インスパイア

自然を通して心をみつめる。言葉をとおして人生を見つめる。

ある登山家の講演

2010-11-05 08:45:40 | Weblog
ビジネスマン向けの講演だったが小西浩文氏の話を聞いてきた。

無酸素で8000M峰14座を目指す
酸素ボンベをたくさん使って登れば登れるかもしれない。だけどそれはやらない。酸素ボンベをお金とか置き換えて考えてもいい。
運とは何か。死の境地を紙一重でくぐり抜けたものは。一緒にザイルをつないだ仲間がすでに57人死んでいる。
妻も、くも膜下出血で死亡。自身ものどの癌など3度のがん手術を克服している。
登山の目的は頂上ではない、生きて帰ること。
その精神力は日常でも鍛錬している。
目の前のことに気を注ぐことで後ろの危険も察知できる。
キーボードを叩きながら部下の報告を受けるなど論外である。きちんと向かい合って話を聞かなければならない。
寝る時も心は丹田に沈める。心は頭や心臓になるのではない、丹田にある。

本の世界を旅する

2010-11-05 08:07:50 | Weblog
本を選ぶときの基準は何かを考える。
頭に浮かぶのは、「本の世界を旅する」「被日常世界を旅する」という感覚だ。それに準じて本を選んでいるような気がする。
大きく言えば二つのジャンルで、ひとつのテーマは自然や山、冒険であり、もうひとつは「小説」「物語」ということになるだろうか。

自然をテーマにしたものでは最近では星野道夫の「旅をする木」。日常生活を離れたところを時間が流れている感覚。

小説は物語という言葉の方が似つかわしい。以前は明治から昭和初期の文学が主だったが最近は現代作家も読むようになっている。
そもそも本というのは先人が残したものというイメージですでに死んだ作家とか、生きていても歴史になっている作家の作品を読む傾向があったが、今は自分より若い人の書いた本も読んでいる。
ちょっとしたことだけと小さな発見だ。

池澤夏樹、小川洋子など最近は読み始めた。
しかし自分の中では村上春樹の世界、村上ワールドの存在感が圧倒的に大きい。大きな森の中を旅する様な感覚だ。
毒も含んでいるのでその世界に合わない人もいるかもしれない。毒が無いと物語の世界を支えきれないのだ。

物語を通して自分の中でイメージ、映像を作る。
だから小説が映画化されたのを見ると違和感がある。
博士の愛した数式はおもしろい小説だったのでDVDを借りて見てみた。
「おい、俺が頭の中で作った映画の方がよかったぞ」