歩道橋は 「桜橋」  


     
     「桜橋」 の上から、「桜坂」 を見下ろしたところ。
     桜のビュースポットは、曲のヒットにより見物客が増えたそうです


 さて、お花見を終えた後は、東急沿線の代官山の書店でランチ &本探し


     
     他の書店ではあまり見かけない本に出合うこちらのお店
     

     
     そのとき、ユニオンジャックに身を包み で颯爽と現れた の似合う彼
     桜や本との出合いも 、ワンコとにゃんこの出会いも、胸躍る春の一日でした


お読みくださいまして、ありがとうございます。

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秘書にゃんこ*銀座 花椿通り

2016-04-05 | おでかけ
 東京都 中央区 銀座7丁目と8丁目をつなぐ道路を 「花椿通り」 といいます。

1603年から始まる徳川幕府による大規模なまちづくりには諸国の大名が駆り出され、

区画を請け負って造成した国の名を、町名に冠したといわれています。

この辺り一帯には、松江藩の上屋敷が建ち、松江藩が出雲を領有していたことから、

銀座8丁目界隈を 「出雲町」、道路は 「出雲通り」 と名付けられました。

 時は流れて昭和9年(1934年)。

ゆかりの出雲市から寄贈された椿は、街路樹として今も人々の目を楽しませてくれています。


     
     「花椿通り」 という愛称が正式な名称となったのは、平成になってからのこと。


     
     椿の花を手にしたポニーテールの少女 「はな」 
     花椿通りの道端に座っているのですが、気づかずに素通りしてしまうかも。。


     
     はなちゃんの近くには、銀巴里跡地の碑
     美輪明宏やクミコを輩出した日本初のシャンソン喫茶(1951~1990)


 昔、銀ブラをしている時に、運転免許証を落としたことがあります

捜したものの見つかるはずもなく、困り果てて交番で尋ねたら、「届いていますよ」

ご親切に拾って届けてくださったのは、資生堂パーラーにお勤めの男性とのことで、

お礼を申し上げなくてはと、交番で頂いた名刺を手に5丁目から8丁目までダッシュ

にこやかな微笑みと共に現れたのは、資生堂のモデルさんかと思うほどのイケメン氏

何をしに来たのか忘れるほど見とれてしまった私は、頬を椿色に染めていたことでしょう


     
     あれから幾歳月。。。
     ショッピングを楽しむ外国のお客様で、街もお店もあふれていました


 この話の流れからまいりますと、資生堂パーラーでお食事を・・・となるのですが、あいにく休業日。

というわけで、すぐ近くにある 「椿屋珈琲店」 に入ったところ、これが大正解


     
     外観は、これといった特徴もないのですが・・・


     
     一歩踏み入れると、レトロな階段が、大正ロマン漂う店内へといざなってくれます。


     
     湘南鎌倉野菜のサンドイッチ 椿屋ブレンドコーヒー サラダ付
     サイフォンで淹れたコーヒーを席で注いでくれて、
     ロイヤルコペンハーゲンのコーヒーカップでいただきます。


     
     美しいお嬢さん二人によるフルートとピアノの演奏(演奏は不定期)


 東郷青児の絵、白いカバーの掛かった椅子、子供はもちろん若い人の姿も見当たらない、大人の隠れ家。

外の喧騒も日々の小さな悩みも忘れ、お二人の奏でる音色に魅了された1時間でした。


 新しいショップや華やかに彩られたショーウィンドーに、ついつい目が行きますが、

気づかずに通り過ぎてしまう所にこそ歴史があり、人々の思いが受け継がれているのですね。


お読みくださいまして、ありがとうございます。

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