シルバーウィークは妙高、火打にテント泊。とくに火打に至る天狗の庭近辺は紅葉が始まりかけ青天とも相まってベストの山行となった。
ついてではあったが、家系のルーツである妙高・田切に行ってみた。
戸籍にのってた番地周辺をおとづれると、変哲のない住宅の姿。
ともかく近くのお寺に行ってみると、寺のご婦人と話ができた。
この寺には当家との縁はないようだが、近くにある共同墓地を教えていただく。
田んぼの中に墓が50ほど集まっている。
まわってみると、4割ほどが同じ苗字の墓地。そのなかに「松蔵建立」との墓碑を発見。大正時代の建立になっているか、時代はあうのか?
墓碑に花が挿してあるのでお墓参りはされているようだ。
彼岸前だったが何の準備もしてなく、近くの花をとって墓前に供える。
よく考えてみると、松蔵がなくなったのは昭和初期、墓碑建立は大正時代でおかしくない。
まぎれもない、我がご先祖様の墓碑だ。自分の4代前である。
あらためて家族そろってお墓参りにいってみよう。
ついてではあったが、家系のルーツである妙高・田切に行ってみた。
戸籍にのってた番地周辺をおとづれると、変哲のない住宅の姿。
ともかく近くのお寺に行ってみると、寺のご婦人と話ができた。
この寺には当家との縁はないようだが、近くにある共同墓地を教えていただく。
田んぼの中に墓が50ほど集まっている。
まわってみると、4割ほどが同じ苗字の墓地。そのなかに「松蔵建立」との墓碑を発見。大正時代の建立になっているか、時代はあうのか?
墓碑に花が挿してあるのでお墓参りはされているようだ。
彼岸前だったが何の準備もしてなく、近くの花をとって墓前に供える。
よく考えてみると、松蔵がなくなったのは昭和初期、墓碑建立は大正時代でおかしくない。
まぎれもない、我がご先祖様の墓碑だ。自分の4代前である。
あらためて家族そろってお墓参りにいってみよう。