倉野立人のブログです。

日々の活動を みなさんにお伝えしています。

〈上越市議会との交流会〉

2012-10-31 | インポート
10/30 Tue. [ クラちゃんの起床時刻 5:50 AM ]
この日、長野市議会と上越市議会との交流会が行われ、参加しました。
長野市と上越市とは、山国に在する長野市と、海の玄関口(旧 直江津市)など、異なる地勢ゆえに結びつきが強く、市同士も 「 観光交流パートナーシップ協定 」 を締結するなどして交流を深めています。
議会においても(先輩議員に伺えば)議員交流野球などで親睦を深め、今は議員交流会として、交代で主催市を担い、交流と意見交換の場としています。
今年は上越市が 当番市 となり、長野市議会が来訪する形となりました。
バスは一路北をめざし、上杉謙信の出城として名を残す春日城址を経由します。

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城址前の 茶屋 からは、日本海が眺望でき、独特の風景を成していました。

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途中、急ピッチで工事が進む、新幹線駅の工事現場を視察しました。

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上越市では、平成27年春に完成が予定されている北陸新幹線上越(仮称)駅の開業を見据え、新駅を中心にした市街地整備計画を進めています。
駅周辺を 「 主要都市と直結する広域交通の結節点としての機能を担い、上越市を上越地域の新たな玄関口として質の高いまちづくりをめざす 」 としています。
新駅直近部の約28,5haでは、新駅周辺整備事業の核となる土地区画整理事業を平成16年度から実施しており、平成19年度からは、この周辺376haにおいて、新駅へのアクセス道路の整備・信越本線在来線の移設、歴史公園の整備など都市基盤整備や景観形成、賑わいの創出などを目的とした都市再生整備計画事業を実施しているとのことです。

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いずれにしても、新幹線駅の設置は、当該自治体にとっては 千載一遇のチャンス です。
この機会を好機と捉え、活性化が実現するよう、交流市の一員としても期待を寄せるところです。
その後 「 日本のワイン・葡萄(ぶどう)の父 」 と評された、地元産ワインの創業者 川上善兵衛氏 の興した 「 岩の原葡萄園 」 を見学し、交流会場に到着しました。
私は、そこでの 「 講演会 」 に、何ともいえない教唆を得ることとなり〝生きること〟について思いをいたしたのでした。
講演の表題は 「 いま、瞽女(ごぜ)に学ぶ 」

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講師は 「 高田瞽女(たかだごぜ)の文化を保存・発信する会 」 の 市川信夫会長 です。

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「 瞽女(ごぜ)」 とは、目の不自由な女性が、生きる糧として唄・三味線を習い、同じ境遇の者同士が共同生活を送りながら、各地を旅して「瞽女唄(ごぜうた)」 を披露し、米や御捻(おひね)りを稼ぐことを業(なりわい)とする方々で、古くは室町時代から存在していたそうです。
とりわけ、ここ上越地方には 「 高田瞽女 」 と呼ばれた大きな組織があり、脈々と活動を重ね、昭和45年には継承者が、国の選択無形文化財 「 瞽女唄(ごぜうた)」 の保持者に認定されたそうです。
市川会長の説明の後 「 瞽女さんの唄が聞こえる 」 という、学校教材にも活用されているというVTRを鑑賞しました。

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市川会長の話しのとおり、高田瞽女の方々は、先天的に、または幼くして視力を失った境遇にありながら、いたづらに悲観することなく前を向き、自立して生きる術(すべ)として瞽女の道を選び、厳しい修行と 鉄の掟 を守りながら集団生活を送り、年間300日にも及ぶ徒歩での旅を踏破しながら村から村へと唄と三味線を奏でる旅を続けたそうです。

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先頭を、瞽女の中でも弱視を保(も)つ方が担い、その後ろを全盲の方が、それぞれ前者の背中に手を添えて、ひたすら歩いたそうです。

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テレビもラジオも無く、芸能に乏しかった時代、瞽女の来訪は貴重なひととき、農作業に明け暮れ、娯楽に飢えていた村人は、瞽女を歓待し、その唄を堪能したそうです。

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私は、瞽女の方が送った人生、積み重ねた歴史に 「 強さ 」 を実感しました。
目が見えない、という絶望的な障がいを負いながら、悲観することなく、また障がいを負っていることで、生活を他者に頼ることなく、自らの力で生きることを自ら選択し、風雨にさらされながらも歩み続けた史実(事実)。
VTRの中では 「 どってこたァねえ。生きるために、当り前のことを当たり前にやってきただけダ。」 と笑顔で述懐していましたが、その覚悟を決め、実行するのは、並の意思ではできないことと思います。
おそらく、他に生きる術が無いという前提が為せる技だったのでしょうが、何かと満たされている現代においては、権利や意見や要求が先に立ち、こちらの瞽女さんたちのような道を選ぶことは少ないでしょう。
自らの境遇を受け入れ、ハンディをハンディとせず、逞(たくま)しく生きる・・・現代社会が最も欠如してしまった 「 強さ 」 をもって生涯を貫いた瞽女さんに、学ぶこと大 の感だったのでした。
思いもかけず、学びの場をいただき、有意義な交流会でした。
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